「冬が似合う名曲特集」をお送りしています。

 

今回は、この曲を抜きにしては、「年を越せない」かも、というくらい、「おなじみ」の名曲ですが、ベートーヴェン(1770-1827)の「交響曲第9番ニ短調 op.125 "合唱付き"」(1822-24)、この作品について書いてみたいと思います。

 

ベートーヴェンが、この曲の作曲に集中して取り組むようになったのは、1819年から書き続けていた大曲、「ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲) ニ長調 op.123」がようやく完成した、1823年春以降のことです。

 

1817年6月に、ロンドンのフィルハーモニー協会より、交響曲2曲の作曲依頼を受けたベートーヴェンでしたが、当時は、体調が本当にすぐれず、着手することも出来ないまま、翌年初めの「招待」も、断らざるを得なかったと言います。

 

1818年5月には、何かと「心労」の元となった甥カールを連れて、(ウィーン)郊外のメードリングの「ハフナーハウス」に滞在しますが、この頃のスケッチ帳の中に、現在の、交響曲第9番第1楽章のスケッチが見られるということです。別のスケッチ帳には、もう1曲の交響曲の「プロット」が書かれており、そこには、

 

「アダージョの頌歌、交響曲中に、教会調で頌歌を加える...終楽章で次第に声楽が加わるように...管弦楽編成は、通常の10倍の大きさで...」

 

とあります。ロンドンから依頼されたのは「2曲」ですから、当初は、「別々の曲」として、一方を、「管弦楽のみ」の、通常の交響曲、もう一方を、「声楽」を採り入れた交響曲にしようと考えていたようです。後者は、当時の、「民族意識の高揚」という風潮もあって、「ドイツ交響曲」と名付けて作曲を進めることになりました。

 

後援者でもあったルドルフ大公(1788-1831)に献呈するための「ミサ・ソレムニス」が、自身の体調や、甥の後見問題などで、「想定外の遅れ」となったために、そちらを「優先」していたこともあって、必然的に、交響曲の作曲も、大幅に遅れることになってしまいました。

 

ピアノソナタの作曲も、至高の作品「第32番 ハ短調 op.111」で「完了」となり(ピアノの「大作」としては、翌1823年の「ディアベリ変奏曲」が「最後」です)、「ミサ・ソレムニス」も「完成間近」となったことから、1822年の終わりごろから、いよいよ、本格的に、この交響曲の作曲に向かうことになります。

 

先述のように、当初は、(「第5番&第6番」「第7番&第8番」の時と同様に、)2曲の交響曲を、並行して作曲を進める計画でした。ところが、いつしか、この2つの曲は、1つにまとめられることになったようです。これが、最終的に、現在知られている、「第9交響曲」と呼ばれるものになったのです。全曲の完成は、1824年の2月中旬のことでした。

 

この曲の「起源」をたどれば、先述の第1楽章のスケッチが「1818年」ですが、それ以前の、1815年のスケッチ帳には、第2楽章の主題がすでに書かれており、これは、その2年後のスケッチにも見られるということです。

 

この交響曲の一番の特徴でもある、第4楽章の「合唱」で歌われる詞は、詩人フリードリヒ・フォン・シラー(1759-1805)が、1785年に書いた詩「自由賛歌」(ドイツの学生の間で、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の曲で歌われていたと言います)を、同年書き直した「歓喜に寄す」となります。

 

ベートーヴェンは、この詩に感動し、1792年から、93年にかけて、「曲を付けたい」と周囲に話していたようです。当時は、交響曲がまだ1曲も書かれていない頃で、どのような形で曲を付けるかなどは、まったくの「未定」でした。

 

この主題の旋律のルーツは、1808年に書かれた「合唱幻想曲 ハ短調 op.80」にあると言われていますが、さらに以前の、いくつかの歌曲にも、類似する旋律が認められるということです。

 

ベートーヴェンは、この詩を使うに当たっては、全体の「3分の1」程度とし、詩の順番も、若干アレンジをしているようです。この主題が書かれたのは、1822年頃のことと言われています。また、当初、「純器楽」用に作曲されていた最終楽章は、翌1825年に完成した、「弦楽四重奏曲第15番 イ短調 op.132」に流用されたということです。

 

初演は、1824年5月7日のことですが、指揮をしたベートーヴェンが、観客の拍手喝采に気付かず、アルト歌手カロリーネ・ウンガーが、彼を観客の方へ向かせたことで、やっと、「大成功」であったことを理解したことなど、「逸話」は数多く残っています(実際には、「正指揮者」がもう1人いました)。

 

その後の演奏では、やはり、「長大」で「異質」な第4楽章はなかなか受け入れられず、ベートーヴェンは「改作」も考えていたようですが、これは、果されないまま、生涯を終えました。

 

現在では、「欧州連合(EU)の歌」としても採択されている、この第4楽章「歓喜の歌」ですが、大衆に浸透するまでには、やはり、相当な時間がかかったようです。

 

