今回の記事は、やはり、その「訃報」に接した当時の記事を、「リブログ」して書いているものですが、その「事実」を知ったのも、本当に、「偶然」のことでした...。

 

その「逝去」を伝える、当時のニュースです。

 

 

(関連記事)ベルギーの放送局「RTBF」による、「当時」の記事(フランス語)

 

https://www.rtbf.be/article/gerard-jouannest-le-pianiste-de-jacques-brel-est-mort-9920842

 

 

 

「コンセルヴァトワール・ド・パリ(パリ国立高等音楽院)」の「ピアノ部門」を、「首席」で卒業したというジェラール・ジュアネスト(1933-2018)は、真に「優れた音楽家」であるとも言うことが出来ますが、ここでは、その「作曲」についての「秘密」を、明かしてくれてもいます。

 

 

 

「ブレル財団」公式サイト

 

https://fondationbrel.be/

 

 

 

「ジャック・ブレル」がテーマの記事一覧

 

(「今回の記事」も、「こちら」に分類しております)

 

 

「ジュリエット・グレコ」がテーマの記事一覧

 

 

 

...さて...

 

 

つい先日の、モラーヌ(1960-2018)の記事でも書いたばかりですが、5年前、「2018年」は、本当に、私の知っている「大スター」の「訃報」が相次いだ年でもありました...(フランス・ギャル、そして、シャルル・アズナヴールなどなど...)。

 

 

その、モラーヌの「急逝」を知ったことから、当時、そのことにも関連する、次の「新たな記事」を書いていたところ、「参照」していた「ウィキペディア」のページにて、本当に、本当に「偶然」に、その「逝去」を知ることになってしまったのが、今回のこの方、ジェラール・ジュアネストだったのです。

 

 

「仕上げ」に入っていた段階であったため、記事の「修正」がとても間に合わず、やむを得ず、「速報」の形で、その「訃報」を入れることになったのが、「2018年5月18日付け」のこちらの記事です。

 

 

 

そう、「この曲」ですね。

 

「la chanson des vieux amants "懐かしき恋人たちの歌"」(1967)...。

 

 

ブレルを「敬愛」していたモラーヌが、とても「大切」にしていたと思われる作品で、その死の「前日」(2018年5月6日)にも、ステージに立って歌っていたのが「この曲」でした..。

 

 

(参考)「モラーヌ没後5周年」の記事(5月9日付け)

 

 

 

当時、そのモラーヌのためにも、急きょ、予定を「前倒し」で書いていた記事に、まさか、「速報」という形で、その「作曲者」(ブレルと「共作」)の「訃報」を載せることになるとは、本当に、夢にも思いませんでした...。

 

 

 

ジャック・ブレル(1929-78)や、ジュリエット・グレコ(1927-2020)の「ファン」の方であるならば、もはや、「詳しい説明」は「不要」であるとも思いますが、いま一度、「簡単」に、このジェラール・ジュアネストの「経歴」を、「振り返ってみる」ことにしましょう...。

 

 

 

1933年5月2日、パリの南西の郊外、ヴァンヴに生まれたジェラール・ジュアネストは、祖父がピアノ製造に携わり、父も「音楽好き」だったことから、音楽的には、「恵まれた」環境で育ち、1946年、何と、「12~13歳」の年に、「コンセルヴァトワール・ド・パリ(パリ国立高等音楽院)」に入学を認められ、その後、ピアノ部門を「首席」で卒業したという、まさに、「神童」とも言える音楽家です。

 

 

兵役後、家計を助けるため、若くして演奏活動を始めることになりましたが、ジェラールの「運命」を、「決定的」に変えたのが、1958年、ジャック・ブレルとの「出会い」でした。

 

 

当時、「ピアニスト」であったフランソワ・ローベール(1933-2003)を連れて、名プロデューサー、ジャック・カネッティ(1909-97)のミュージック・ホール、「トロワ・ボーデ(三匹のロバ)」に出演していたブレルでしたが、彼らのそのパフォーマンスは、ジェラールの心を、大きく惹きつけることになりました。

 

 

ジェラールは、もはや、ためらうことなく仲間に加わり、「伴奏ピアニスト」として、活動を開始しました。このことから、フランソワは、自身のオーケストラを率いて、「編曲」、「指揮」に「専念」することにもなったのです...。

 

 

(1961年のオランピア劇場公演では、劇場のオーケストラによる伴奏だったために、フランソワも、ピアノを弾いています)

 

 

 

ブレルからの「要請」もあり、ジェラールは、「作曲」も始めることになりました。

 

 

 

その「最初」の作品となったのが、あの有名な、「ne me quitte pas "行かないで"」(1958-59)です。

 

 

 

こちらの、「1972年再録音盤」は、シャンソンの「スタンダード」として、広く知られています(「公式」の、「歌詞入り」MVです)。

 

 

また、日本でも、比較的「早い」時期に、「有名歌手」による「カバー」がありました!!

