こちらは、「オリジナル録音」です(1961年1月録音/同年2月発売)。

 

 

こちらは、1961年11月、パリの劇場、「アランブラ(アルハンブラ)」での公演の「ライヴ録音」です。

 

 

(参考)「アランブラ(アルハンブラ) 1961」と言えば、こちらの曲、「Thank you Satan "サンキュー・サタン"」が発表されたことでも知られています。

 

 

 

昨年(2023年)、「没後30周年」を記念して、「24枚組」の、またあらたな「大全集」が発売となりました。

 

 

 

こちらは、その「大全集」からの「4枚組ベスト」で、「主要な曲」は、だいたい「収録」されていますので、「お薦め」と言えるでしょう。

 

 

 

こちらは、「3分割」で発売された、「前回」(2020年)の「大全集」ですが、今回の曲は、このセットに収録されています。

 

 

 

 

「一番の盟友」であった、カトリーヌ・ソヴァージュ(1929-98)(「3月19日」が「命日」です!!)も、もちろん採り上げています。

 

 

「最初期」には、なかなか「人気」の出なかったレオ・フェレでしたが、そんなフェレの曲を聴いて「魅了」され、その「紹介」に努めたのがカトリーヌ・ソヴァージュで、後に、「偉大なレオ・フェレ歌い」として、「シャンソン史」にも、大きく、「名前」を残すことになりました。

 

 

「オリジナル録音」は、やはり1961年の発売です。

 

 

こちらは、1979年、パリの劇場、「(プティ・)テアトル・ド・パリ」での公演の「ライヴ録音」です。

 

 

音量が小さめなのが残念ですが、テレビで歌った映像も残されています。

(1968年3月28日放送)

 

 

 

そして何と、ついに、1982年7月、「東京・草月ホール」での「ライヴ録音」の音源が、動画サイトにアップされました!!

 

 

これは本当に、「大変貴重な録音」です!!

(レコードも、当時、「希望者」にのみ販売の、「完全生産限定品」でした)

 

 

 

このような「クリアな音質」で聴くことが出来たのは、何と「初めて」のことです。

 

 

当時は、テレビで「深夜」の放送で、音量を絞ってしか聴くことが出来ず、また、録音したカセットテープも、音が出なくなって久しいため、本当に、「40年以上ぶりによみがえった感動」だと言うことが出来ます!!

 

 

この「プログラム後半(PART2)」で、今回の曲、「est-ce ainsi que les hommes vivent "男の生き方"」(10分03秒頃から)が歌われていますが、2曲後には、当時からの「お気に入り曲」である、「attendez "待って(待ってください)"」(1971)も歌われています(17分55秒頃から)

 

 

 

この機会に、どうぞお聴きください!!

 

 

 

こちらは、その「attendez "待って(待ってください)"」の「オリジナル録音」です。

 

 

またこちらは、同公演の「プログラム前半(PART1)」となります。

 

 

この「前半」でも、レオ・フェレ(1916-93)の曲が多く歌われていますが、後述する、「ライバル」、ジョルジュ・ブラッサンス(1921-81)が、やはり大詩人ルイ・アラゴン(1897-1982)の詩に曲を付けた作品、「il n'y a pas d'amour heureux "幸せな愛はない"」(1943-53)もまた、歌われています(31分35秒頃から)

 

 

 

(参考)カトリーヌ・ソヴァージュについての記事

 

 

(「attendez」の歌詞対訳を載せています)

 

 

これまでの記事

 

 

 

さて...

 

 

何の脈絡もないようで申し訳ありませんが、2月24日は「あの日」ということで、また、季節(暦)的には、間もなく「冬が終わる」ということで、少し「寒々しく」感じられるかも知れませんが、「冬が似合う曲」を、今のうちに紹介しておきたいと思います。

 

 

「その曲」とは...

 

 

 

「大詩人」ルイ・アラゴン(1897-1982)の詩(1956)に、フランスシャンソン界の「3大巨匠」のひとりである、レオ・フェレ(1916-93)が曲を付けた作品、「est-ce ainsi que les hommes vivent "男の生き方"」(1961)。

 

 

 

 

レオ・フェレの「盟友」となったカトリーヌ・ソヴァージュは、先に、ジョルジュ・ブラッサンスが曲を付けた作品、「il n'y a pas d'amour heureux "幸せな愛はない"」(1943-53)を歌っていたことから、原詩を書いた、ルイ・アラゴンとも知り合っていました。

 

 

また、レオ・フェレも、1956年に刊行されたアラゴンの詩集、「le Roman inacheve(未完の物語)」に出合っており、その、「抒情的」で、「メロディアス」な作風を、大いに「気に入った」ということです。

 

 

