この記事は、「最初期」に書いた記事(2016年5月21日付け)を「リブログ」して書いています。

 

こちらは、ブレルによる「オリジナル録音」です(1965年11月6日録音)。

 

 

 

こちらは、最新の「大全集」です。

 

 

以下は、「過去」の「大全集」(現在では、「コレクターズ・アイテム」です)。

 

 

 

 

 

 

「公式サイト」(「統一」されました)。

「ブレル財団」も、今年で「創立40周年」となります。

 

これまでの記事(ブレルを歌う「オランダ語圏の歌手」についても「こちら」から)

 

 

 

*まず初めに、本日(10月6日)未明、青森県を中心とした広い地域で発生した「大地震」(最大震度「5強」)に遭われたみなさまに、心よりお見舞いを申し上げます。

 

今後も、引き続き、ご注意ください。

 

「昼」と「夜」の違いはありますが、「2時46分」という発生時刻は、あの「東日本大震災」と「同じ」で、何か「不気味」な感じもいたします...。

 

 

他にも、今年の「ノーベル物理学賞」に、アメリカ・プリンストン大学の上席研究員、真鍋淑郎さん(90)が選ばれたという、「ビッグニュース」が入って来ました。

 

もちろん、その「研究の成果」は、「常人」には遠く及ばない世界のお話ですが、このように、「長年の研究」が「認められる(報われる)」ということは、大変「喜ばしい」ことだと思います。

 

 

また、ブログの「本日のお題」として、「今日は夢を叶える日」(「ド(10)リーム(6)」という「語呂合わせ」に由来)というものがありましたが、私が「長年の夢」を叶えて、初めて「パリ&ブリュッセル」へ向けて「出発」したのが、まさに、「(2008年)10月6日」のことでした...。

 

 

 

先日(9月17日付け)の記事でも書いていますが、ジャック・ブレル(1929-78)の「出身地」でもある、ベルギーの首都「ブリュッセル」というのは、実は、「オランダ語圏」にありながら、その「8割」の住民が「フランス語」を話すと言われています。

 

そのために、「戦争」とまで呼ばれた、長年の「言語対立」の「要因」ともなっていましたが、現在では、「2言語併用地域」として、街なかの「看板」、「標識」なども、フランス語、オランダ語の「両方」で表示することが「義務づけ」られています。

 

 

こちらの記事もご参照ください。

 

 

今回は、「9日」の、ブレルの「命日」に先立って、やはり、ブレルに関連した、「オランダ語圏」の歌手について書いてみたいと思いますが、今回紹介するリースベト・リスト(1941-2020)は、この「元の記事」(今回の記事は、その「リブログ」です)のみならず、これまでにも、何度か、記事中に「登場」させてもいる、「有名歌手」のひとりでもあります。

 

 

「旧オランダ領」であった、インドネシア・バンドンに生まれたリースベト・リストは、生後すぐの頃に、「旧日本軍」による「占領」のため、「母親」とともに「収容所」に送られました。

 

4年後に、ようやく「解放」となったその数週間後、母親は、自ら、その命を絶ってしまったということです。

 

その後、父親とともにオランダへと戻り、やがて、父親は「再婚」しましたが、その「後妻」は、大変「冷たかった」といいます。

 

このように、まったく「恵まれた」とは言えない環境で育ったからなのか、あるいは、その「逆境」をはねのけて来たからなのか、彼女の歌は大変力強く、ブレルを歌うのは、「必然」だったのかも知れません。

 

「幼少時」の「苦難の体験」は、バルバラ(1930-97)にも通ずるところがあるようにも思います。

 

1959年に、アムステルダムへと出た後は、オランダの伝説的な歌手、ラムセス・シャフィ(1933-2009)とのコラボで成功を収め、1965年には、かつて、ブレルも参加したコンクール、「ヨーロッパ・カップ」(ベルギー・クノック)で「ベスト・デュオ」を勝ち取ってもいます。

 

 

 

こちらの録音は、冒頭に挙げている、ブレルの名曲、「les desesperes "望み失せし人々"」(1965)の「オランダ語版」、「de radelozen」(1969)です。

 

この「オランダ語訳」は、アムステルダム出身の詩人で、作家、翻訳家でもある、エルンスト・ヴァン・アルテナ(1933-99)の手によるもので、ブレル自身も、彼の翻訳による「オランダ語版」を、「8曲」、録音してもいます(うち「4曲」には、「翻訳者」の記載がありませんが、エルンスト・ヴァン・アルテナで、まず、「間違いはない」と思われます)。

 

 

私が、リースベト・リストを知る「きっかけ」となったのが、まさに、「この曲」でした...。

 

 

 

 

このCDについての詳細データ

 

リースベト・リストの公式サイト(オランダ語)

 

 

この曲は、やはり、オランダの歌手、イェルン・ウィレムス(1962-2012)によっても歌われています(ライヴ録音)。

 

 

イェルン・ウィレムスについての記事

 