 

1974年10月20日、「東京郵便貯金ホール(現「メルパルク東京」)」にて開催された、「西城秀樹リサイタル/新しい愛への出発」の、何と、「オープニング曲」とのことです!!

 

 

たかたかしさん(1934-)の訳詞によるこのバージョンは、タイトルが「泣かないで」となっていることから、「原曲」を知らない場合、もしかすると「気づかない」可能性もありますが、「曲」を聴けばこの通り、「すぐに分かる」と思います。

 

 

そして、「ヒデキファン」の方ならもうお気づきでしょう...!!

 

 

この曲の作曲者、ジェラール・ジュアネストの「命日」は、西城秀樹さん(1955-2018)とまったく同じ、「(2018年)5月16日」なのです!!

 

 

 

もっとも、この曲の「作曲当時」、ブレルとジェラールはまだ「出会ったばかり」であり、ジェラールは、フランスの「著作権協会(SACEM)」に登録していなかったため、「作曲者」とは認められず、現在に至っても、この曲の「作曲者欄」に、その名前が記されることはありません...。

 

 

(この曲の「作曲」に「苦労」していたブレルにとっては、本当に、「ナイスアシスト」でもあったのですが...)

 

 

 

そのことを「不憫」に感じたブレルは、後に、新しい「ピアノ」を、ジェラールに「贈った」ということです。

 

 

 

「現在」では、この「ne me quitte pas "行かないで"」の「作曲」は、依然、「記載はないまま」ではありますが、ブレルとジェラールの「共作」であることは、もはや、「周知の事実」となっています...。

 

 

 

ジェラールは、ピアノのその「特性」を「最大限」に活かし、「クラシカル」でありながら、「華麗」とも言える「曲作り」で、ブレルを支え続けました。

 

 

ブレルの「大ヒット曲」の「多く」が、この、ジェラールの曲、または、「共作」となっています。

 

 

 

そうした曲をもう少し、あらためて、見て行くことにしましょう。

 

 

 

1972年6月、かつての「代表作」を、新たにレコーディングし直したアルバムでは、「編曲・指揮」、フランソワ・ローベールの腕も「熟練」の域に達し、たとえば、この「Marieke "マリーク"」(1961-72)でも、さらに「立体的」で、「厚み」のある音作りとなっていることがよく分かります。

 

 

「親友の死」を悼む、「硬質」な追悼歌、「Fernand "フェルナン"」(1965)。

 

この映像は、当時の「ツアー先」、リヨンからの「中継」で、パリのスタジオにいた「レジェンド」、シャルル・トレネ(1913-2001)が、「bonsoir!(こんばんは)」と呼びかける場面から収録されています。

 

 

そして、ジェラールとの「共作」の中でも、「最高の位置」にあると言えるのが、この「j'arrive "孤独への道"」(1968)です(「原題」は、「いま行くよ」という「日常語」でもありますが、実は...)。

 

 

当時のフランスでは、その「評価(扱われ方)」が、意外と「低かった」というのも本当に「驚き」ではありますが、「現在」では、「正当な評価(?)」がなされているようでもあります...。

 

 

 

1974年に「肺がん」の手術を受けた後、画家ゴーギャン(1848-1903)に倣って、南太平洋、「フレンチポリネシア」の「マルキーズ(マルケサス)諸島」に移り住んだブレルが、島で書いた作品を持って、密かに、パリに戻って来たのが、「1977年8月後半」のこと。

 

ジェラール、フランソワと「再会」したブレルは、ここで、再び、「共作」となる曲を作ってもいますが、その「オリジナル盤」(当時の「全12曲盤」)に、「唯一」、収録されたのが、ジェラールとのこの曲、「vieillir "老いること"」でした...。

 

 

こちらは、ブレルの「最新の大全集」となります。

以上の曲は、「すべて」収録されています。

 

 

 

ここで、この記事を書くに当たり「発見」した、極めて「珍しい」作品をご紹介しましょう(ジェラールの「FB」より)。

 

 

 

