この記事は、「名優ジャン・ロシュフォール(1930-2017)逝去」について書いた記事(2017年10月11日付け)を「リブログ」して書いています。

 

名優ジャン・ロシュフォール(1930-2017)が、同じく、名優ジェラール・ジュニョー(1951-)と組んだ、その名も「タンデム(Tandem)」(1987)という映画は、「コメディ」を得意としていたパトリス・ルコント監督(1947-)が、一転して「人生の悲哀」を描いた作品で、現在でも、「とても高く」評価されているものです。

 

現在では、ミュージカル「ノートルダム・ド・パリ」(1998年初演)の作曲家として、「全世界」でその名を知られているリッカルド・コッチャンテ(1946-)は、「イタリア人」(生まれは「ベトナム」だということです)ではありますが、「フランス」での活動も多く、この、映画「タンデム」のために書き下ろした主題歌、「il mio rifugio "僕の隠れ家"」(「イタリア語」による歌唱です)は、「フランスで特に愛されている作品」のひとつだとも言うことが出来ます。

 

こちらは、映画の「予告編」(フランス版)です。

 

こちらは、「撮影の合間」に、ジャン・ロシュフォールと、ジェラール・ジュニョーが、簡単に、自らの「役どころ」について「説明」している動画です。

 

こちらは、1987年6月18日のニュース番組からで、「主演2人」のインタビュー映像です。

 

 

 

 

 

こちらの映像は、「2016年」、「フランスの番組」に出演したリッカルド・コッチャンテですが、この曲の、「変わることないフランスでの人気」を「裏付ける」ものともなっています。

 

ちなみに、「フランス」では、「フランス式」に、「リシャール」と呼ばれることが「多い」ようです...。

 

 

さて、5月は、久しぶりに、リッカルド・コッチャンテ(1946-)の名曲を聴く機会に恵まれましたが、彼は、私が知っている、「数少ないイタリア人アーティスト」のひとりで... 

 

 

というだけではありませんね。

 

 

「現在」では、「作曲」を手がけた、ミュージカル「ノートルダム・ド・パリ」(1998年初演。「詞」は、「スターマニア」でもおなじみの、カナダ出身の作詞家、リュック・プラモンドン)の「世界的大ヒット」により、「全世界」で、「その名」を知られている、「大御所」だと言える存在です。

 

 

今回の記事を書く「きっかけ」のひとつともなったのが、こちらの「動画」を含む、「ユトリロさん」の記事でした(5月28日付け)。

 

 

ミュージカル「ノートルダム・ド・パリ」より、「Belle "美しい人"」。

 

 

「醜い鐘つき男カジモド」にガルー(1972-)、「司祭フロロ」にダニエル・ラヴォワ(1949-)、そして、「護衛隊長フェビュス(フィーバス)」に、パトリック・フィオリ(1969-)というキャスティングで、その3人によって歌われた、大変「有名」なナンバーです。

 

 

(参考)ユトリロさんの記事(私も「コメント」しています)

 

 

また、シャンソン歌手、ゆうき芽衣さんが「パーソナリティ」を務めるラジオ番組、「DJカーニバル」(「タッキー816 みのおFM」)でも「特集」されていました(5月9日放送分)。

 

こちらの記事は、その「案内(予告)」です。

 

 

このように、「現在」では、何かと、「ノートルダム・ド・パリ」と結びつけられて、「その名前」が出て来るようなリッカルド・コッチャンテではありますが、「歌手」としてのその「実力」も、今回の曲、「il mio rifugio "僕の隠れ家"」を聴いていただければ「明らか」だと思います。

 

 

リッカルド・コッチャンテは、母が「フランス人」(父は「イタリア人」)ということで、「幼少時」には、「フランス語」しか話せなかったということですが、「11歳」の時に、「ローマ」へと引っ越すことになり、「イタリア語」を始めたのは、何と、「その時から」だと言います(「出生地」は、ベトナムの「サイゴン(現「ホーチミン」)」だということです)。

 

「オペラ」など、「クラシックの名曲」を聴いて育ったというリッカルドでしたが、同時に、やはり「ザ・ビートルズ」や、あるいは、「ブルース」などといったジャンルの影響も受け、「ピアノ」は、「独学」にて習得したということです。

 

 

「デビュー」は1972年のことで、やはり「スタート」は「フランス」だったということですが、続いて、「イタリア」でも活動を始めました。

 

 

今回の曲、「il mio rifugio "僕の隠れ家"」は、1987年6月にフランスで公開された映画、「タンデム」の「主題歌」として書き下ろされた、「イタリア語」による楽曲です。

 

 

「コメディ映画」で「有名」なパトリス・ルコント監督(1947-)が、一転して、「人生の悲哀」、「斜陽」を描いたことで、「高く評価」されたこの「タンデム」ですが、その「魅力」のひとつとして、「切々」と歌われる、リッカルド・コッチャンテ自身による「この曲」を挙げることも出来ると言えるでしょう。

 

 

事実、この曲は「大ヒット」となり、「現在」でも、フランスでは「高い人気」を誇っている曲だと言えます。

 

 

こうして、「フランス人の心」を、がっしりと「鷲づかみ」にしたことで、後の、「ノートルダム・ド・パリ」にも「つながった」と言えるのです...。

 

 

まさしく、「魂の歌」です!!

