「スタジオ録音」の前年に行なわれた、パリ、モンパルナスの「ボビノ劇場」でのライヴ録音です。

 

「1967」となっていますが、実際には、1966年12月13日から15日にかけてのテイクで(公演は、年明け「1月9日」まで)、ブレル(1929-78)の「アデュー・オランピア」の余韻の残るパリで、バルバラも負けじと「入魂」のステージを見せたものです。

 

大変「気分」が乗っていて、バルバラの、「茶目っ気」ある、「快活な一面」がうかがい知れるものだとも言うことが出来ます。

 

 

 

こちらは「オリジナル録音」です(1967年4~5月録音)。

 

こちらは「大全集」となります。

 

 

前回の記事

 

これまでの記事

 

 

さて、「11月24日」は、フランスを代表する「偉大な女性歌手」、バルバラ(1930-97, 本名モニック・セール)の「命日」です(元「KARA」、ク・ハラさんの「命日」でもありますね...あれからもう「1年」...)。

 

 

今年は、「生誕90周年」という、「記念の年」にも当たっていました。

 

 

今回紹介する曲、「y aura du monde "私の埋葬式に"」(1966-67)は、本来、その「生誕90周年」の「誕生日」(6月9日)の記事として上げるつもりでしたが、急きょ、「予定を変更」したため、「命日」に関連した、「今回の記事」として、あらためて書くことにいたしました。

 

この記事は、その時の記事の「リブログ」ですので、「元の記事」も、ここからご覧いただくことが「可能」です。

 

 

今回の曲、「y aura du monde "私の埋葬式に"」も、1966年12月から、翌年1月にかけて行なわれた、パリ、モンパルナスの「ボビノ劇場」での公演にて発表された「新曲」の1つで、1967年4月から5月にかけて、あらためて、「スタジオ」でも録音された名曲です(これらの「新曲」は、公演前に録音された音源も残っていますが、基本的に、「大全集」内でしか聴くことが出来ません)。

 

 

当時の「ボビノ劇場」は、「3大巨匠」の1人、ジョルジュ・ブラッサンス(1921-81)が、「看板スター」として、度々出演していたことでも「有名」ですが、そのブラッサンスの逝去後、1980年代半ばにいったん「閉館」となりました。

 

その後、業態を変え「再スタート」しましたが、現在では、再び、有名アーティストが舞台に立つこともあるようです。

 

 

バルバラは、1964年10月、その「ブラッサンス公演」の前半、「2番手スター(ヴデット・アメリケーヌ)」としてステージに登場した際、「大絶賛」を博しました。

 

バルバラは、その「突然の大成功」に戸惑い、「恐怖」すら感じたと言います。

 

その時の「体験」をもとに書かれたのが、この作品「y aura du monde "私の埋葬式に"」で、「人々の中に見え隠れする偽善」を主なテーマとしていますが、最後には、やはり、「さよならみんな、愛してる」と、「感謝」の言葉を述べることも忘れてはいません。

 

このことは、「翌1965年」の同劇場での「成功」をもとに書かれた、あの有名な「ma plus belle histoire d'amour "わが麗しき恋物語"」(1966-67)(この記事の「元の記事」にも載せてあります)にも「つながる」ものです。

 

参考記事(フランス語)

 

上掲の記事は、こちらの「ファンサイト」に掲載されています。

http://www.passion-barbara.net/

 

 

この曲よりも「前」に、「同様」のテーマで書かれ、「発表」された曲がありました。

 

シャンソン界の「3大巨匠」の1人、ジャック・ブレル(1929-78)の作品、「(le )tango funebre "葬送のタンゴ"」(1964)が「それ」で、かなり「皮肉」に満ちあふれた詞であるとも言うことが出来ます。

 

こちらは、1964年5月30日、(*)オランダ「Bergen ベルヘン(ベルゲン)」でのライヴ映像からです。

 

(*)こちらのライヴ映像は、これまで、ベルギー南部の都市、「モンス(オランダ語名で「ベルゲン」)」でのものとしてきましたが、「最新の情報」により、「オランダ・北ホラント州」(「アムステルダム首都圏」とも言い得ます)の都市ベルヘン(ベルゲン)にある、「Het Huis Met De Pilaren」という「レストラン」でのライヴということが分かりました。なので、「訂正」をしておきたいと思います。

 

参考記事(オランダ語)

 

 

ベルヘン(ベルゲン)は、アムステルダムの「北北西約30km」といった辺りに位置しており、「東京」で言うと、「さいたま市」の「大宮駅近辺」といった感じでしょうか。

 

この「ベルゲン」という地名は、他に「ノルウェー」にもあり、「検索」すると「ヒット」するのが、まず、「ノルウェー」の「ベルゲン」ですね。

 

 

また、バルバラにも、ジョルジュ・ブラッサンス(1921-81)同様、「le testament "遺言"」(1968)というタイトルの作品があります。

 