今回採り上げた音源は、20世紀を代表する偉大なマエストロ(巨匠)、カール・ベーム(1894-1981)が、「最晩年」の1980年11月、手兵のウィーン・フィルを指揮した、「伝説の名演奏」です。テンポは「遅め」ではありますが、1音1音を、「慈しむ」ように丁寧に奏でていることから、私は、この録音を大変気に入っています。また、ソプラノとしてジェシー・ノーマン(1945-)、テノールとしてプラシド・ドミンゴ(1941-)も参加しています。

 

余談ながら、音楽用のCDの規格(74~80分収録)というのは、この「第9交響曲」を、「1枚」に収めるため、提案、採択されたものです。元ソニー社長の大賀典夫氏(1930-2011)が、親交のあったマエストロ、ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-89)の提言から、実現に導いたのだと言われています。

 

以下に、「歓喜に寄す」の詩を載せておくことにしましょう。

 

最初の、「おお友よ、このような音ではない!」の一節は、ベートーヴェン自身が書いたものです。この直前には、冒頭で奏された「不協和音」が再現されるのですが、それに対しての

言葉なのです。

 

今回は、「ドイツ語」ですので、日本語訳は、ウィキペディアに掲載されているものを、そのままお借りしました。

 

原詩は「書き写し」ましたが、ドイツ語に特有の「ウムラウト(母音の上の2つ並んだ点)」については、「代替表記」にすると「煩雑」になりがちなので、そのままにしてあります。

「エスツェット」に関しては、「代替表記」の「ss」で記しています。

 

さあ、みなさんも、「1年のあらゆる疲れ」を、この曲で「洗い流し」ましょう!!

 

それではまた...。

 

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ODE "AN DIE FREUDE"  頌詩「歓喜に寄す」

 

(Beethoven)

O Freunde, nicht diese Tone!

sondern lasst uns angenehmere anstimmen

und freudenvollere!

 

(ベートーヴェン)

おお友よ、このような音ではない!
我々はもっと心地よい
もっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか

 

Freude, schoner Gotterfunken,

Tochter aus Elysium,

Wir betreten feuertrunken,

Himmlische, dein Heiligtum!

Deine Zauber binden wieder,

Was die Mode streng geteilt;

Alle Menschen werden Bruder,

Wo dein sanfter Flugel weilt.


歓喜よ、神々の麗しき霊感よ
天上の楽園の乙女よ
我々は火のように酔いしれて
崇高な汝(歓喜)の聖所に入る

汝が魔力は再び結び合わせる
時流が強く切り離したものを
すべての人々は兄弟となる
汝の柔らかな翼が留まる所で

 

Wem der grosse Wurf gelungen,

Eines Freundes Freund zu sein,

Wer ein holdes Weib errungen,

Mische seinen Jubel ein!

Ja, wer auch nur eine Seele

Sein nennt auf dem Erdenrund!

Und wer's nie gekonnt, der stehle

Weinend sich aus diesem Bund.

 

ひとりの友の友となるという
大きな成功を勝ち取った者
心優しき妻を得た者は
彼の歓声に声を合わせよ
そうだ、地上にただ一人だけでも
心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ
そしてそれがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい

 

Freude trinken alle Wesen

An den Brusten der Natur;

Alle Guten, alle Bosen

Folgen ihrer Rosenspur.

Kusse gab sie uns und Reben,

Einen Freund, gepruft im Tod;

Wollust ward dem Wurm gegeben,

Und der Cherub steht vor Gott!

 

すべての被造物は
創造主の乳房から歓喜を飲み、
すべての善人とすべての悪人は
創造主の薔薇の踏み跡をたどる
口づけと葡萄酒と死の試練を受けた友を
創造主は我々に与えた
快楽は虫けらのような弱い人間にも与えられ
智天使ケルビムは神の御前に立つ

 

Froh, wie seine Sonnen fliegen

Durch des Himmels pracht'gen Plan,

Laufet, Bruder, eure Bahn,

Freudig, wie ein held zum Siegen

 

天の星々がきらびやかな天空を
飛びゆくように、楽しげに
兄弟たちよ、自らの道を進め
英雄のように喜ばしく勝利を目指せ

 

Seid umschlungen, Millionen.

Diesen kuss der ganzen Welt!!

Bruder! Uber'm Sternenzelt

Muss ein lieber Vater wohnen.

ihr sturzt nieder, Millionen?

Ahnest du den Schopfer, Welt?

Such' ihn uber'm Sternenzelt!

Uber sternen muss er wohnen.


抱擁を受けよ、諸人(もろびと)よ!
この口づけを全世界に!
兄弟よ、この星空の上に
ひとりの父なる神が住んでおられるに違いない
諸人よ、ひざまずいたか
世界よ、創造主を予感するか
星空の彼方に神を求めよ
星々の上に、神は必ず住みたもう

 

 

(daniel-b=フランス専門)