 

リースベト・リストによるバージョンは、そのまま、ブレル自身が「監督」、「脚本」、「音楽」、「主演」を務めた映画、「わが友フランツ(Franz)」(1971)の「オープニング・テーマ」として使われました。

 

この映画、「わが友フランツ」は、バルバラとの「共演」でも「話題」となりました。

 

 

「ロケ地」は、ベルギーの「オランダ語圏」である、「la cote belge(ベルギー海岸)」の各地で、ブランケンベルへ、デ・パンネ、ウェンドゥイネ(ともに、「ウェスト=フランデレン州」)という名前が挙がっています(「撮影時期」は、1971年6月~8月)。

 

 

こちらは、もうひとつのテーマ曲である、「valse Franz "ヴァルス・フランツ"」(ブレル&フランソワ・ローベール作曲)ですが、この「オーケストラ版」は、「映画本編」では使われることはなく、「手回しオルガン」にて演奏されたバージョンが使われています。

 

 

この「valse Franz "ヴァルス・フランツ"」は、後に、バルバラの公演にて、「退場曲」として演奏されるようになりました。

 

こちらは、1990年3月に録音された、パリ・モガドール劇場公演からの音源です。

 

 

このモガドール劇場公演で発表された「新曲」のひとつ、「Gauguin "ゴーギャン"」は、後に、「ブレルへの手紙」という「サブタイトル」がつけられたように、実は、「ブレル」のことを歌ったものです。

 

この曲の最後に、バルバラは、映画「わが友フランツ」で、自身が演じた役名、「レオニ」を、「暗号」のように使って、同じく、ブレルが演じた役、「レオン」に伝えようとしています。

 

 

これらの曲についての記事(「歌詞対訳」、「商品リンク」はこちらからどうぞ)

 

 
 

リースベト・リストについて、あらためて「検索」してみたところ、何と、昨年の3月25日に亡くなっていたことが分かりました(その翌週、「3月31日」には、「ブレル夫人」であった、「ミッシュ」こと、テレーズ・ミシェルセンも亡くなっています...)。

 

2017年に、「認知症」の発症が認められたため、「引退」を決意したという「事実」も「衝撃的」ですが、その後を「支援施設」で過ごし、「睡眠中」に亡くなったということも、また「衝撃」です...。

 

 

こちらは、1993年の映像で、ブレルの「Amsterdam "アムステルダム"」(1964-69)を歌ったものです。

 

歌詞は、もちろん「オランダ語版」(エルンスト・ヴァン・アルテナ訳)によります。

 

 

(参考)「アムステルダム」についての記事(原曲の「歌詞対訳」、「商品リンク」はこちらからどうぞ)

 

 

こちらは、オランダのテレビで、長年の「相棒」でもあった、「大歌手」、ラムセス・シャフィ(1933-2009)と、「デュエット」の大ヒット曲、「pastorale "パストラーレ"」(1968-69)を歌った時の映像です(「詳細データ」は「不明」です)。

 

 

あらためて、リースベト・リストのご冥福をお祈りしたいと思います。

 

 

合掌...。

 

 

リースベト・リスト(1941.12.12-2020.03.25)

 

 

 

最後に、やはり、「欧州の新幹線」こと、「Thalys(タリス)号」の、「運転台」からの「前面展望映像」を載せておきましょう(2018年撮影)。

 

今回は「オランダ」ということで、アムステルダムの「中央駅(Amsterdam Centraal)」から、ブリュッセルの「南駅(蘭:Brussel-Zuid/仏:Bruxelles-Midi)」まで、約「1時間45分」の旅となります。

 

(最初に、「約8分」の「回送区間」を含みます。また、列車はその後、引き続き、終点「パリ北駅(Gare du Nord)」まで運転されます)

 

(追記)

(ワーテルグラーフスメール駅出発)(00:52)

~「回送区間」~

(0km)アムステルダム中央駅出発(09:35)

(17km)スキポール空港駅到着(23:04) 

(70km)ロッテルダム中央駅到着(42:30)

(オランダ/ベルギー国境通過)(1:01:45)

(165km)アントウェルペン中央駅到着(1:17:25)

(ブリュッセル中央駅通過)(1:48:03)

(212km)ブリュッセル南駅到着(1:51:00)

 

*ブリュッセル南駅-パリ北駅間は312km。この区間は「ノンストップ」で、所要1時間22分。

 

「最高速度」は、やはり「300km/h」ですが、日本の「フル規格新幹線」と違い、ともに「標準軌(軌間1435mm)」の「高速新線」、「在来線」をつないで走るため、「速度制限」も多く、「電源切替」なども頻繁に行なわれることから、所要時間は「長め」となっています。

 

「アムステルダム-ブリュッセル」間約200km、「ブリュッセル-パリ」間約300kmは、それぞれ、「大阪-名古屋」、「名古屋-東京」と「同じくらい」の距離だと言えば、「分かりやすい」と思います。