 

こちらが、ブラッサンスの「le testament "遺言"」(1956)(この映像は、翌年のテレビ放送から)。

 

「初期」に書かれた作品だけに、「詞」も「曲」も、まだ「軽やか」です。

 

(参考)この曲は、こちらの記事で採り上げています。

 

 

ブラッサンスの「le testament "遺言"」は、後年の「supplique pour etre enterre a la plage de Sete "セートの浜辺に埋葬のための嘆願歌"」(1966)にもつながる、「文字通り」の「遺言」ですが(「上掲記事」参照)、バルバラの「le testament "遺言"」は、「終わってしまった恋」、「過ぎ去った恋」の「想い出」は「もうたくさん」だと、「(「放棄」の)意思表示」をする内容となっています。

 

 

バルバラの「le testament "遺言"」は、今回紹介している「y aura du monde "私の埋葬式に"」よりも「後」に書かれた作品であり、「言葉を操る才気」もまた「素晴らしい」と感じますが、こうした「系列」の作品で、その「次」に来るのは、やはり、「hop-la "ホップ・ラ"」(1970)ではないかと思います。

 

こちらがその「hop-la "ホップ・ラ"」(1970)です。

 

 

かつて、蘆原英了先生(1907-81)が、

 

「バルバラの歌詞は、ものすごく長くて、ずるずる、ずるずると、"速いテンポ"で歌われる。

回り灯籠がくるくる回っている姿を思い出させる。

彼女の歌は、先へ先へと進んでいるようで、また始めに戻って来る。

そのメロディの妖しいような美しさには、ローレライの人魚に惑わされるような魅力がある」

 

と、「ライナーノーツ」に書いていらっしゃいました。

 

 

また、フランスの「ラルース」の大事典には、

 

「シャンソンのセンスを持つとともに、ジャズを理解している」

 

という記述もあるそうです。

 

 

これらの言葉は、バルバラのシャンソンの特徴を「端的」に言い表していて、大変「興味深い」と思うのですがどうでしょうか...(「y aura du monde "私の埋葬式に"」の「最終節」の「スキャット」は、まさに「ジャズ的」と言えるでしょう)。

 

 

最後に、「11月のバルバラ」を思い出させる曲を「2曲」選んでみました。

 

 

「regarde "ご覧なさい"」(1981)。

 

フランソワ・ミッテラン氏(1916-96)が、同年5月の「フランス大統領選挙」に「勝利」したことを「記念」して作られたこの曲には、その「(党の)シンボル」である「バラ」も、歌詞に織り込まれています。

 

1981年11月、「イポドローム・ド・パンタン」(「(サーカスの)大テント劇場」)での公演から。

 

 

「CD」はこちら。

 

 

こちらは、バルバラの「オリジナル」は、動画サイトで見つけることがついに叶いませんでしたが、パトリック・ブリュエル(1959-)によるカバーアルバム、「tres souvent, je pense a vous... "度々、あなたのことを思う..."」(2015)から拾ってみました。

 

上掲の、1981年の公演の「最終日」(11月21日)のために、「急きょ」書かれたのがこの曲、「Pantin "パンタン"」(1981)で、バルバラ自身も、「歌詞」を書いた紙を手に、「冒頭」と「終幕」で歌ったものです。

 

「11月のパンタンはもうほとんど冬。でもあなたたちは、空をひっくり返し、冬を追いやって、再び夏を作り上げた...」

 

 

 

以下に、「y aura du monde "私の埋葬式に"」の歌詞を載せておくことにいたしましょう。

 

それではまた...。

 

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y aura du monde  私の埋葬式に

 

y aura du monde a l'enterrement

si l'on en croit les apparences

s'ils viennent tous a l'enterrement

ceux que je trouve avec outrance

couches la sur mon paillasson

lorsque je n'y suis pour personne

ou pendus avec deraison

au fil de mon telephone

ou pendus avec deraison

au fil de mon telephone

 

お葬式にはたくさんの方が来てくれるでしょう

「体裁」を考えるのなら

みんながお葬式に来てくれるのなら

少し「大げさ」だとは思っても

私のこも(むしろ)の上に横たわり

私は誰のものでもないのに

私の電話に

分別なくぶら下がって

私の電話に

分別なくぶら下がって

 

y aura du monde assurement

au nom du Pere au nom du Fils

s'ils viennent tous a l'enterrement

ceux que j'aimais de pere en fils

ca me fera un gentil regiment

me rendant les derniers offices

pour mes bons et loyaux services

le jour de mon enterrement

pour mes bons et loyaux services

le jour de mon enterrement

 