現在では、「完全に忘れ去られた」と言っても過言ではない歌手、アンナ・リーベール...。

 

 

「検索」しても、レコードの「データ」と、わずかばかりの「音源」がアップされているだけで、その「詳細」は、すでに「分からなく」なってしまっています...。

 

 

「Facebook」より(「音源」)

 

 

この「レコード」についてのデータ。

 

 

「un coeur de cigale "セミの心(楽天家/浪費家?)"(仮)」(1969)という「シングル」の、これはどうやら「B面」の曲、「Fanny la flamande "フランドルの女、ファニー"」のようですが、この方も、何となく、エディット・ピアフ(1915-63)を思わせる「声」と「唱法」ですよね...。

 

また、「la flamande」というタイトルから察するに、この方もまた、「ベルギー」の出身なのでしょうか?

 

「現在」となっては、まったく「謎」のままではありますが、たしかに、「作曲者」として、ジェラールの名が載っています...。

 

 

 

ジェラール・ジュアネストはまた、主に「ラップ」で歌う歌手、アブダル・マリク(1975-)とも「コラボ」していました。

 

 

2006年のアルバム、「Gibraltar "ジブラルタル"」から、ジェラールが曲を書き、ピアノを弾いている「3曲」のひとつ、「la gravite "重力(重大さ)"」をどうぞ。

 

 

 

そして、1988年4月に正式に「結婚」し、「公私」ともに、「その後の人生」を共に歩んだ、ジュリエット・グレコ...。

 

 

「作曲者」として、ジェラールの名前が登場する「最初」の作品となったのが、この「on n'oublie rien "人は何も忘れない"」(1960-61)ですが、「詞」を書いたブレルが、この曲を持って、ジェラールとともにグレコの自宅を訪れたのが、「1959年」のことだということです(グレコの自伝、「Jujube (邦題「グレコ 恋はいのち」)」より)。

 

 

ジェラールが書いたグレコへの曲では、最も「有名」なのが、この作品ではないでしょうか。

 

「non Monsieur, je n'ai pas 20 ans "ノン・ムッシュー、私は20歳じゃない"」(1977)。

 

 

そして、事実上、グレコへの「最後の作品」となったのが、「この曲」でしょう...。

 

「Merci "メルスィ(ありがとう)"」(2015)。

 

「詞」は、クリストフ・ミオセック(1964-)が書いています。

 

 

この曲については、「ジャンマリ・ヴェさん」が「日本語訳」付きで「紹介」されてもいます(2020年9月24日付け)。

 

 

 

大野修平先生も、「記事」を書かれています。

https://e-magazine.latina.co.jp/n/nc9268365ca92

 

 

 

 

 

 

(再掲)最後は、1988年11月、ブレルの「没後10周年」を機に、「来日公演」にて行なわれた、ジュリエット・グレコ(1927-2020)、ジェラール・ジュアネスト(1933-2018)による、「オール・ブレル・プログラム」からの音源です。

 

 

「盟友」への、その結婚の「報告会」といった意味合いもあったこのライヴ...。

 

 

その冒頭で演奏された、ジェラールによる「ソロ曲」、「ブレルへの花束」を、あらためてどうぞ。

 

 

「原題」を、「quatre notes pour quatre lettres pour un nom "Brel"」というこの曲は、「BREL」の4文字を、それぞれ、「B(シ)」、「D(レ)」、「E(ミ)」、「A(ラ)」の音に置き換え、「イントロ」、「ブリッジ」、「コーダ」に、これらを使いながら、「11曲」を「メドレー」で弾いています。

 

 

「曲目」は以下の通り。

 

 

「イントロ」

1.「regarde bien petit "ごらんよ坊や"」(1968)

2.「le Bon Dieu "神様(ある夜のメルヘン)"」(1977)

3.「les flamandes "フランドルの女たち"」(1959)

4.「la valse a mille temps "華麗なる千拍子"」(1959)

5.「Amsterdam "アムステルダム"」(1964)

6.「Mathilde "いとしのマティルド"」(1963-64)

7.「le plat pays "平野の国"」(1961-62)

8.「Marieke "マリーク"」(1961)

9.「les bonbons "ボンボン"」(1964)

10.「le moribond "瀕死のひと"」(1961)

11.「vieillir "老いること"」(1977)

「コーダ」

 

 

ピアノ:ジェラール・ジュアネスト

 

 

 

ありがとうございました。

 

 

それではまた...。

 

 

(daniel-b=フランス専門)