今回の記事は、2018年秋、「没後40周年」を記念して書いた記事(「シリーズ」)を、「リブログ」して、「簡略」にまとめたものです(「元の記事」もぜひ、ご覧ください)。

 

 

「伝説のステージ」とも言える、オランピア劇場での、「さよなら公演(アデュー・オランピア)」(1966年10月)「絶唱」で、ブレルを「象徴」する映像とも言えるものです。

 

 

(実際、2005年「愛・地球博」の、「ベルギー館(映像展示)」でも使われていたくらいです...)

 

 

こちらは、2020年、「Blu-ray化」に合わせ、「HDリマスター」が施された、「公式映像」となります。

 

 

 

 

この「アデュー・オランピア1966」にとどまらず、「最後のシーズン」(1966~67年)のステージにて、「イントロダクション」として使われていたのが、ピアニスト、ジェラール・ジュアネスト(1933-2018)作曲によるこちらの曲、「Fugue "フーガ"」ですが、この曲も、「Amsterdam "アムステルダム"」が「モティーフ」となっていると言うことが出来ると思います。

 

 

こちらは、2013年に「初CD化」された際の音源ですが、「中継が入ったため」と思われる、「アナウンス」から収録されています。

(「CD」の音源は、「Blu-ray & DVD(上掲の映像)」とは、「別の日」のテイクとなります)

 

 

 

 

Blu-rayは、日本のプレイヤーでも、再生が「可能」です(「日本語字幕」もあり)。

 

「アデュー・オランピア1966」は、「Blu-ray」、「CD」とも、こちらのセットに含まれています。

 

 

 

 

こちらは、オランピア劇場での公演終了直後である、1966年11月10日のテレビライヴ(「Palmares des chansons(歌のヒットパレード)」)からの映像です。

 

 

声にやや「疲れ」は感じられますが、この映像も、大変「有名」なものです。

 

 

 

 

こちらは、1964年10月の、やはりオランピア劇場公演からの音源ですが、これが「公式録音」として、「レコード」にもなっているため、この曲には、「スタジオ録音」が存在しません。

 

 

また、レコードでは「第1曲目」となっていますが、実際には「3曲目」だったことが知られており、それは、この録音からも分かります。

 

 

「初日」に歌った際、歌い終えた直後から「アンコール」の声が止まず、「あまりのこと」に、ブレルもそれに応えて、「再度」歌ったということです。

 

 

これはまさに、「異例中の異例」の出来事でした。

(ブレルは普段、「アンコールをしない歌手」としても「有名」でした...)

 

 

 

 

こちらがその「ライヴ盤(「全15曲盤」)」。

 

 

このCDは、死ぬ前に聴くべき1001枚のアルバム (1001 Albums You Must Hear Before You Die)」(ロバート・ディメリー編纂。2005年)の1枚にも選ばれた「名盤」です。

 

 

 

 

こちらが最新の「大全集」で、もちろん、上掲の「1964年」、また、「1966年(CDバージョン)」のオランピアライヴも、このセットに含まれています。

 

 

 

 

「ブレルを代表する最高傑作のひとつ」でもあるため、基本的に、現在の「ベストアルバム」には必ず「収録」となっていますが、ここでは、その「主なもの」を挙げておきましょう。

 

 

 

こちらの「2枚組ベスト」には、「最晩年の未収録(だった)5曲」も、すべて含まれています。

 

 

その「1枚もの」の方は、「日本盤」も発売されています(「歌詞対訳」「日本語解説」あり)。

 

 

こちらも「日本盤(2枚組)」ですが、もう、かなり「古い」商品で、「入手」出来るかどうかは「運次第」です。

 

 

 

 

 

以下は、「過去」の「大全集」(現在では、「コレクターズ・アイテム」です)。

 

 

 

 

 

 

こちらは「全歌詞集」となります(書籍)。

 

 

 

 

「ブレル財団」公式サイト

 

 

 

 

さて...

 

 

 

一昨年(2023年)が「没後45周年」、そして昨年(2024年)が、「生誕95周年」という、「記念の年」に当たっていた、「フランスシャンソン界の3大巨匠」のひとり、ジャック・ブレル(1929-78)...。

 

 

 

「10月9日」は、まさにその「命日」でもあるため、今回は、いま一度、その、ブレルを象徴する、「代表作」にして、「最高傑作」のひとつ、「Amsterdam "アムステルダム"」(1964)を振り返ってみたいと思います。

 

 

 

 

当時、「多忙な身」でありながら、次々と「傑作」を発表していた、まさに、「豊作の年」とも言える1964年...。

 

 

 

この曲、「Amsterdam "アムステルダム"」は、その10月の、「オランピア劇場公演」のために用意していた新曲ですが、その本人ですら、「予想だにしていなかったスーパーヒット」となったものでした。

 

 

 

 

まずこの「Amsterdam "アムステルダム"」の「曲」ですが、みなさんもうご存じの、「こちらの曲」から、「ヒント」を得ているものですね。

 

 

 

この曲、「Greensleeves "グリーンスリーヴス"」は、16世紀の、古い「イングランド民謡」ですが、この曲に「インスパイア」され、「Amsterdam "アムステルダム"」を書き上げたブレルは、実は、「その出来に満足できなかった」ということです。

 

 

そのため最初は、「公演のプログラムにも、載せることをためらったほど」だと言いますが、周囲の「説得」もあって、「3曲目」に入れることにしました。

 

 

(現在、一般的に販売されているCDとは違い、やはりその年の初めに発表された傑作、「le dernier repas "最後の晩餐"」が、「第1曲目」でした...)

