今回の記事は、「こちらの記事」とも関連性があることから、その「リブログ」としています(「元の記事」もぜひ、ご覧ください)。
さて...
今年、「没後40周年」を迎え、来年、2027年には、「生誕75周年」をも迎える、ダニエル・バラボワーヌ(1952-86)...。
日本では、わずか、「2枚」のアルバムが発売されただけに過ぎず、お世辞にも、「よく知られている」とは言えませんが、その、2枚のアルバムはいずれも、本国での、その「人気」を示す、「大ヒットアルバム」でもあることから、
当時、そのアルバムを手にした人たちというのは、
まさに、
当時のフランス音楽の、「最新トレンド」に触れていた
とも、言うことが出来るのです。
その、大変「貴重」でもある、「日本発売アルバム」ですが、そのうちの1枚は、すでに手にしてはいるものの、これまで、まったく目にすることすらなかった「もう1枚」の方は、つい先日、「東京都内」において、ついに、見つける(手に入れる)ことが叶いました。
それは、こちらのアルバムです...。
(「別の取り扱い店舗」による紹介)
このアルバム、「un autre monde "もうひとつの世界"」は、本国では、1980年11月に発売されたものですが、日本では、その2年後(1982年)、単に、「ダニエル・バラボワーヌ」のタイトルで出され、「ジャケット写真」も「曲順」も、その「オリジナル」とは、「異なってもいる」ものです。
こちらが、その、「フランス盤オリジナル」(CD)。
「L25B-1022」という「品番」からは、やはり「L25B-1025」という、「ベスト・オブ・ジャック・ブレル」と、ほぼ「同時期」に発売されたものと推測出来ますが、後者が、発売翌年である、1983年8月に手にしているのに比べ、今回のこのレコードは、それから実に、「43年」も、「遅れて」の入手ということになってしまいました...。
なお、この、「L25B-1022」に引き続き、日本で、翌1983年に発売されたのが、その次のアルバム、「vendeurs de larmes "涙を売る男"」(「オリジナル」は、1982年4月発売/日本でのタイトルは、「愛のサバイバル」L28B-1060)でしたが、こちらは、「見本盤」との表記はあるものの、かなり、「早い」段階で、手にすることが出来たものでもあります。
しかし当時、「フレンチ・ニュー・ウェーヴ」と呼ばれたこのブームは、「一過性」のものに終わり、「その後」が、続くことはありませんでした...。
(参考)こちらは、私が「参考」としている、「ファンサイト」です。
(「歌詞の掲載」もある、大変「本格的」なものです)
これまでの記事
(「同じ曲名」でも、「グレードアップ版」、「リテイク」などとなっている「(自身の)リブログ記事」が、「歌詞対訳」も載せている、「最新版」です)
(参考)「スターマニア」がテーマの記事一覧
(参考)「ミシェル・ベルジェ&フランス・ギャル」がテーマの記事一覧(ミュージカル「RESISTE」についての記事も「こちら」から)
あらためて、アルバム「un autre monde "もうひとつの世界"」全曲のタイトルを載せておきますと、次の通りとなります。
(このアルバムは、すでに全曲、「正式に紹介」しています)
こちらは、「オリジナル曲順」で、「邦題」も、「私自身」の手によるものです。
1.mon fils ma bataille 僕の息子 僕の闘い
2.10.000 metres 10000メートル(走)
3.bateau toujours 「いつもの」(永遠の)船 *ミシェル・ベルジェと
4.lipstick polychrome リップスティック・ポリクローム
5.je ne suis pas un heros 俺はヒーローじゃない
6.detournement ハイジャック
7.la vie ne m'apprend rien 人生は何も教えてくれない
8.allez hop! アレ・オップ(ホップ)!
