シューマン(1810-56)の「ヴァイオリンソナタ第1番 イ短調 op.105」(1851)は、「多忙」の中、わずか「5日間」で書き上げられた作品ですが、大変「魅力的」な作品でもあります。

 

アウグスティン・ハーデリヒ(1984-)は、イタリアの生まれで、幼少時より「神童」ぶりを発揮していましたが、15歳の時に全身に「大やけど」を負い、「生命の危機」に立たされました。

 

「20回」もの手術を乗り越え、「奇跡的」に復帰した彼は、ここに聴くように、「落ち着きのある」、「重厚」な演奏で、私たちを「魅了」してくれます。2015年のライヴです。

 

同じく、シューマンの「ヴァイオリンソナタ第2番 ニ短調 op.121」(1851)は、「第1番」に続けて、こちらも「約1週間」で書かれた作品です。

 

こちらのユリア・フィッシャー(1983-)もまさに「天才的」ですね(映像は、2000年、フランスでのもの)。

 

「ピアニスト」とも活動しており、2008年には、一晩に、「ヴァイオリン」、「ピアノ」の両方で、協奏曲の「ソリスト」としてステージに登場したという「逸話」もあります。

 

日本とも「縁の深い」アーティストです。

 

フォーレ(1845-1924)の晩年の傑作、「チェロソナタ 第2番 ト短調 op.117」(1921)です。

この映像で共演している2人は「親子」だということです。

 

ラヴェル(1875-1937)の1914年の作品、「ピアノ三重奏曲 イ短調」です。

 

ラヴェルは、「第一次世界大戦」の開戦を知り、自らも「徴兵」に応じる考えだったことから、作曲の「ペース」が「格段」に上がったそうです。

http://takefu-imf.com/(「武生国際音楽祭」公式サイト)

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12404398427.html?frm=theme(昨年の記事)

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12310573784.html?frm=theme(「2017年」の記事)

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12197936334.html?frm=theme(「2016年」の記事)

 

今年も、「武生国際音楽祭」のシーズンがやって来ました(9月8日~15日。越前市文化センター他)。

 

福井県越前市で毎年開催されている「武生国際音楽祭」も、1990年の初開催から、今年でちょうど「30回目」となりました。

 

「30年」...。

 

一口に「30年」と言いますが、平成時代の「ほぼすべて」の年月であり、初開催時には、新幹線「のぞみ」(1992年3月運転開始)も、まだ誕生していませんでした。

 

「初代」の音楽監督であった舘野泉さん(1936-)もすでに「80歳」を過ぎ、当時まだ「20歳前の若僧」であった私も、今や、「50歳の手前」にまでやって来ました。

 

「武生(たけふ)」というのは、越前市の「旧名」で、2005年10月、今立郡今立町との合併(いわゆる、「平成の大合併」)により現在の越前市となったのですが、隣接する町村として、「越前町」(「越前海岸」方面)、「南越前町」(「南条」、「今庄」方面)があるため、「紛らわしい」という意見も多数出たようです。

 

「人口」では、現在でも、福井市、坂井市に次いで、「県内3番手」の約83,000人。

「4年後」には、「新幹線の駅」も誕生する、福井県の「主要都市」です。

 

さて、この日10日は、「夜勤明け」でした。

 

仕事の量が多く、しかも、「残暑も厳しい」一日でしたが、昨年から、プログラムの一部が変更となり、私の聴きたいコンサートが、水曜日から火曜日へと移ったために、これはやむを得ませんでした。

 

その他は、「曜日NG」となるケースばかりで、なかなかうまくいかないものですね...。

 

結局、よくよく眠ることも出来ないまま、「夕方」に。

 

「帰宅ラッシュ」にかかる、福井駅18時17分発の敦賀行き普通電車に乗り込みます。

 

かつては私も、「通勤」に使っていたこの区間。

「新幹線工事」の様子を見ながら、かつての「最寄り駅」を「素通り」し、一路、「武生駅」を目指します。

 

18時36分、武生駅に到着。

開演は「19時30分」ですが、会場である「越前市文化センター」は、「徒歩約20分」という「距離」があります。

https://www.google.co.jp/maps/@35.9011316,136.1646029,16.6z(周辺地図。「武生中央公園」右端の建物です)

 

「9月の夕方」だというのに、気温は「30℃」を優に越え、「いつものように」歩いて向かうと、まるで「絞り出される」かのように「汗」が出て来ました。タオルも瞬く間に「濡れタオル」となってしまい、会場内で「洗った」くらいでした。

 

「ゆっくり」と向かうつもりでしたが、やはり、19時の「開場前」には「到着」していました。

 

程なく「開場」となり、「ホワイエ(ロビー)」へと入りますが、ここでようやく気付いたのです。今年が「30回目の開催」だということに...!!