 

 

 

 

その「オランピア劇場公演」の初日(10月15日)、2000人の観客の前で、ブレルは、「初めて」、この曲を歌いました。

 

 

 

 

観客は、「唖然」として聴いていたということでしたが、曲が終わった途端、一斉に、「割れんばかりの拍手」と「大歓声」が沸き起こったと言います。

 

 

 

その、あまりの「熱狂ぶり」に、ブレル自身も、最初は、「何が起こったのか分からず」、アコーディオンのジャン・コルティ(1929-2015)も、次の曲、「les vieux "老夫婦"」(1963)の前奏を「弾き始めた」ところでしたが、やはりその、あまりの「異様な雰囲気」に、「中断せざるを得ないほど」でした。

 

 

 

繰り返される、「ブラヴォー」と「アンコール」...。

 

 

 

「鳴り止まない拍手」の中で、ブレルはついに、「再び」、この「Amsterdam "アムステルダム"」を歌うことを決めたのでした。

 

 

 

ブレルは、「アンコールをしない歌手」としても「有名」でしたが、このときばかりは、観客の「熱狂的なアンコール」に、「応えてみせた」というものです。

 

 

 

 

「ジャック・ブレルは、(「前座」も含めた)2時間もの間、"魅了された" 2000人の観客を支配し続けた」(クリストフ・イザール。1964年10月16日付け「フランス・ソワール」紙)

 

 

「パリ中が待っていた大嵐」(ジャック・シャンセル。1964年10月19日付け「パリ・ジュール」紙)

 

 

 

 

かつてのレコードでは、この曲を「第1曲目」とするため、「わざと」音質を落とし、曲開始前の「ブラヴォー」をかき消していたところもありました。

 

 

ところが、現在のCDからはそれもなくなり(この記事に載せている音源も、もちろん、「最新」のものです)、他に、「オリジナル曲順」を「再現」したCDまで現われました。

 

 

また、「約1ヶ月」の公演ですから、やはり「別テイク」も、いくつか存在しています。

 

 

 

 

そしてこの曲は、「英語圏」でも「大ヒット」となりました。

 

 

 

当時、フランスに滞在していたアメリカの「作曲家兼歌手」、モート・シューマン(1936-91)が、ある日、ブレルのライヴを見て「電撃的ショック」を受け、何とかブレルの曲をアメリカに「紹介したい」と思い、友人のエリック・ブラウ(1921-2009)と協力して、歌詞を「翻訳」したところ、あの(オフ)ブロードウェイ・ミュージカル、「Jacques Brel is alive and well and living in Paris」(1968)を作り上げたのでした...。

 

 

 

こちらが、その「オリジナル録音」です(1968年3月20日発売)。

 

 

 

 

こちらは、1975年の「映画版」で、モート・シューマンが、自ら歌ったシーンです。

 

 

この映画には何と、ブレル自身も出演しており、「ne me quitte pas "行かないで"」(1958-59)を歌うシーンもあります。

 

 

 

この「英語版」は、いち早く、スコット・ウォーカー(1943-2019))も採り上げました(1967年録音)。

 

 

 

 

2020年に発売された、スコット・ウォーカーの新しい「ブレル集」では、その「後半」に、ブレルの「オリジナル録音」も、あわせて収録されています。

 

 

 

 

そして、何と言ってもこの方、デヴィッド・ボウイ(1947-2016)が採り上げたことでも「有名」です(1973年)。

 

 

ブレルは、このように、「ロック世代」にも、「多大な影響」を与えました。

 

 

 

 

最後に、「アムステルダム」は「オランダの首都」ですから、当然、「オランダの有名歌手」によるカバーもあります。

 

 

そのオランダを「代表」して、リースベト・リスト(1941-2020)の、この歌唱映像(1993年)をどうぞ!!

