日本での「ニュース映像」を、いくつか拾ってみました...。

 

 

今回は、予定を「変更」して書いてみたいと思います...。

 

 

「きっかけ」は、こちらの記事に「コメント」したことから...。

 

 

2月1日、現地時間の「未明」に起きた、ミャンマー国軍による「クーデター」のニュースは、私も、「驚き」を隠せませんでした。

 

 

長年の(度重なる)「自宅軟禁」というイメージもあったアウンサンスーチー氏(1945-)が、「国際社会」の協力を得て、2016年4月に就任した「国家顧問」というポストは、事実上の「首相職」でもありますが、これにより、「ミャンマー」という国が、「民主国家」として、ようやく、「新時代」に一歩踏み出したという感が、「当時」はしていました。

 

しかしながら、一方で、イスラム系民族、「ロヒンギャ」をめぐる問題も「表面化」し、1991年に受賞した「ノーベル平和賞」も、「霞んで見えてしまう」くらいの有様に、私自身、「失望」を隠せなかったものです。

 

そうこうしているうちに、昨年11月に行なわれた、「連邦議会」の総選挙において、「勝利」は収めたものの、「国軍」や、国軍系の野党、「連邦団結発展党(USDP)」からは、「総選挙には"不正"があった」と抗議を受け、「緊張」が高まっていました。

 

とはいうものの、「国際社会が見守る」、この「現代」のことですから、たとえば、隣国「タイ」でも、「クーデター」は起こり、デモ隊と「衝突」も起こりましたが、その後の「情勢」としては、「落ち着いている」ようにも思えました。

 

 

ところが、今回の「ミャンマー」はどうでしょう...。

 

 

「政情不安が...」というのであれば、こちらは本当に「深刻」です。

 

 

「丸腰」の民間人が、「自国軍」によって「虐殺」されている...。

 

 

たしかに、「天安門事件」(1989年6月/中国)や、「中東」、「アフリカ」など、「現代」においても、こうした「悲劇」は繰り返されていて、決して「古い話」というわけでもありません。

 

 

しかし、「ようやく手に入れた」と思われた「民主主義」が、このように、「無残」にも「崩壊」していくのを目の当たりにするのは、やはり、「ショック」があまりにも大き過ぎます。

 

 

「香港」も、もはや、「かつての香港」ではなくなりましたし...。

 

 

今こそ、「国際社会」が「協力」して、「事態打開」に乗り出すべきなのですが、「声明」は出せても、「行動」に移すのはやはり「難しい」のでしょうか?

 

 

「日本」とも、「関係が深い」と思えるミャンマーですから、一刻も早い「事態の沈静化」を「お願い」したいのですが...。

 

 

しかしそれが、逆に「内政干渉」と「非難」されて、また「新たな火種」を生み出さないとも限りません。

 

 

「途上国への政治介入」が、後々、「テロ」という形で「返って」来る...。

 

 

2016年3月22日の、あの「ブリュッセル事件」からももう「5年」です。

 

 

「あの日から5年」ということで、こちらも、「最新のニュース映像」を拾ってみました。

 

 

「生存者」たちの「証言」、そして「その後」です。

 

 

「32名(+犯人3名)」の死者、および、「240名」の負傷者を出した2016年3月22日の「ブリュッセル・自爆テロ事件」。

 

「現場」となった、「EU本部」に近い、「地下鉄マールベーク駅」、および、「ブリュッセル(ザべンテム)国際空港」にて、「追悼式典」が行なわれました...。

 

 

こちらは、この事件の後、ベルギーの作曲家、ベルト・アッぺルモント(1973-)によって発表された曲、「A Brussels Requiem "ブリュッセル・レクイエム"」(2016)です。

 

「イギリス式ブラスバンド」による「吹奏楽作品」で、こちらは、「ルクセンブルク・ミリタリー・バンド(Luxembourg Military Band)」による演奏会の映像です(2018年1月31日)。

 

 

いま一度、次の3曲も載せておくことにいたしましょう...。

 

 

「(特に)子どもへの暴力」を明瞭に「否定」する、1972年発表の「有名」な作品です。

 

「perlimpinpin "ペルランパンパン"」。

 

バルバラ(1930-97)は、1989年6月の「天安門事件」についても、

 

「あの日の天安門広場を思う。戦車を、虐殺を」と「日記」に記していました(1990年1月1日)。

 

この曲の記事(こちらは、「パリ事件(2015年11月13日)から5年」を記念して書いたものです)。

 

 

続いては、ジャック・ブレル(1929-78)の初期の名作、「quand on n'a que l'amour "愛しかないとき"」(1956)。

 

 

この詞を、あえて「要約」するならば、「いかなる困難を目の前にしても、信じることの出来るもの(心の拠り所となるもの)は、ただ愛しかない」ということになるでしょうか。

 

「上掲」の「perlimpinpin "ペルランパンパン"」同様、「パリ事件」の「追悼式典」でも歌われていますが、ブレルはまさに「ブリュッセル」の出身です。

 

こちらの録音は「1961年10月」、「大スター(グランド・ヴデット)」として、オランピア劇場にて、初めての「大成功」を収めた、「記念すべき公演」からのものです(「最終曲」です)。

 

この曲の記事(「ブリュッセル事件」についても触れています)

 

(参考)ジャンマリ・ヴェさんの記事より(私も「コメント」しております)

 

 

ダニエル・バラボワーヌ(1952-86)のこの曲、「revolucion "レヴォルシオン(革命)"」(1983)は、いわゆる「汚い戦争」(1976-83)と呼ばれた、当時のアルゼンチンの軍事独裁政権による「迫害」(国家によるテロ)への「抗議」を歌にしたものです(その状況は、まさに、今回の「ミャンマー」を思わせます)。

 

こちらは、翌1984年9月の「パレ・デ・スポール(ドーム・ド・パリ)」公演の「ライヴ録音」です。

 

この曲の記事

 

 

以上、今回の「ミャンマー情勢」について、「思ったこと」を少し書いてみました。

 

 

それではまた...。

 

 

(daniel-b=フランス専門)