こちらは、1972年、イギリス・コルチェスターのエセックス大学でのライヴ映像。

 

日本でもおなじみ、ウラディーミル・アシュケナージ(1937-)の、「若き日」の名演奏です。

 

「指揮者」としても活躍されていましたが、2020年1月、演奏活動からの「引退」を発表されたということです。

 

同じく、アシュケナージの演奏を、「譜面付き」でどうぞ。

 

 

 

こちらは、アルフレート(アルフレッド)・ブレンデル(1931-)。

1970年代に録音された、「2度目」の全集からです(1973年10月録音)。

 

こちらは、「最後」となった、「1990年代」の「全集」です。

 

 

 

こちらは、スヴャトスラフ・リヒテル(1915-97)。

1991年12月、モスクワ・プーシキン美術館での演奏です。

 

この年の7月1日に亡くなった、俳優、ドミトリー・ジュラフリョフ(1900-91)を「追悼」するための演奏会の様です。

 

リヒテルの演奏は、テンポを「ゆっくり」とった「第2楽章」が「特徴的」です。

 

テーマが「ベートーヴェン」のこれまでの記事。

 

 

さて、今年は、「楽聖」ベートーヴェン(1770-1827)の「生誕250周年」に当たります。

 

これまで、なかなか「クラシック音楽」の記事自体、書けていないのが「もどかしい」のですが、「12月」は、「誕生月」(「16日頃」誕生とされ、翌「17日」に「洗礼」を受けています)でもありますから、ここで、この「名曲」について書いておきたいと思います。

 

 

今回の曲は、「後期3大ソナタ」のひとつ、「ピアノソナタ第31番 変イ長調 op.110」(1821-22)です。

 

ほぼ「同時期」に「第32番 ハ短調 op.111」も「完成」となりましたが、「ピアノソナタ」としては、これが「最後の作品」となりました。

 

今回の記事は、その「第32番」の記事を「リブログ」して書いています。

 

この記事から、直接見に行くことも「可能」ですが、こちらでも、いま一度、その「成立」について「振り返ってみる」ことにいたします。

 

 

1819年、ベートーヴェンは体調が優れない中、「後援者」でもある「ルドルフ大公」(1788-1831)のために、大曲、「ミサ・ソレムニス ニ長調 op.123」の準備に取り掛かります。

 

ルドルフ大公は、この年の4月24日に、「枢機卿」への「昇進」を果たしたほか、翌年3月には、「オルミュッツ大司教」への就任も控えていました。

 

ベートーヴェン最大の「パトロン(スポンサー)」であり、「弟子」であり、「友人」でもあった「ルドルフ大公」の「大恩」に報いるためにも、「大司教即位式」のある「1820年3月」に間に合わせるべく、筆を進めようとしますが、何かと「頭を悩ませる」原因ともなっていた、甥カールの「後見問題」のこともあり、最終的には、「1823年」の完成まで、「数年」を要することになってしまいました。

 

 

「ルドルフ大公」については、こちらの記事もご参照ください。

 

 

それに加えて、「2年」も前に「委嘱」を受けていた、「新しい交響曲」(後の「交響曲第9番 ニ短調 op.125 "合唱付き"」)の作曲も「中断」したままとなっており、さらには、「ディアベッリ変奏曲 op.120」(1823年春完成)の作曲にも手を付けていました。

 

そうこうしているうちに、「1821年」は、「年の初め」からさらに体調が「悪化」し(「リューマチ熱」ということです)、「7月」には、「強い黄疸症状」のため、ついに、「完全休養」を余儀なくされてしまいました。

 

これらのことから、「後期」を代表する「大曲」の多くは、いずれも、「数年がかりの労作」ということになってしまったのです。

 

 

そんな中、「ピアノソナタ」に関しては、1820年春に、「3曲のソナタを提供する用意がある」と、「出版社」への手紙にも書いていました。

 

しかし、「この年」に「完成」したのは、結局、「第30番 ホ長調 op.109」のみで、「秋から冬」、あるいは、「年越し」をしてしまったかも知れないということです。

 

 

1821年9月から10月にかけて、「バーデン(・バイ・ウィーン)」(「ウィーン」の南約20km)での療養中に、「ミサ・ソレムニス」の作曲を進めると同時に「着手」されたのが、「第31番 変イ長調」と、「第32番 ハ短調」のソナタ2曲でした。

 

 

「健康の回復」とともに両ソナタの作曲は進み、「1821年12月25日」には、「第32番」より一足早く、この「第31番」が「完成」となりました。

 

しかし、「終楽章」にさらに「手直し」(特に、「序奏」の部分)を加えたため、「最終的な完成」は「年明け」となってからで、同様に、「第32番」も、「1月13日」の完成ながら、「春頃」までは、「修正」が加えられたということです。