 

 

映画「タンデム」は、その演技に大変「味」のある名優、ジャン・ロシュフォール(1930-2017)と、「舞台」を「主戦場」として活躍する、やはり「名優」として名高い、ジェラール・ジュニョー(1951-)が、文字通り「タンデム」にて、「表現しきった」名作だと思います。

 

 

ジャン・ロシュフォールは、本当に、このような「人生の斜陽」を、「ペーソス豊か」に演じ切ることが出来る、「数少ない俳優のひとり」だと、私は思っています(実際に、「パリ・シャルル・ド・ゴール空港第1ターミナル」にて撮影された映画、「パリ空港の人々」も、大変「印象に残る」作品でした...)。

 

 

彼が、この映画「タンデム」で演じたのは、かつては「大人気」を誇っていた、ラジオの「クイズ番組」の司会者、ミシェル・モルテーズ...。

 

 

「25年」という「歳月」を経て、ついに「打ち切り」の「決定」が下されたのですが、最初にそれが伝えられたのが、担当ディレクターのリヴト(ジェラール・ジュニョー)でした。

 

 

リヴトは、仕事に「人生」をかけてきたモルテーズにそのことを伝えるに忍びなく、「黙って」、放送の「まねごと」を続けるのですが...。

 

 

「普通」に考えると、こうした「重大な決定」は、まず「最初」に「面談」の上、「直接伝えられるはず」なので、「あり得ない」とも思うのですけれども...。

 

 

そこは、「ツッコんじゃいけない」んでしょうね(笑)。

 

 

それで、「放送されることのないニセ番組(まねごと)」が続けられるという展開は、やはり「演劇作品」的な要素も感じられます。

 

 

結局、その「ウソ」はばれ、2人の「タンデム」は「終わり」を告げるのですが...。

 

 

「印象的」なのは、やはりその「ラストシーン」です。

 

 

モルテーズは、一時期、その姿を「消して」はいましたが、「人気者」であることには変わりはなく、それなりに、「声」もかかるようです。

 

 

一方、結局は「サラリーマン」で、「リストラ」の「憂き目」に遭ってしまったリヴトは...。

 

 

「偶然」にも「再会」した二人は、その「変わらぬ友情」を確かめ合うことになるのですが、この「ラストシーン」が、本当に「印象」に残っていて、私は、「このシーン」のために「タンデム」を思い出し、「タンデム」と言えば、「このシーン」を、「真っ先」に思い出すほどなのです!!

 

 

そして、「そこ」に流れるのが、今回の曲、「il mio rifugio "僕の隠れ家"」というわけです...。

 

 

 

さて、「ユトリロさん」との「コメント」のやり取りで、次の作品のことが「話題」に上がりましたが...。

 

 

「un uomo felice」(1994)

 

 

 

実はこの曲、昨年2月、私が記事で採り上げた、「こちらの曲」の「カバー(イタリア語)」だったのです!!

 

ウィリアム・シェラー(1946-)の「代名詞」とも言える名曲、「un homme heureux "幸せな男"」(1991)。

 

「フルカラー」のMVなので、「ごく最近」かとも思ってしまいますが、すでに「30年前(!)」の映像です。

 

 

 

 

この曲の記事(「歌詞対訳」を載せています)。

 

 

ウィリアム・シェラーは、2014年、「過労」から「不整脈」を起こし、「肺水腫」にまで至ったことから、「入院生活」を余儀なくされましたが、「2016年2月」、その「長年のキャリア」、「音楽界への貢献」を讃えられて、「ヴィクトワール・ド・ラ・ミュージック」の「名誉賞」を贈られました。

 

 

久しぶりに「公の場」へと現われたシェラーは、ピアノの「弾き語り」でこの曲を歌い、人々を「感動の渦」に沈め、盛大な「拍手喝采」を浴びることになりました(「その模様」は、上掲の記事にてご覧いただくことが出来ます)。

 

 

しかしながら、「健康上の理由」により、今年3月、「自伝」の出版を機に、正式に「引退」を表明されました。

 

 

大変「残念」なことではありますが、「本当にお疲れさまでした」と、私は言いたいと思います。

 

 

 

それでは以下に、リッカルド・コッチャンテの歌った、「il mio rifugio "僕の隠れ家"」の歌詞を載せておくことにいたしましょう。

 

 

今回の「歌詞」は、慣れない「イタリア語」ということもあり、「正確さ」には「万全」を期したものの、「参照」した文献によっても「まちまち」でしたので、とりあえずは、「最初」に挙げている「歌詞付き動画」のものを「基準」としました(多少の「誤り」は「大目」に見てネ!!...笑)。

 

 

「日本語訳」は、「第3節」までは、この映画の「DVD」の「日本語字幕」を「そのまま採用」していますが、これは、その他の「日本語訳」(「自動翻訳」など)、また、「最終節」のために参照したいくつかの「フランス語訳」と比べても、「内容」としてはまったく遜色のない「名訳」であると思います。

 

 

「日本語訳」に続いて、「フランス語訳」も載せていますが、これは、その時「参照」した「訳詞」に、一部「修正」を加えたものです。

 

 

「イタリア語」と「フランス語」は、「似ているところも多い」と思うのですが...

