「元の記事」でも採り上げた、「20世紀」を代表する、南米「チリ」出身の偉大な「マエストロ」、クラウディオ・アラウ(1903-91)の「名演奏」です。

「ベートーヴェン没後150周年」(1977)を記念して、当時の「西ドイツ」の首都ボンで行なわれた演奏会(「ベートーヴェン・フェスト」)からの映像です。

こちらも「マエストロ」。アルフレート・ブレンデル(1931-)の「来日公演」からの映像です(1995年前後?)。

「3分割」ですが、最初のものが「第1楽章」、2番目のものが「第2楽章前半」(「第3変奏」まで)、最後が、「第2楽章後半」(「第4、第5変奏」)のものです。続けてどうぞ。

そのブレンデルが、1992年から96年にかけて完成した、「新全集」からの録音です(1995年12月)。

偉大なる「ベートーヴェン弾き」、ヴィルヘルム・バックハウス(1884-1969)による、これも「歴史に残る」名演奏(1953)です。

「ベートーヴェン直系の弟子」でもあるバックハウスの解釈は、「音楽そのものに語らせる」ということで、「現代的解釈の礎」ともなったものです。「譜面付き」でどうぞ!!

さて、来年には、いよいよ「生誕250周年」を迎える「楽聖」ベートーヴェン(1770-1827)。

「3月26日」は「命日」でもありました(一昨年が、「没後190周年」でした)。

 

今回の曲、「ピアノソナタ第32番ハ短調 op(作品).111」(1822)は、私自身がブログを「スタート」した2016年に、南米「チリ」出身の、ピアノの偉大な「マエストロ」、クラウディオ・アラウ(1903-91)の「没後25周年」を「記念」して書いた記事にて採り上げた曲でもあります(この記事は、その「リブログ」として書いています)。

 

当時の記事は、「曲について」というよりは、「クラシック音楽を聴き始めた経緯について」という視点が「主」となっていました。ですから、今回は、あらためて、「曲」について書いてみたいと思います。

 

ベートーヴェンの「最後のピアノソナタ」となった「第32番ハ短調」は、同じく、彼の書いた「ディアベッリ変奏曲 ハ長調 op.120」(1823)とともに、ピアノ音楽の「ひとつの頂点」とも言える「大傑作」です。

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12380477553.html?frm=theme(「ディアベッリ変奏曲」の記事)

 

全体的に「神々しさ」にあふれるその曲想は、より「内面」の世界に沈潜していった、「後期」のベートーヴェンの姿「そのもの」でもあり、「神への帰依」といった、「宗教観」すら感じられる作品だと思います。

 

当時のベートーヴェンは、やはり、体調が「優れなかった」といいます。

 

「この頃」というのは、1819年に作曲依頼を受けた、先述の「ディアベッリ変奏曲」の他に、「後援者」でもあったルドルフ大公(1788-1831)に「献呈」するための「ミサ・ソレムニス ニ長調 op.123」(1823)、さらに、「交響曲第9番 ニ短調 op.125 "合唱付き"」(1822-24)にも取り組んでいた時期でしたが、「自身の健康状態」や、何かと「心労」の元となった、甥カールの「後見問題」などもあって、作曲は、どれも思うように進まず、「数年がかり」となった「労作(超大作)」ばかりです。

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12339572552.html?frm=theme(「交響曲第9番」の記事)

 

「第30番ホ長調 op.109」以降の、いわゆる「後期3大ソナタ」も、この頃から「スケッチ」が始められていましたが、「第32番ハ短調」は、中でも最も早い「1819年」に、「最初のスケッチ」が見られるということです。

 

ベルリンの出版社に宛てた手紙でも、「3曲のピアノソナタを提供する用意がある」(1820年5月31日付け)と書いていましたが、この年に「完成」したのは、結局、「第30番ホ長調」のみにとどまりました。

 

翌1821年は、年初から「リューマチ熱」に苦しめられ、7月には、「強い黄疸症状」のため、「完全安静」を余儀なくされてしまいました。しかしその後、「回復」したベートーヴェンは、「12月25日」には、「第31番変イ長調 op.110」を「完成」させます(翌年初め、「最終楽章」を「手直し」したということです)。