 

 

この「第31番 変イ長調 op.110」は、「第3(終)楽章」の、「Klagender Gesang(arioso dolente) "嘆きの歌(アリオーソ・ドレンテ)"」が「有名」で、このことによっても知られています。

 

曲は「3楽章制」となりますが、「曲想」はすでに「古典派」を離れて「ロマン派」の域となっており、そこに「フーガ」といった、「前時代的」ながらも、「宗教的」な要素が加わることにより、より「崇高」な音楽を導きだしていると言うことが出来ると思います。

 

後にシューベルト(1797-1828)が「参考」としたような「構成」も感じられますが(特に「第1楽章」は、何となく、「気分的」に、シューベルトの「大きなイ長調 D.959」を思わせます)、より「簡潔」にまとめられている印象も受けます。

 

(参考)シューベルト「大きなイ長調ソナタ(「第20番」)」の記事

 

 

ベートーヴェンは、「第1楽章第1主題」の「後半」に現われるメロディを好んで使っていましたが、このメロディは、ハイドン(1732-1809)の「交響曲第88番 ト長調 Hob.I:88」(1787)(出版用の「整理番号」から、「V字」の名で呼ばれることもあります)の「第2楽章」の主題の「借用」ではないかという意見もあります。

 

こちらがその曲。

なるほど、「似てます」よね...。

 

 

こちらは、ベートーヴェンの「ヴァイオリンソナタ第8番 ト長調 op30-3」(1802年頃)の「第2楽章」。

 

ここでも、「このメロディ」が「使用」されています。

 

 

続く「第2楽章」は、「明記」はされてはいませんが、「スケルツォ」です。また、(「休符」は挟むものの、)基本的に、「第1楽章」から、そのまま「続けて」演奏されます。

 

「曲の性格」そのものは「変容」しているものの、この楽章の主題は、当時「流行」した、次の2つの歌から採られています。

 

1.「Unsre Katz hat Katzerln gehabt "うちの猫には子猫がいた"」

2.「Ich bin luderlich, du bist luderlich "私は自堕落、君も自堕落"」

 

こちらです(笑)。

 

前者は、この動画も印象に残ったので、挙げておきましょう...。

 

 

そして、続く「終楽章」が、「Klagender Gesang(arioso dolente) "嘆きの歌(アリオーソ・ドレンテ)"」と呼ばれている「有名」な楽章で、これは、ベートーヴェン自身が、楽譜に「書き込んで」いるものです。

 

「序奏」に引き続いて現われる主題が、その「嘆きの歌」であり、ベートーヴェン自身の、当時の「体調の悪さ」を「反映」しているのか、この楽章には、「ドイツ語」による書き込みも多く、それが、演奏する際の「指標」ともなっています。

 

この「嘆きの歌」には、J.S.バッハ(1685-1750)の「ヨハネ受難曲 BWV245」の終盤で歌われる、「Es ist vollbracht "すべては終わった"」との関連も指摘されているということです。

 

 

ベートーヴェンは、「嘆きの歌」に続いて、「第1」の「フーガ」を始めますが、この主題は、「第1楽章第1主題」に基づくものです。

 

「クライマックス」に差し掛かったところで、「嘆きの歌」が「再現」されますが、この部分には、「疲れ果て、嘆きながら」と記されています。

 

その後、再び「フーガ」となりますが、「次第に元気を取り戻しながら」と「イタリア語」で書き入れ、先ほどとは「上下が逆」となった音型(「反行形」)の主題を用いて、「壮大」なクライマックスを築き上げ、「終結」へと導きます。

 

ですから、ある種の「変奏曲」的要素も兼ね備えていると言っても良く、その点で、「最後のソナタ」となった、「第32番 ハ短調」とあわせて聴いてみるのも、「興味深い」ものがあると思います。

 

また、「それら」を踏まえた上で、あらためて「ディアベッリ変奏曲」を聴いてみると、また「違った発見」があるかも知れません。

 

 

今回、この曲をあらためて聴いてみて、ベートーヴェンの、音楽に対する「こだわり」、「思い入れ」をひしひしと感じることが出来たと思います。

 

 

「演奏者」にしてもまた然り。

 

 

「理解」が深まることで、ますますこの曲が「好き」になったと思います。

 

 

最後に、今回は載せることの出来なかった「チリ」出身のマエストロ、クラウディオ・アラウ(1903-91)で、「第30番 ホ長調 op.109」(1820)(初掲載)と、「第32番 ハ短調 op.111」(1822)の、「至高の名演奏」を載せておくことにいたしましょう。

 

「第30番 ホ長調 op.109」。

 

「第32番 ハ短調 op.111」。

 

 

それではまた...。

 

(daniel-b=フランス専門)