 

「毎年」のことですから、それほど気にしていたわけでもなかったのですが、やはり「30年」なのです。

 

場内では、「30周年記念グッズ」も販売されていましたし、プログラムにも、「武生国際音楽祭30年のあゆみ」が掲載され、さらに、テレビモニターでは、これまでの音楽祭にて撮影された写真の数々を見ることも出来ました。

 

懐かしい!!

 

始まった当初の「盛り上がり」は、やはり「現在以上」で、「プレイベント」の模様や、「学校」など、「その他のイベント」の様子も映し出されていました。

 

まだ「50代」であった、「若き日」の舘野泉さんの写真も何枚かありました。そして、現在の細川俊夫音楽監督(1955-)の前の、小松長生音楽監督(1958-, 福井県坂井市出身)の姿もありました。私は、この「小松監督」の時代に、一度だけ、「メインコンサート完全入場」を果たしたことがあります(1996年)。ピアノのベリー・スナイダー教授(米イーストマン音楽学校)など、とても「懐かしかった」ですね。

 

さて、この日のプログラムは、ピアニストで、「コンサート・プロデューサー」でもある伊藤恵(いとうけい)さん(1959-)のプロデュースによるステージで、「弦楽器とピアノの共演」というタイトルでした。

 

途中、15分間の「休憩」をはさみ、前半が、シューマン(1810-56)の2曲、「ヴァイオリンソナタ第1番、第2番」、後半が、フォーレ(1845-1924)の「チェロソナタ第2番」、ラヴェルの「ピアノ三重奏曲」というラインナップです。

 

まず始めに、シューマンの「ヴァイオリンソナタ第1番 イ短調 op.105」(1851)ですが、「低音」が魅力でもあるこの曲は、今回、「ヴィオラ版」として演奏されました。

 

すでに「武生」でも「おなじみの顔」となった、ヴィオラの田原綾子さんですが、やはり「力強い」、また「繊細」な音色で「魅了」してくれました。

 

この先も、演奏スケジュールは「かなり」なものとなっているようですが、11月12日、「桐朋学園富山キャンパス」での公演でも、この曲は弾かれるようです。

https://www.ayakotahara.com/(公式サイト)

 

一聴しただけでも「名曲」という印象のある、この「ヴァイオリンソナタ第1番 イ短調」ですが、作曲された1851年というのは、非常に「多忙」を極めた時期でもありました。

 

前年には、デュッセルドルフの「音楽監督」にも就任し、同時期に「チェロ協奏曲 イ短調 op.129」、「交響曲第3番 変ホ長調 op.97 "ライン"」が作曲され、この1851年には、「交響曲第4番 ニ短調 op.120」(1841-51)の「改訂」も行なっていたのです。

 

ヴァイオリニストのフェルディナント・ダヴィッド(1810-73, メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」の「初演者」として有名)に促され、1851年9月12日から、16日までの「5日間」で、作曲を「完了」したということです。

 

「初演」は翌年3月9日、ダヴィッドと、シューマンの妻クララ(1819-96)によって行われましたが、これはロイス公爵邸における「夕食会」の場においてのものであり、正式には、3月21日に、ライプチヒの「ゲヴァントハウス」で行なわれました。

 

「ヴァイオリンソナタ第2番 ニ短調 op.121」は、前曲の完成から、わずか「40日後」という、1851年10月26日から作曲が始められ、完成したのが、やはり「1週間後」という、「11月2日頃」ということです。

 

シューマン自身は、「第1番」の出来に「満足しなかった(!)」らしく、このような「短期間」ながらも、「細心の注意」をはらって、作曲を進めたということですが、その甲斐もあって、この曲は「高く」評価され、現在でもよく演奏される曲の1つとなっています。

 

(公開)初演者は、やはり、当時の名ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)ですが、「感情の驚くべき統一性と主題の意義から、当代の最も優れた作品の1つと考える」と「称賛」したそうです。

 

しかしながら、その後、シューマンの「病気」は次第に「悪化」していき、その「名声」も「急速」に失われていきました...。

 

この「第2番」を弾いているのが白井圭さん(ヴァイオリン)。そして、ピアノが伊藤恵さんです。

 