 

1820年9月の「書簡」にも、「作曲中である」という記述が見られる、この「第32番ハ短調」ですが、「完成」したのは、「1822年1月13日」のことです(こちらも、その後、「春頃」までは「修正」が加えられたということです)。「出版」に際しては、「最初の予定」であったアントニー・ブレンターノ(1780-1869, 「女性」です)から、先述のルドルフ大公に「献呈先」が「変更」されていますが(「ミサ・ソレムニス」の完成が遅れていることの「お詫び」?)、その後、「ディアベッリ変奏曲」が、正式に、彼女に献呈されています。

 

この作品が「完成」したことにより、以降、ようやく、「ミサ・ソレムニス」や「ディアベッリ変奏曲」に「集中」出来ることとなりました。翌1823年の3月から4月にかけて、「両曲」とも無事「完成」となり、そして、「第9交響曲」に「専念」することとなったのです。

 

この、「最後」となった「ピアノソナタ第32番ハ短調」は、「対照的な2つの楽章」からなりますが、当初は、従来通り、「3楽章」にする構想もあったといいます。ベートーヴェンが、自身の「伝記作家」でもある、アントン・シンドラー(1795-1864)に語ったところによれば、ただ「時間がなかったから」というのが理由のようですが、聴いてみても分かる通り、この曲は、この「2楽章」で確かに「完結」しているのであり、この「後」にも「前」にも、また「中間」にも「新しい楽章を必要としない」ことは「明白」なことです。さらには、この曲以降に、「これ以上のピアノソナタ」が存在することもまた、「考えられない」ことであり、それだけの「完結感」、「到達感」が、曲全体から感じ取ることが出来るのだと思います。

 

第1楽章は、「第23番へ短調  op.57 "熱情"」(1804-06)同様、「トリル」が印象的な開始となりますが、より重々しく、「荘厳」な響きとなっており、「聴く側」としても、まさに「姿勢を正される」思いです(「熱情」は「第1主題」、「第32番」は「序奏」です)。この「序奏」の後、「低音のトレモロ」がクレッシェンドしていき、「第1主題」の「強奏」で、再び姿勢を正されます。非常に「厳粛」なこの「第1主題」は、「この世のものとは思えない」、とても「重々しい声」が聴こえて来るような感じがします(「交響曲第9番」の、「第1楽章第1主題」などと「同種」のものです)。

 

「第1主題」は、提示部でも「対位法」的(「フーガ」など)に扱われ、わずかに現われる、「第2主題」をも「飲み込んでしまう」ほどの「規模」と「勢い」を持っています。

 

「展開部」も、「第1主題」を中心とした展開で、「序奏」部分の「トリル」が、印象的に「左右交互」に現われる「フーガ」となります(シューベルトも、その最後のソナタ「第21番変ロ長調」の第1楽章の展開部で、「フーガ的手法」を採り入れています)。

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12288017679.html?frm=theme(参考:シューベルトの「ピアノソナタ第21番」の記事)

 

しかし、この「展開部」は、長くは続きません。すぐ「再現部」となります。しかし、この頃にはすでに、「型通りの再現」とはなっておらず、「展開部の続き」のようにも感じられます。こういったところは、少し、「シューベルトのピアノソナタ」を思わせます。「再現部」の後、短い「コーダ」が、曲を「終結」に向かわせますが、「シューベルト」(1797-1828)の場合ですと、ここからようやく「再現部」が始まる感じもしますので、ベートーヴェンの場合、「唐突に終わる」といった感じがしなくもありません。

 

第2楽章は、べートーヴェン自身が「アリエッタ」と名付けた、「崇高」な楽章であり、もはや「天上の音楽」だと言うことが出来ます。主題と5つの「変奏曲」からなる曲ですが、「厳粛」な第1楽章とは実に「対照的」であり、終盤には、「昇天の様子」が描かれているような、そのような「神々しさ」すら感じられます。

 

主題そのものも、「心に深く残る」印象的な旋律です。少し「物悲しく」も感じますが、「これが最後」という感じが、ひしひしと伝わってくるようです。

 