みんなは確かにやって来るでしょう

「父(なる神)」や、「子(なる神)」の名において

みんながお葬式に来てくれるのなら

私が愛した、父から子へと

それは、私に、優しい「一個連隊」を作ってくれるのでしょう

私への最後のおつとめとして

私の、忠実で誠実だった奉仕に対して

私の埋葬式のその日に

私の、忠実で誠実だった奉仕に対して

私の埋葬式のその日に

 

les celles qui "je l'ai bien connue"

les pas belles, les cancanieres

les celles qui ont de la vertu

et de bien mechantes manieres

viendront dans leur robe de bal

me dire un petit compliment

pour ma derniere generale

le jour de mon enterrement

pour ma derniere generale

le jour de mon enterrement

 

「私をよく知っていた」その方々

美しくもなく、「陰口」の好きな女たち

「徳」のある方々なのに

とても意地悪なやり方で

舞踏会用のドレスでやって来て

ちょっとしたお世辞を言いに来ることでしょう

私の最後の総括となる

私の埋葬式のその日に

私の最後の総括となる

私の埋葬式のその日に

 

les mondains, les encanailles

et medames les sous-prefetes

trois petits fours et deux ave

a la fete comme a la fete

se diront pour passer le temps

a voix basse des bagatelles

tout en se repassant la pelle

le jour de mon enterrement

tout en se repassant la pelle

le jour de mon enterrement

 

上流社会(社交界)の方々、その「逆」の方々

「副知事」の奥様方

3つのプティ・フール(お菓子)と、2つの「アヴェ」(ロザリオの球)

祭りという祭りみたいに

時間をつぶすために

小声でつまらないことを話し合うことでしょう

スコップで土をならしながらも

私の埋葬式のその日に

スコップで土をならしながらも

私の埋葬式のその日に

 

ah, je voudrais rien qu'un instant

les voir sur la dalle froide

agenouilles et marmonnants

et en avant pour la mascarade

ceux qui viennent et font semblant

effeuillant d'une main distraite

du bout du coeur, du bout des gants

un chrysantheme, un je regrette

un peu, beaucoup, passionnement

le jour de la derniere fete

le jour de la derniere fete

 

ああ、ほんのちょっとでいいから見てみたいものだわ

冷たい敷石の上にひざまずいて

ぶつぶつ言ってる彼女たちを

そして、仮面舞踏会を前にして

やって来る偽善者たち

心ならずも、手袋の端で

うわの空で

菊の花を摘み取りながら 「悲しいですわ」

「ほんのちょっと」、「とっても」、「大変に」

私の最後のお祝いのその日に

私の最後のお祝いのその日に

 

au jour de mon dernier matin

au jour ou je me ferai belle

au jour ou salut les copains

je pars pour la-bas, on m'appelle!

j'irai cultiver mon jardin

j'irai voir fleurir mes roses

de l'autre cote du chemin

de l'autre cote du chemin

 

私の最後の朝

私が美しくなるその日

みんなに別れを告げるその日

私はあの世へ旅立つ 誰かが呼んでる!

私の庭園を耕しに行くの

私のバラが咲くのを見に行くの

この道の反対側で

この道の反対側で

 

ca fera du monde a l'enterrement

et finie la douce habitude

celle-la de passer mon temps

a vivre dans la solitude

je sens qu'au dernier rendez-vous

non, non, je ne serai pas seulette

qu'ils viennent et ce sera vivant

le jour de mon enterrement

qu'ils viennent et ce sera vivant

le jour de mon enterrement

 

埋葬式は、たくさんの人出となることでしょう

そして、「楽しい習慣」ももうおしまい

孤独の中に生き

自分だけの時間を過ごすという

最後のランデヴーには...

いやいや、私はひとりぼっちにはならないから

みんなに来てほしい そしてにぎやかに

私の埋葬式のその日に

みんなに来てほしい そしてにぎやかに

私の埋葬式のその日に

 

je veux que ce soit au printemps

a l'heure de la belle lumiere

je veux m'en souvenir longtemps

de l'heure de mon heure derniere

et lorsque je serai couchee

au-dedans de la bonne terre

oh vous tous que j'ai tant aimes

durant cette vie tout entiere

si vous entendez ti la la la...

ma derniere petite chanson

surtout n'en ayez pas de peine

c'est pour dire "adieu, je vous aime"

et je m'en vais le coeur content

c'est pour dire "adieu, je vous aime"

le jour de mon enterrement

le jour de mon enterrement...

 

それは春がいい

美しい光の時

私は長く思い出していたい

私の最後の時間を

そして私が眠る時

この素敵な大地の中で

ああ、あんなにも愛したあなた方みんな

この一生の間で

もし聴こえるのなら ティラララ...

私の最後の小さな歌

とにかく、つらく思わないでくださいな

これは、「さよなら、愛してる」と言うため

そして、満ち足りた心で私は行く

これは、「さよなら、愛してる」と言うため

私の埋葬式のその日に

私の埋葬式のその日に...

 

(daniel-b=フランス専門)