9.mort d'un robot あるロボットの死
10.un autre monde もうひとつの世界(インストゥルメンタル)
今回の、「日本盤」での「曲順」、「タイトル」は、以下のようになっています。
(*が、曲順の、「変更」のある箇所です)
A-1.mon fils ma bataille 抱きしめたくて
2.10.000 metres マラソン・マン
3.la vie ne m'apprend rien 哀しみの人生*
4.lipstick polychrome リップスティック
5.je ne suis pas un heros ヒーローは俺じゃない
B-1.allez hop! アレ・オップ!*
2.bateau toujours 永遠の船(とわのバトー)*
3.detournement 嘆きのハイジャック*
4.mort d'un robot ロボットの涙
5.un autre monde 別世界への旅
このアルバムの「解説(ライナーノーツ)」、「日本語訳」は、永瀧達治先生の手によるものですが、その解説を読めば、先生もやはり、「直訳で、私も使っている邦題」を使っていることが分かります。
「商品盤」のこの「タイトル」は、「当時の流行」も、多分に見られると思いますが、「哀しみの~」や、「嘆きの~」はまさに、「その最たるもの」だと、言えると思いますね...(他には、「愛の~」など...)。
それではあらためて、その「全曲」を、振り返ってみることにしましょう...。
(詳しくは、それぞれの記事をご参照ください。
「曲順」は、今回の「日本盤」のものとなっています)
1.「mon fils ma bataille "僕の息子 僕の闘い(抱きしめたくて)"」。
(1981年2月28日のテレビ番組より)
こちらは、1984年9月、パレ・デ・スポール(ドーム・ド・パリ)公演より。
「解説」でも、当時のアメリカ映画、「クレイマー、クレイマー」(1979年/日本公開1980年)について触れられていますが、その後、この曲は、「友人」で、「バンドメンバー」でもある、後述する、イギリス出身のギタリスト、コリン・スウィンビュルヌ(姓は「フランス語読み」)の、「実話」に基づくものだと明かされました。
(参考/公式)「クレイマー、クレイマー」予告編(日本語字幕付き)。
2.「10.000 metres "10000メートル走(マラソン・マン)"」。
(「オリジナル録音」)
この曲、および、「un autre monde "もうひとつの世界(別世界への旅)"」(後述)が、「シリーズ」で紹介してきた、このアルバムからの、「最後の曲」となりました(2025年2月6日付け)。
これらの曲の記事(「歌詞対訳」も載せています)。
3.「la vie ne m'apprend rien "人生は何も教えてくれない(哀しみの人生)"」。
(1982年1月23日のテレビ番組より)
こちらはやはり、1984年9月、パレ・デ・スポール(ドーム・ド・パリ)公演より。
このアルバムのみならず、ダニエルの、「最高傑作」のひとつとも、言うことの出来る「名曲」が、この、「la vie ne m'apprend rien "人生は何も教えてくれない(哀しみの人生)"」...。
「世の巨大な掟」の前では、自分は、あまりにも「無力」...。
「歌う」にも、その「感情」のコントロールが、大変「難しい」曲であるとも、言えるものです。
4.「lipstick polychrome "リップスティック・ポリクローム(リップスティック)"」。
(1981年4月11日のテレビ番組より)
そのまま(いますぐ)、「化粧品」のCMソングにも使えそうな曲。
口で、楽器を模して、「コーラス」を入れているギタリストが、先述の、コリン・スウィンビュルヌ(姓のみ、「フランス語読み」)です。
5.「je ne suis pas un heros "俺はヒーローじゃない(ヒーローは俺じゃない)"」。
(1981年10月18日のテレビ番組より)
こちらもやはり、1984年9月、パレ・デ・スポール(ドーム・ド・パリ)公演より。
もともと、ジョニー・アリディ(1943-2017)のために書いた作品で、ダニエル自身は、「歌うつもりはなかった」と話してもいましたが、その後やはり、自身でも歌ってみたところ、「大ヒット」となり、「代表作」のひとつとまでなった「名曲」です。
スタジオ録音はもちろん、ジョニー・アリディの方が「先」ですが、自身の「ライヴ」では、ダニエルを「追悼」するため、1990年の「ベルシー(現「アコー・アリーナ」)」公演で歌ったのが、「初めて」となりました。
(この「ライヴ・バージョン」は、「シングル」としても発売され、この映像は、その、「正式なMV」ともなりました)
また、1980年2月、そのアリディの、「スタジオ録音」の際、あわせて録音されたと見られる、この、大変「貴重」な「デュエット・バージョン」が、2020年に発見され、ダニエルのサウンド・エンジニア、アンディ・スコット(1949-)の「監修」のもと、「商品化」もされました。
(この録音は、「最新の大全集」にも、収録されています)
6.「Allez hop! "アレ・オップ!"」。
(1981年3月、オランピア劇場公演の「ライヴ録音」より)
永瀧先生によれば、ここで歌われているのは、「教育ママ」と、それに「うんざり」している、「息子」の話なんだそうな...。
なるほど... そういうことだったか...(笑)。
7.「bateau toujours "いつもの(永遠の)船"」。
(1981年2月18日、スイスのテレビ番組より)
こちらはやはり、1981年3月、オランピア劇場公演の「ライヴ録音」より。
伝説のロックオペラ、「スターマニア」(1979年初演)が「きっかけ」で、「兄弟(家族)同然」の関係ともなった、ミシェル・ベルジェ(1947-92)...。
「多忙」により、なかなかスケジュールが「合わない」二人でしたが、
「1曲だけ、一緒に作ろう」
ということで、作られたのが、この曲でした。
そして...