この、「時間が止まったような」美しい主題が、続く「第1変奏」で、ようやく動き始めます。「目的地」へ向かって、「歩き始めた」といった印象でしょうか。

 

「第2変奏」では、さらに曲想が「細分化」されます。少し、「駆け足」気味になったというところでしょう。その「後半」では、続く「第3変奏」に向けた、「心の動き」が感じられるようです。

 

「第3変奏」は、前半の「クライマックス」で、「一番の聴きどころ」とも言えます。一気に「視界が開けた」という感じです。「12/32拍子」というのも、あまり見ませんが、このことも、この変奏を、大変「動きのある」ものにしている、1つの「要因」です。この変奏も、「輝かしい前半」とは対照的な、「影」の部分を「後半」に持ち、その「対比」が、この曲を、いっそう「彫りの深い」ものにしていると言えます。

 

この「第3変奏」は、上掲の動画では、「アラウ」が「15分30秒頃」から。「ブレンデル」が、2番目の動画の終わり近く「6分30秒頃から」(「スタジオ録音盤」は、「16分07秒頃」から)。「バックハウス」が、「12分48秒頃から」となっています。

 

「元の記事」にも書いていますが、この「第3変奏」は、欧米では、「ジャズを思わせる」ととらえられているようです。これもやはり、「12/32」という、「特異」な拍子によるものでしょう。「譜面通り」に弾いて、確かに「そのように」聴こえるのです。「ジャズ」というのは、この曲からは「100年」ほども先の「未来の音楽」であり、「遠い土地」で発展した音楽ですが、ベートーヴェンが「心に描いた」音楽は、それをすでに「先取り」していたとも言えるのです。「偶然」と言ってしまえば「それまで」ですが、こういった「つながり」は、「いつの時代」にも、どこかで「必ず」、「ある」ものなのです。

 

実は、「こうした発見」から、「ハマって」いくものなのです。そう考えると、「クラシック音楽」も「面白い」と思えることでしょう...。

 

短い「間奏」をはさんで、この先は、いよいよ「天上の世界」へと足を踏み入れます。

 

「第4変奏」、「第5変奏」とも、「第9交響曲」の「終盤」同様、この上ない「崇高さ」を感じますが、これは、「高音部」の細かい動きと、「中低音部」の、「ゆったり」とした「重厚な響き」によるものです。最後の「主題の回想」は、まさに「昇天」の場面を思わせます...(これ以上の言葉は見つかりません...)。

 

ベートーヴェンが、「ピアノソナタ」の創作を「完了」したこの年の「秋」、シューベルトは、「革命的」とも言える、「さすらい人幻想曲 op.15, D.760」によって、その「後期(最後の7年)」の扉を開きます。

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12272218417.html?frm=theme(「さすらい人幻想曲」の記事)

 

ベートーヴェンは、翌1823年春に、「4年がかり」となってしまった「ディアベッリ変奏曲」をようやく「完成」させましたが、ここで「書き加えられ」、「推敲」された「終盤部分」は、この「ピアノソナタ第32番」の精神とも「共通する」ものを持っています。

 

ピアノの「大曲」としては、それが「最後」となりましたが、その「精神」は、シューベルトたちによって確かに「引き継がれ」、時代は「ロマン派」へと移り変わっていったのです...。

 

さて、「元の記事」にて、その「曲名」を挙げていた、アラウによる、ベートーヴェン初期の「佳曲」、「ピアノソナタ第6番 op.10-2」(1798)の録音(1988年)がアップされていましたので、ここに挙げておきたいと思います。

 

上から順に、「第1楽章」、「第2楽章」、「第3楽章」ですが、中でも、「第2楽章」は「聴きもの」です。すでに、「後期」を思わせる作風であり、アラウの演奏も、一音一音が実に「丁寧」で、本当に、心に染みて来ます...。

 

「予定」よりかなり遅れましたが、何とか、「アップ」にまでこぎ着けました。

 

それではまた...。

 

(クラウディオ・アラウの録音です)

 

(アルフレート・ブレンデルの録音です)

 

(ヴィルヘルム・バックハウスの録音です)

 

 

(daniel-b=フランス専門)