「20世紀」を代表する、南米「チリ」出身の偉大な「マエストロ」、クラウディオ・アラウ(1903-91)の「名演奏」です。

 

まさに、「最高のベートーヴェン弾き」だと思います。

 

こちらも偉大な「マエストロ」、アルフレート・ブレンデル(1931-)による名演奏です。

 

1992年から96年にかけて完成した、「新全集」からの録音です。

 

偉大なる「ベートーヴェン弾き」、ヴィルヘルム・バックハウス(1884-1969)による、これも「歴史に残る」名演奏です。

 

「ベートーヴェン直系の弟子」でもあるバックハウスの解釈は、「音楽そのものに語らせる」ということで、「現代的解釈の礎」ともなりました。

https://ameblo.jp/daniel-b/theme-10111588107.html(これまでの記事)

 

さて、今年は、「楽聖」ベートーヴェン(1770-1827)の、「生誕250周年」という「記念の年」に当たっています。また、「3月26日」は、その「命日」でもありました。

 

現在、「このような」状況ではありますが、少しでも「元気の出る曲」ということで、この作品を行ってみたいと思います。

 

 

今回紹介する作品は、「卒業」や「異動」で「別れ」となるこの時期に、まさに「ピッタリ」と言える曲で、その名も、「告別(Das Lebewohl/les adieux)」と言うのですが、一方で、有名な「交響曲第5番 ハ短調 op.67(「運命」)」(1807-08)や、「交響曲第9番 ニ短調 op.125(「合唱付き」)」(1824)などと同じく、最終楽章では「一転」して、「再会の喜び」に満ちあふれるという、まさに、「大逆転のベートーヴェン」の「本領発揮」とも言える「感動的」な1曲となっています。

 

私自身「意外」だったのですが、あらためて聴いてみるとこの曲は、ただ「しんみりムード」に終わらず、その後の「喜び」もまた描いているということで、まさに「現在」のこの「重い空気」を吹き払ってくれるような、「明日への希望」へと導いてくれるような、そんな「雰囲気」を持っていると感じました。

 

 

この曲が書かれたのは、1809年の秋ごろから翌1810年の年明けにかけてのことです。

 

 

1809年4月9日、オーストリアはナポレオン(1769-1821)率いる「フランス軍」と「交戦状態」となり、ウィーンも、間もなく「包囲」されようとしていました。

 

ベートーヴェン最大の「パトロン(スポンサー)」であり、「弟子」であり、「友人」でもあった「ルドルフ大公」(1788-1831)は、当時のオーストリア皇帝「フランツ1世」(=神聖ローマ帝国「フランツ2世」)(1768-1835)の「実弟」で、「皇族」であったため、「5月4日」、ウィーンを離れて「避難」することになりました(ナポレオンによる「ウィーン侵攻」は、「5月12日」のことです)。

 

フランス軍の「侵攻」に、「地下室」へと逃れたベートーヴェンは、この時期に、次のような言葉を残しています。

 

「不安で野蛮な生活。

周囲にあるのは、軍鼓と大砲と人間とあらゆる種類の不幸ばかり...」

 

 

7月の初めに「停戦」となり、「10月14日」には、オーストリアの「降伏」(「シェーンブルンの和約」)により、ようやく「終戦」となりましたが、それを機に書かれた曲の1つが、このピアノソナタ、「告別」というわけです(他には、ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 op.73「皇帝」などが書かれています)。

 

 

この「告別(Das Lebewohl)」というタイトルは、ベートーヴェン自身によって書き込まれたもので、「第1楽章」の冒頭には、

 

「1809年5月4日、ウィーンにて、敬愛するルドルフ大公殿下のご出発に際して」

 

とも記されています。

 

また、「第2楽章」には、「Die Abwesenhait(不在)」と書き込まれ、さらに「第3楽章」には、「Das Wiedersehen(再会)」と書かれた上に、

 

「敬愛するルドルフ大公殿下ご帰還、1810年1月30日」

 

と記されています。

 

 

ベートーヴェンは、第1楽章の最初の3つの音に「Le-be-wohl(さよなら)」と「歌詞」のように書き込んでおり、このモチーフが、楽章全体の「中心楽想」ともなっています。

 

大変「情感」に満ちた楽章であり、「別れの寂しさ」がそのまま伝わって来るような感じがしますが、それだけに、ベートーヴェン自身も、この「Das Lebewohl」という「ドイツ語」のタイトルに「こだわり」を持っていたと言われています。

 

この曲が「出版」された際には、出版社によって、各楽章のタイトルが「フランス語」(les adieux/l'absence/le retour)に書き換えられてしまいましたが、ベートーヴェンはもちろん「抗議」したと言います。

 

「"Das Lebewohl"は、"les adieux"(注:「複数形」)とはまったく違う。

前者は、心から愛する者に対して使う言葉だが、後者は、その場に集まった者すべてに使う言葉だからだ」

 

 

第2楽章では、その「ルドルフ大公」が「不在」の間の、「揺れ動く心情」、「不安」が表現されており、こちらも、「胸に迫るもの」が感じられます。

 

 

そして第3楽章...。

 

 

「再会の喜び」が、一気に「爆発」したような、「活力」に満ちた楽想が、鍵盤の上を駆け巡ります。

 

ベートーヴェン自身、「非常に生き生きとした速度で」と楽譜に書き込んでおり、「重く」沈んだ「第1楽章」、「第2楽章」の印象からは、まったくの「大逆転」です。

 

 

この曲を聴くと、「ルドルフ大公」が、いかにベートーヴェンにとって「大切な人物」であったかがうかがえるというものです。

 

曲は、もちろん、この「ルドルフ大公」に献呈されています。

 

 

このピアノソナタ「告別」は、同時期に作曲された「第24番 嬰へ長調 op.78」、「第25番 ト長調 op.79」とともに出版社へ持ち込まれていますが、ベートーヴェン自身が「修正」を望んだため、この曲のみ、「1811年7月」の出版となりました。

 

そのことからも、この曲の「重要性」が見えて来るような気がします...。

 

また、その出版の際、初期の作品、「六重奏曲」(1795頃)が、先に「他社」より出版された関係もあって、「混乱」を防ぐために、このピアノソナタが「81a」、「六重奏曲」が「81b」という作品番号を与えられています。

 

 

さあ、このように曲全体を見て来ました。

 

私が思うに、この曲の邦題、「告別」は、少し「大げさ」ではないかという気もします。

 

確かに、「Das Lebewohl」という言葉は、「もう二度と会えないかも知れない」場合に使うということで、フランス語の「adieu」(単数形)とも「同等」の意味を持っているようですが、日本語で「告別」と言うと、「亡くなった方への最後のお別れ」といったイメージがあるからです。

 

単に「別れ」で良いのでは、とも思いますが、この語を表すドイツ語として「Der Abschied」があり、ベートーヴェン自身も、「スケッチ」の段階ではこう書いて(書き直して)いたようですが、結局「NG」となりました。

 

やはり、それだけの「重大さ」を表したかったということなのでしょう...。

そう「納得」するしかありません。

 

 

最後に、この曲同様、「不安」から「勝利の凱歌」への「大逆転」、有名な「交響曲第5番 ハ短調 op.67(「運命」)」(1807-08)を、「マエストロ」、カール・べーム(1894-1981)の指揮、ウィーン・フィルの名演奏でどうぞ(1977年3月2日。日本公演)。

 

それではまた...。

 

 

 

 

(daniel-b=フランス専門)