「オランピア劇場で、毎回21時20分ごろ、彼(ダニエル)とこの曲を歌った。
それは、とても良い思い出となっている...」(ミシェル・ベルジェ)
(ダニエルの死後、「すぐ」のインタビューにて)
8.「detournement "ハイジャック(嘆きのハイジャック)"」。
(1981年2月18日、スイスのテレビ番組より)
こちらもやはり、1981年3月、オランピア劇場公演の「ライヴ録音」より。
「スターマニア」の「大成功」の後とあって、このアルバムでダニエルは、さまざまな「役」を、演じてみせてもいるのですが、
ここで演じているのは、
「ありもしない国を目指すハイジャック犯」...。
ダニエルは、「自身」を「主人公」にしたときには、「自虐的」で、「アンチヒーロー」な曲を書く傾向にもあるのですが、これも、自ら演じた、「スターマニア」の主人公、「ジョニー・ロックフォール」の「影響」か...。
9.「mort d'un robot "あるロボットの死(ロボットの涙)"」。
(1981年1月18日のテレビ番組より)
1981年3月のオランピア劇場公演は、この曲の、「ベスト・パフォーマンス」です!!
この曲でダニエルが演じているのは、
「人間」のために、もう、「2000年以上」も働いた、「精巧なロボット」(あるいは「AI」、「ヒューマノイド」)...。
今まで、ひたすら人間につくし、決して裏切ることのなかった「彼」、その「最期」は...。
...これは、すでに、「46年も前」に作られ、歌われた歌です...。
10.「un autre monde "もうひとつの世界(別世界への旅)"」。
(「オリジナル録音」)
アルバムの、「締めの曲」となるのは、「荘重」にして、「壮大」なインストゥルメンタル曲、「un autre monde "もうひとつの世界(別世界への旅)"」...。
曲中に、毛沢東氏(1893-1976)の「演説」が「引用」されているなど、かなり、「政治的(思想的)な内容」を意識した曲であるとも、言えると思います。
また、1981年3月のオランピア劇場公演では、この曲から「派生」した、「promenade "プロムナード"」も、あわせて歌われています(「オープニング曲」)。
今回のこのアルバム、「un autre monde "もうひとつの世界"」(「オリジナル録音」)は、「動画サイト」にて、「全曲」、公開されています(公式)。
(「リンク」のため、「別ウィンドウ」が開きます)
また、こちらが、「最新の大全集」です。
今回、あらためて、「当時の解説」を読んで感じたことは、
やはり、
「昔ながらのシャンソンは、1980年で終わりを告げた」
と、そう感じている人が「多い」ということ...。
「シャンソン」という言葉は、もともと、「歌」を意味する単語に過ぎず、新しかろうが、古かろうが、「歌は歌」に違いはないのですが、日本では、そこに「特別な意味」を持たせたがるのか、1980年以降の、「新しい(ヌーヴェル・)シャンソン」を、ただ、「若者のための、アメリカナイズされた、(騒がしいだけの、)意味のない歌」として「排除」したがために、「その後が続かなかった」ということです。
そのため、それ以降の「フランスのアーティスト」は、なかなか日本では知られることがなく、バルバラ(1930-97)や、ジュリエット・グレコ(1927-2020)、シャルル・アズナヴール(1924-2018)といった「ベテラン」のアーティストも、その「客層」は、「年配層」に限られてしまったのです。
ZAZ(1980-, 本名イザベル・ジュフロワ)の来日が、「途絶えてしまった」のも、そのことに「原因」があります。
このブログでは、「微力」ながらも、「そうした時代」の曲を採り上げ、「再発見」につなげていきたいと考えています。
これからも、どうか、よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
それではまた...。
(daniel-b=フランス専門)