休憩時間中、「調律師」の方が、ピアノを「点検」、「調律」している姿が目に入りました。

 

通常は、ほとんど目にすることはありませんが、「何か」が「おかしかった」のでしょうか。

 

昨年、映画「羊と鋼の森」を見ているだけに、ちょっと「興味深い」光景ではありました...。

https://ameblo.jp/daniel-b/theme-10106609564.html(参考:映画「羊と鋼の森」の記事一覧)

 

後半は、今年の「テーマ」でもある、「フランス音楽」の名曲2曲です。

 

まず、こちらもすっかり「おなじみ」となった、横坂源さんのチェロで、フォーレ(1845-1924)の「チェロソナタ第2番 ト短調 op.117」(1921)ですが、やはり「朗々」とした、「伸びやか」なチェロの音色に、「心」を奪われます。

 

この「チェロソナタ第2番」は、「ナポレオン1世没後100年記念式典」(1921年5月5日)のために書いた「葬送歌」を「編曲」して、「第2楽章」として用いている、「重厚」な作品です。

 

フォーレは、この「葬送歌」の作曲依頼を「とても名誉なこと」としつつも、同時に「プレッシャー」も感じていたようでした。

 

それでも、曲は「2週間ほど」で完成したといいます(フォーレは、実際に演奏される「吹奏楽」には「不慣れ」だったため、憲兵隊の音楽隊長に、「編曲」を依頼したそうです)。

 

この「葬送歌」は、自身の書いた音楽の中でも特に「感動的」なものとなったことから、フォーレは、より「演奏される機会の多い」楽曲にしようと考え、この曲を「中心楽章」とした「ソナタ」を構想しました。

 

途中、「病」に倒れたフォーレでしたが、見事に「復活」し、この曲を「書き切った」のでした。

 

「創造性あふれる秋」(ジャン=ミシェル・ネクトゥー)と呼ばれた「1921年」の秋。

 

初演は、翌年5月13日のことで、前日が「77歳」の誕生日であったフォーレは、「称賛の嵐」を受けることになりました。

 

最後に、ラヴェル(1875-1937)の「ピアノ三重奏曲 イ短調」(1914)です。

 

ラヴェルは、少なくとも前年には作曲を計画していましたが、本格的には、3月から始められました。

 

夏には、バスク地方のサン=ジャン=ド=リュズに滞在して作曲を行なっていましたが、ラヴェルの母親が「バスク地方」の出身であり、ラヴェル自身も「バスク地方の街」で生まれ育ったため、特に、この「第1楽章」は、「バスク風の色彩を持つ」と、本人が語っています。

 

ラヴェルは、比較的「ゆっくり」と筆を進めていましたが、「第一次世界大戦」が勃発し(7月28日開戦)、フランスも「参戦」したため、「徴兵」に応じるつもりであった彼は、この曲の完成を急ぐことになりました。

 

その結果、9月には「完成」し、「5ヶ月かかる仕事を、5週間でやり遂げました!!」と、ストラヴィンスキー(1882-1971)に手紙を送ってもいます。

 

その後、ラヴェルは「従軍」し、実際に「戦地」へと赴いています。

 

技巧的にも「難しい」この曲ですが、この夜の出演者、毛利文香さん(ヴァイオリン)、伊東裕さん(チェロ)、津田裕也さん(ピアノ)は、息を合わせて、見事に、この曲を弾き切りました。

 

本当に「見事」でした。

 

終演後、「いつものように」、出演者を交えての「懇談会」、「サイン会」も開催されたようですが、さすがに「夜勤明け」、「年のせい(?)」もあってか、これ以上は「ムリ」でした。

 

何だか「逃げる」ようで申し訳なかったですが、足早に会場を後にし、駅へと向かいました。

 

21時30分過ぎに出たのですが、少しばかり「フラフラ」になりながらも、「52分」には駅に到着し、「2分後」に発車の特急「サンダーバード47号」に乗って帰って来ました(これを逃すと、その後は、22時29分発の普通電車。福井到着は、「22時57分」にもなってしまい、「50分」も遅くなってしまいます)。

 

その後は「バタンキュー」で、翌日も「疲れが抜け切らない」状態であったことは、もう、言うまでもありません...(やっぱり、「年を取った」...)。

 

というわけで、今回は、「武生国際音楽祭」、9月10日の模様をお伝えしました。

 

それではまた...。

 

(daniel-b=フランス専門)