レオ・フェレ自身は、アラゴンとは、一度か二度、「すれ違っただけ」ということでしたが、その後、カトリーヌ・ソヴァージュを通して知り合うこととなり、アラゴンを自宅に招き、その作品集を録音する話を進めていくことになりました。

 

 

しかし当時、フェレは、バークレーへの移籍の話が持ち上がって来たころでもあったため、「曲」は作られていきましたが、「発表」に至ることはありませんでした。

 

 

そして1960年、バ―クレ―へ移籍が決まると、社長のエディー・バークレー(1921-2005)がまず求めて来たものは、「大衆に受ける曲」でした。

 

 

そのため、「jolie mome "ジョリ・モーム"」「Paname "パナム"」といった曲から先に発表されることとなり(1960年)、アラゴンの作品をまとめたレコードは、その翌年に「持ち越し」ということになったのです。

 

 

 

今回の曲、「est-ce ainsi que les hommes vivent "男の生き方"」は、こうして、「発表」された1曲です。

 

 

 

 

(参考)「il n'y a pas d'amour heureux "幸せな愛はない"」(カトリーヌ・ソヴァージュ)(1961年録音盤)。

 

 

ブラッサンスが曲を書いた際、この詩は、「最終節」が欠落しており、他にも若干の「変更」が加えられていたということですが、カトリーヌ・ソヴァージュのこの「1961年録音盤」では、その「最終節」が「復元」されたということです。

 

 

 

(参考)ブラッサンス自身による歌唱映像(1975年3月19日放送)。

 

 

(参考)この曲についての記事(「歌詞対訳」も載せています)

 

 

(参考記事)

 

 

 

 

アラゴンの詩集、「le Roman inacheve(未完の物語)」をもとに作られたアルバム、「les chansons d'Aragon "アラゴンの歌"」(1961)に収録された曲としては、次の2作が、特によく知られていると思います。

 

 

 

「l'affiche rouge "赤いポスター"」(原題「strophe pour se souvenir "忘れない(思い出す)ための詩"」)。

 

 

(1944年、「ナチス占領下のフランス」での「実話」を描いた作品です。

 

また、この映像は、1986年のライヴからのものです)

 

 

 

「l'etrangere "異国の女"」。

 

 

 

 

今回の曲、「est-ce ainsi que les hommes vivent "男の生き方"」の、「代表的なカバ―」を挙げておきましょう。

 

 

 

イヴ・モンタン(1921-91)(1962年録音)。

 

 

フィリップ・レオタール(1940-2001)(1993年12月8日放送)。

 

 

ベルナール・ラヴィリエ(1946-)。

(ベルナール・ラヴィリエもまた、レオ・フェレの影響を、特に強く受けている歌手のひとりです)

 

 

 

(参考)トマ・デュトロン(1973-)(2015年)。

 

 

トマ・デュトロンは、歌手で俳優のジャック・デュトロン(1943-)と、フランソワーズ・アルディ(1944-)の「(実の)息子」です。

 

この曲は、「カバ―」と言うよりは、トマ・デュトロンの「オリジナル曲」で(「曲」は、ダヴィッド・シロンが書いています)、「Aragon "アラゴン"」というのが、「正式なタイトル」のようです。

 

 

2015年に発表されたアルバム、「eternels, jusqu'a demain "永遠なるもの 明日までの"」の「トップナンバー」となっています。

 

 

 

 

それでは以下に、「est-ce ainsi que les hommes vivent "男の生き方"」の歌詞を載せておくことにいたしましょう。

 

 

 

「時代的な背景」もあって、少し「差別的な表現」、「刺激の強い表現」もあるかと思いますが、この作品の「歴史的価値」を鑑み、なるべく、原文に「忠実」に訳すよう努めました。

 

 

 

まさに「時代遅れ」とも言える「現在の世界情勢」を考えるとき、この詩の「背景」も、あるいは「理解できる」のではないでしょうか。

 

 

 

ちなみにこの詩、「原題」は、「Bierstube German Magic(ビールバー ジャーマン・マジック)」というそうです。

 

 

 

 

「自嘲の響き」が感じられるレオ・フェレと、「哲学的」で、「悲劇性」すら、感じることの出来るカトリーヌ・ソヴァージュ。

 

 

 

どちらも、大変「聴きもの」だと思います。

 

 

 

 

ありがとうございました。

 

 

それではまた...。

 

 

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est-ce ainsi que les hommes vivent  男の生き方(詩:ルイ・アラゴン)

 

 

tout est affaire de decor

changer de lit, changer de corps

a quoi bon puisque c'est encore

moi qui moi-meme me trahis

moi qui me traine et m'eparpille

et mon ombre se deshabille

dans les bras semblables des filles

ou j'ai cru trouver un pays

coeur leger, coeur changeant, coeur lourd

le temps de rever est bien court

que faut-il faire de mes jours?

