天国の書 第7巻(2) | それゆけだんごむし!ーカトリック

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天国の書

神によって創造された、秩序、場所、目的に対する

被造物への呼びかけ

 

第7巻(2)

 

神のはしためルイザ・ピッカレータ

神の意志の小さな娘

 

  

 

 

 

 

ベル 目 次 ベル

 

【 2 】

 

1906年4月25日

 彼女はイエスと共に苦しむ。

 イエスは彼女に、ご自分の苦しみのすべてと、ご自身のすべてを贈られる。

 

1906年4月26日

 イエスは彼女を苦しめないために、懲罰をみせようとしない。

 

1906年4月29日

 すべてにおいて空っぽの魂は、いつも流れる水のようである。

 

1906年5月4日

 魂の恐れと涙。イエスは彼女に、もっと正確に書くように求める。

 

◆1906年5月6日

 神は魂の糧であり生命である。

 

◆1906年5月7日

 イエスはルイーザの内面から出ようとしない。

 

◆1906年5月15日

 魂はスポンジのようなもので、自分を絞ると神に浸される。

 

◆1906年5月18日

 イエスが眠っている間、魂は苦しむ。

 

◆1906年6月13日

 魂は、自分の最高で唯一の善からもっと愛されたいという願いを叶えるためなら、行き過ぎたことでさえ行なう。

 

◆1906年6月15日

 神聖なる生命全体が愛から生命を受ける。

 

 

 

1906年4月25日

彼女はイエスと共に苦しむ。

イエスは彼女に、ご自分の苦しみのすべてと、ご自身のすべてを贈られる。

 

いつもの状態でいると、私の中に祝福されたイエスが十字架にかけられ、苦しんでいるのが見えました。そして私もイエスと一緒に苦しむことになるように思えました。すると主はわたしにこう言われました。

 

「娘よ、すべてはあなたのものです。私の苦しみも、私自身のすべても、すべてを贈りものとしてあなたに与えます。」

 

そしてこう付け加えました。

「娘よ、被造物は私に対してどれほど多くのことを行なうことでしょう。なんという罪への渇き、なんという血への渇き! 私は地球の内部を注ぎだし、それらすべて焼き尽くすことだけを望んでいます。」

 

そして私は

「主よ、何をおっしゃっているのですか?あなたは私に、あなたはすべて私のものであり、誰かに身を捧げる者はもはや自分自身の主人ではないと言われました。私はあなたにこのようなことをして欲しくありませんし、あなたはそれをしてはいけません。もし私からの満足を望むのなら、お望みの苦しみを何でも与えてください。私にはすべての準備が整っています。」

 

そのため、私はまるで主を縛り付けているかのように自分の中に主を感じ、そして主は何度もこう繰り返しました。

 

「これ以上我慢できません!私にさせてください!やらせてください!これ以上我慢するのは無理です!」

 

そしてわたしは繰り返しました。

「主よ、私はそれを望みません。」

 

しかし、そう言っているうちに、私のような罪深い魂を憐れんでくださる主の優しさに胸が張り裂けそうになりました。私は神の善良さについて多くのことを理解することができましたが、それを上手く言うことができません。

 

 

 

1906年4月26日

イエスは彼女を苦しめないために、懲罰をみせようとしない。

 

憐れな状態を続けていると、ベッドの周りに、地震や戦争など、私にはよく理解できない世界に起こっている多くの懲罰を私に見せて、主にとりなしを願っている人たちがいると感じました。私には彼らが聖人であるように思えましたが、確かなことは分かりません。そうこうしているうちに、祝福されたイエスが私の内面から出て来て、彼らに言われました。

 

「彼女に干渉してはなりません。彼女に悲しい場面を見せようとして彼女を苦しめてはなりません。むしろ彼女を穏やかにさせ、私と二人きりにさせなさい。」

 

彼らは去りましたが、私には気がかりなままでした。

「何が起きているのでしょう、主は私に見せたくないようです…。」

 