(「オランダ語訳」は、エルンスト・ヴァン・アルテナです)

 

 

 

 

 

 

それでは以下に、その「Amsterdam "アムステルダム"」の歌詞を載せておくことにいたしましょう。

 

 

 

この曲もやはり、発表が「1964年」ですから、現在では、「差別的と思われる表現」も少なからず見受けられると思いますが、その点はどうか、「時代背景」だと、ご理解ください...。

 

 

 

それよりも、その「鋭い観察眼」と、「表現力」に注目して、聴いていただきたいと思います。

 

 

 

また、ブレルには、「ブリュッセル(ベルギー)なまり」があり、それに加えて、「北方なまり」もあると言われています。

 

 

 

具体的には、「アムステルダム」の発音など、「英語」や「ドイツ語」、「オランダ語」などの、「ゲルマン系諸語」に近づいているといった感じです。

 

 

 

そうしたところも「意識」して聴いていただけると、また「面白い」かと思います。

 

 

 

 

そして「余談」ながら、同じく「フランスシャンソン界の3大巨匠」のひとり、レオ・フェレ(1916-93)は、この曲の「大ヒット」に「嫉妬」し、その「対抗心」から、「Rotterdam "ロッテルダム"」(1970)を書いたと言われています...。

 

 

 

 

 

ありがとうございました。

 

 

 

それではまた...。

 

 

 

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Amsterdam  アムステルダム

 

 

dans le port d'Amsterdam

y a des marins qui chantent

les reves qui les hantent

au large d'Amsterdam

dans le port d'Amsterdam

y a des marins qui dorment

comme des oriflammes

le long des berges mornes

dans le port d'Amsterdam

y a des marins qui meurent

pleins de biere et de drames

aux premieres lueurs

mais dans le port d'Amsterdam

y a des marins qui naissent

dans la chaleur epaisse

des langueurs oceanes

 

アムステルダムの港には

その沖合いで

彼らにとりつく夢を歌う

船乗りたちがいる

アムステルダムの港には

さびれた土手に沿って

のぼり旗のように眠る

船乗りたちがいる

アムステルダムの港には

たくさんのビールと惨劇のすえ

明け方近くに死にゆく(死んだようになった)

船乗りたちがいる

けれどアムステルダムの港には

重苦しい暑さの中

海のけだるさから生まれて来る(生き生きとする)

船乗りたちがいる

 

dans le port d'Amsterdam

y a des marins qui mangent

sur des nappes trop blanches

des poissons ruisselants

ils vous montrent des dents

a croquer la fortune

a decroisser la lune

a bouffer des haubans

et ca sent la morue

jusque dans le coeur des frites

que leurs grosses mains invitent

a revenir en plus

puis se levent en riant

dans un bruit de tempete

referment leur braguette

et sortent en rotant

 

アムステルダムの港には

真っ白なナプキンの上で

水のしたたる魚を食べる

船乗りたちがいる

彼らは歯をむき出しにして

富をむさぼり

月をも欠けさせ

マストの綱に食らいつく

そしてタラの匂いは

その大きな手でおかわりをする

フリット(フライドポテト)の中にまで

しみついている

そして笑いながら立ち上がると

ズボンの前を閉めながら

嵐の吹きすさぶ中

げっぷをしながら出て行く

 

dans le port d'Amsterdam

y a des marins qui dansent

en se frottant la panse

sur la panse des femmes

et ils tournent et ils dansent

comme des soleils craches

dans le son dechire

d'un accordeon rance

ils se tordent le cou

pour mieux s'entendre rire

jusqu'a ce que tout a coup

l'accodeon expire

alors le geste grave

alors le regard fier

ils ramenent leur batave

jusqu'en pleine lumiere

 

アムステルダムの港には

女たちの腹に

自分の腹をすり合わせて

踊っている船乗りたちがいる

彼らはまわり踊る

まるで太陽のように(「車花火」のように)

古びたアコーディオンの

ひどい音に合わせて

彼らは首をよじる

互いの笑い声がもっとよく聴こえるように

アコーディオンの音が

突然鳴り止んでしまうまで

それから重々しいしぐさで

誇らしげな目つきで

彼らはバタヴィア(オランダ)人の伝統を取り戻す

白昼の陽の光に当たるまで

 

dans le port d'Amsterdam

y a des marins qui boivent

et qui boivent et reboivent

et qui reboivent encore

ils boivent a la sante

des putains d'Amsterdam

de Hambourg ou d'ailleurs

enfin ils boivent aux dames

qui leur donnent leur joli corps

qui leur donnent leur vertu

pour une piece en or

et quand ils ont bien bu

se plantent le nez au ciel

se mouchent dans les etoiles

et ils pissent comme je pleure

sur les femmes infideles

dans le port d'Amsterdam

dans le port d'Amsterdam...

 

アムステルダムの港には

飲んだくれる船乗りたちがいる

飲んでは飲んで

また飲み続ける

彼らが飲むのは

アムステルダムの娼婦や

ハンブルクや他の街の娼婦の健康を祈るため

つまりは女たちのために飲むのだ

たった1枚の金貨のために

その美しい身体を捧げてくれる女たちのため

その貞操も捧げてくれる女たちのために

そして飲むだけ飲んだ後は

鼻を空に向けて

星空の中で鼻をかむ

そして彼らは僕が泣くように

不実な女たちに向けて小便をするのだ

アムステルダムの港では

アムステルダムの港では...

 

 

(daniel-b=フランス専門)