que faut-il faire de mes nuits?

je n'avais amour ni demeure

nulle part ou je vive ou meurs

je passais comme la rumeur

je m'endormais comme le bruit

 

est-ce ainsi que les hommes vivent?

et leurs baisers au loin les suivent

 

ベッドを替え、女を替えたところで無駄なこと

すべては、うわべだけのことに過ぎない

なぜなら

いまだに、俺自身を裏切っているのが俺

さまよい、気を散らかしているのが俺

そして、ついに故郷を見つけたと

代わり映えのしない娘たちの腕の中で

服を脱ぐのが、俺の影

軽々しい、移りげな、それでいて鈍重な心よ

夢を見ることの出来る時間は、何て短いのだ

日々、何をしたらいいのだ

夜ごと、何をすべきなのだ

俺には愛も、住み家もなかった

俺が生き、死ぬ場所など、どこにもない

ざわめきのように、俺は通り過ぎ

騒音のように、眠りについていた

 

これが、男の生き方なのか

その口づけに、遠く追い回されながら

 

c'etait un temps deraisonnable

on avait mis les morts a table

on faisait des chateaux de sable

on prenait les loups pour des chiens

tout changeait de pole et d'epaule

la piece etait-elle ou non drole

moi si j'y tenais mal mon role

c'etait de n'y comprendre rien

dans le quartier Hohenzollern

entre la Sarre et les casernes

comme les fleurs de la luzerne

fleurissaient les seins de Lola

elle avait un coeur d'hirondelle

sur le canape du bordel

je venais m'allonger pres d'elle

dans les hoquets du pianola

 

est-ce ainsi que les hommes vivent?

et leurs baisers au loin les suivent

 

あれは、狂気の時代だった

死者を食卓に並べていた

俺たちは、砂で城を作り

狼と犬の区別すらつかなかった

目標もやり方もまるで変え

あの茶番劇の出来は、良かったのだろうか、どうだろうか

俺は、自分の役割を果たしていたとは言えないものの

何も分かっちゃいなかったというところだろうか

ザール川と、兵舎の間の

ホーエンツォルレンの街で

ウマゴヤシの花のように

ローラの胸は咲いていた

彼女は、燕の心を持っていて

俺は、あの娼館の長椅子で

彼女のそばに横たわっていたものだ

ピアノラ(自動ピアノ)のしゃっくりを聴きながら

 

これが、男の生き方なのか

その口づけに、遠く追い回されながら

 

le ciel etait gris de nuages

il y volait des oies sauvages

qui criaient la mort au passage

au-dessus des maisons des quais

je les voyais par la fenetre

leur chant triste entrait dans mon etre

et je croyais y reconnaitre

du Rainer Maria Rilke

elle etait brune et pourtant blanche

ses cheveux tombaient sur ses hanches

et la semaine et le dimanche

elle ouvrait a tous ses bras nus

elle avait des yeux de faience

et travaillait avec vaillance

pour un artilleur de Mayence

qui n'en est jamais revenu

 

est-ce ainsi que les hommes vivent?

et leurs baisers au loin les suivent

 

空は、雲で覆われ灰色だった

野雁の群れが

死を叫びながら

河岸の家々の上を飛んでいった

俺は、それを窓から見ていた

その悲痛な歌が、俺の中にしみ込んでいた

そこで俺は

ライナー・マリア・リルケの詩の一節を見た思いがした

彼女の髪は褐色で、しかし色白だった

その髪は、腰のあたりまで下りていた

平日も日曜も

彼女は、その裸の腕を、来るものすべてに開いていた

陶器のような眼をして

彼女は気丈に働いていた

もう二度と戻って来ることのなかった

マインツ出身の、ある砲兵のために

 

これが、男の生き方なのか

その口づけに、遠く追い回されながら

 

il est d'autres soldats en ville

et la nuit, montent les civils

remets du rimmel a tes cils

Lola, qui t'en ira bientot

encore un verre de liqueur

ce fut en avril a cinq heures

au petit jour que dans ton coeur

un dragon plongea son couteau

 

街には、他の兵士たちもいる

夜には、市民もやって来る

ローラ、マスカラをまつ毛に

君はもうすぐ行ってしまう

酒をもう一杯

それは、4月の朝5時のことだった

夜明けに、騎兵のひとりが

そのナイフで、君の心臓を貫いたのだった

 

est-ce ainsi que les hommes vivent?

et leurs baisers au loin les suivent

comme des soleils revolus

 

これが、男の生き方なのか

その口づけに、遠く追い回されながら

太陽が、その周期を全うするかのように...

 

(daniel-b=フランス専門)