 

 

う~む...。

 

 

「各節の終わり」に出て来る「sei tu」(「それは君」)が、フランス語の「c'est tout」(「それがすべて」/「それだけ」など)に聴こえてしまうな...(笑)。

 

 

(「sei tu」は、フランス語では「c'est toi」。「下記参照」)

 

 

それではまた...。

 

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il mio rifugio  僕の隠れ家

 

quando la sera scivolo su di noi

all'uscita della scuola in citta

ci prendemmo per mano e ti dissi

io ti amo

quando un bambino ci taglio poi la via

con un tamburo di latta, una scia

e poi quel suono rimbalzo su di noi

io ti amo

il mio rifugio, il mio rifugio

il mio rifugio...sei tu

 

夜のとばりが下りるころ

町の学校の入り口で

君の手をとって僕は言った...

「愛してる」と

寂しい道を歩く僕らの前を

ブリキの太鼓を叩いて子供が横切った

その音が僕らの心に響く

「愛してる」と

僕の隠れ家 僕の隠れ家

僕の隠れ家...それは君

 

poi ti stringesti forte insieme a me

quasi proteggere l'eco dentro di te

delle prime parole d'amore

io ti amo

quando la neve di silenzio imbianco

tutto quel chiasso al centro della citta

e le nostre parole gelo

io ti amo

il mio rifugio, il mio rifugio

il mio rifugio...sei tu

 

きっと君も僕と同じように

心の中に守っているんだね

初めての愛の言葉

「愛してる」を

降りはじめたまっ白な雪が

街を沈黙で覆ってしまっても

僕は失くしはしない

「愛してる」を

僕の隠れ家 僕の隠れ家

僕の隠れ家...それは君

 

quando la gente poi usci dai teatri

di fumo e rose copri i nostri passi

che contammo di baci mai dati

io ti amo

il mio rifugio, il mio rifugio

il mio rifugio...sei tu

 

劇場から出てきた人々の

煙草とバラの香りに包まれて

僕たちはキスを重ねた

「愛してる」と...

僕の隠れ家 僕の隠れ家

僕の隠れ家...それは君

 

e, quando l'incanto parla ancora di te

da un quadro un'alba da cio che non c'e

sorridendo, penso ancora di te

che ti amo

tanto lontana, non so se sarai

tanto vicina ascoltalmi potrai

come me nessuno dirti sapra

io ti amo

il mio rifugio, il mio rifugio

il mio rifugio...sei tu

 

そして、絵の中で、夜明けに、そこにないものから

不思議な魔法が君についてまた話すとき

微笑みながら、僕はまた君を想っている

君を愛しているから

君がどこにいるのか分からないくらい遠くにいても

僕の話を聴くことが出来るくらい近くにいても

誰も、僕と同じように君に言うことは出来ない

「愛してる」と...

僕の隠れ家 僕の隠れ家

僕の隠れ家...それは君

 

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mon refuge(en francais)  *フランス語訳

 

quand le soir glissa sur nous

a la sortie de l'ecole en ville

nous nous primes par la main, et je te dis

moi je t'aime

quand un enfant ensuite nous coupa la route

avec un tambour de fer-blanc, et un sillage

et puis ce son retentit sur nous

moi je t'aime

mon refuge, mon refuge

mon refuge...c'est toi

 

puis tu t'es serre fort contre moi

presque pour proteger l'echo en toi

des premiers mots d'amour

moi je t'aime

quand la neige, de silence blanchit

tout ce vacarme au centre de la ville

et nos paroles gelerent

moi je t'aime

mon refuge, mon refuge

mon refuge...c'est toi

 

quand les gens sortirent des theatres

de fumee et de roses couvrirent nos pas

que nous comptions de baisers jamais donnes

moi je t'aime

mon refuge, mon refuge

mon refuge...c'est toi

 

et quand l'enchantement parle encore de toi

dans un tableau, une aube, dans ce qui n'existe pas

en souriant, je pense encore a toi

parce que je t'aime

tres loin, je ne sais si tu seras

tres proche, tu pourra m'ecouter

personne ne saura te dire comme moi

moi je t'aime

mon refuge, mon refuge

mon refuge...c'est toi

 

(daniel-b=フランス専門)