 

 

(参考)この列車についての記事(「ブリュッセル-パリ」間の映像は、こちらにてどうぞ)

 

 
それでは以下に、ブレルの歌った、「les desesperes "望み失せし人々"」の、「オリジナル版」の歌詞、および、リースベト・リスト、イェルン・ウィレムスが歌った、エルンスト・ヴァン・アルテナによる、「オランダ語版」の歌詞を載せておくことにいたしましょう。
 
フランス語の「オリジナル版」の歌詞はもちろん、ブレル自身が書いていますが、曲は、ブレルと、その「ピアニスト」であった、ジェラール・ジュアネスト(1933-2018)との「共作」です。
 
この曲は、ブレルがまだ「ステージ」で活躍していた、1965年に書かれ、「発表」されたものですが、その「スタイル」は、すでに、「ステージ引退後」(「後期」 1967年以降)を「先取り」してもいるような印象です。
 
 
「霧雨」の中、「歩く」彼らの姿を「想像」しながら聴いてみてください...。
 
 
「オランダ語版」は、「原詞」のみの掲載とさせていただきますが、内容は、「オリジナル」に大変「忠実」な、「優れた翻訳」だと思います(「英訳」、「仏訳」にて「確認済み」です)。
 
 
「長く」なりました。
 
 
それではまた...。
 

 

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les desesperes  望み失せし人々

 

se tiennent par la main et marchent en silence
dans ces villes eteintes que le crachin balance
ne sonnent que leurs pas, pas a pas fredonnes
ils marchent en silence les desesperes

手を取り合い、無言のまま歩いていく
灯りの消えた街々を、「霧雨」が濡らしていく...(「霧雨」がゆらゆら舞っている)
彼らの「足音」以外は聞こえてこない 一足ごとに...「鼻歌」のように...
無言のまま歩いていく...「絶望」した人たち...

 

ils ont brule leurs ailes ils ont perdu leurs branches
tellement naufrages que la mort parait blanche
ils reviennent d'amour ils se sont reveilles
ils marchent en silence les desesperes

彼らは、その「翼」を焼き、その「枝」を失った
「死」すら、白々しく思えるほどに「暗礁」に乗り上げてしまった人たち...
「恋」が冷めてしまった人々 「目覚め」てしまった人々...
無言のまま歩いていく... 「絶望」した人たち...

 

et je sais leur chemin pour l'avoir chemine
deja plus de cent fois, cent fois plus qu'a moitie
moins vieux ou plus meurtris ils vont le terminer
ils marchent en silence les desesperes

私は、彼らの「行く末」を知っている
私はもう、「100回」以上も歩いたから...「100回」、あと100回も行きかけた...
もっと若かったり、傷ついたりして、彼らは「終わり」にする...
無言のまま歩いていく... 「絶望」した人たち...

 

et en dessous du pont l'eau est douce et profonde
voici la bonne hotesse voici la fin du monde
ils pleurent leurs prenoms comme de jeunes maries
et fondent en silence les desesperes

そして、橋の下の「水」は、「穏やか」で、そして「深い」
それは、優しい招き それは、この世の「終わり」...
「新婚」のように、彼らは名前を呼び合って泣き、
無言のまま崩れる... 「絶望」した人たち...

 

que se leve celui qui leur lance la pierre
il ne sait de l'amour que le verbe s'aimer
sur le pont n'est plus rien qu'une brume legere
ca s'oublie en silence ceux qui ont espere

誰が、彼らに、石を投げつけられるのか
「愛」については、「愛しあう」という言葉しか知らない者でない限り...
橋の上にかかっていたのは、軽やかな「霧」だけでしかない...
無言のまま忘れ去られていく... 「希望」を手にした人たちは...

 

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de radelozen  *オランダ語版歌詞

 

ze lopen hand in hand, gehuld in doodse stilte

door uitgedoofde steden vol van vocht en kilte

waarin alleen hun doffe sloffen wordt gehoord

zo lopen woordeloos de radelozen voort

 

hun vleugels zijn verbrand, hun takken afgewaaid

zo op een klip gestrand dat dood geen angst meer zaait

zijn ze de liefde moe, die droom werd wreed verstoord

zo lopen woordeloos de radelozen voort

 

en ik, ik ken hun weg, ik ben hem zelf gegaan

al meer dan hondert maal ben ik halfweg blijven staan

maal, jonger of gekwetster, zetten zij hem voort

zo trekken woordeloos de radelozen voort

 

want onder gindse brug is 't water diep en lief'lijk

daar houdt de wereld op en is het bed gerief'lijk

zij snikken er hun naam nog, als een jonge bruid

dan wist het water still de radelozen uit

 

sta op degeen die hun de eerste steen wil gooien

die kent van liefde alleen de woorden 'ik en 'mij'

de brug gaat zich alweer in ochtendnevels tooien

een leven dat eens hoop gekoesterd heeft voorbij...

 

(daniel-b=フランス専門)