その後、私は自分の外にいることに気付き、一人の司祭を見ました。司祭はここ数日に起きた地震について話し始め、こう言いました。

 

「主はひどくお怒りです。それらはまだ終わっていないと思います。」

 

そして私は

「私たちが助かるかどうかは誰にもわかりません。」

 

彼は燃え上がり、彼の心臓の鼓動がとても強く鼓動しているように見え、私自身もそれを感じることができ、その鼓動が私の胸に響き渡りました。彼が誰なのかは分かりませんでしたが、何かが伝わってくるのを感じました。

 

そして彼はこう付け加えました。

「すべての人を愛する心があるのに、どうして人が滅び、死ぬという重大なことが起こるのでしょうか?せいぜい数回の揺れを感じる程度で、大きな被害はないでしょう。」

 

「すべての人を愛する心」という言葉を聞いたとき、私は自分が馬鹿にされたように感じ、自分でもどうしてこんなことを言ったのか分かりません。

 

「何を言っているの?すべての人を愛する心ですって?すべての人を愛するだけでなく、すべての人のために償い、すべての人のために苦しみ、すべての人のために感謝し、すべての人のために賛美し、すべての人のために崇拝し、すべての人のために聖なる掟を尊重する心です。なぜなら、他の人たちが彼に与えるはずだった愛とすべての満足をその人に与えなければ、その人の中にすべての善と、すべての満足を見出さなければ、それが最愛の人に対する真の愛とは私は信じません。」

 

私の話を聞いて、彼はさらに燃え上がり、私を抱きしめたいような仕草で私に近づいてきました。私は怖くなり、そのように話したことを恥ずかしくなり、彼の鼓動に打たれた私の心臓はドキドキしていました。彼はまるで私たちの主であるかのように変容したように見えましたが、確かなことは分かりません。彼に逆らうことができないまま、彼は私を抱きしめてこう言いました。

 

「毎朝、あなたの所に行きます、一緒に朝食を食べましょう。」

 

その瞬間、私は自分の中にいることに気が付きました。

 

 

 

1906年4月29日

すべてにおいて空っぽの魂は、いつも流れる水のようである。

 

いつもの状態を続けていると、祝福されたイエスがほんの少しお出でになり、私の内面をご自身ですべて満たしてくださり、こう言われました。

 

「娘よ、空っぽの魂は流れる水のようなものです。それはいつも流れ、それが来た中心地に達すると、そこで初めて止まります。そして水には色がないため、そこに映っているすべての色を自分自身に取り込みます。同じように空っぽの魂は走り、常に自分が来た神聖な中心に向かって走り、自分のすべてを完全に神で満たすようになったとき、初めて魂は立ち止まります。実際、魂は空っぽなので、自分自身の色をもっていないため、神聖な存在の何一つ逃すことなく、すべての神聖な色を自分の中に取り込みます。そして、空っぽの魂だけが、何もかもが空っぽであるがゆえに、真理に従って物事を理解します。苦しみの尊さ、美徳の真の善、唯一永遠なる御方への必要性。なぜなら、何かを愛するためには、愛するものと正反対のものを憎むことが絶対に必要だからです。空っぽの魂だけが、このような大きな幸福に達します。」

 

 

 

 

 

1906年5月4日

魂の恐れと涙。イエスは彼女に、もっと正確に書くように求める。

 

私は愛すべきイエスをはっきり見ることが出来なかったことにとても苦しみ、さらに私の考えは、私のいのちであるイエスはもう私を愛していないと告げています。ああ、神よ、私の哀れな心はどんなに死ぬほどの苦痛を感じたことでしょう!この状態から解放されるためにどうしたらいいのか分かりません。私は苦い涙を流し、自分を解放するためにこう言いました。

 

「イエスはもう私を愛していないのですか?神が私を愛しておられなくても、私は以前よりもっと神を愛します。」

 

私は従うためにこれを書きました。そして主は多くの苦しみの後に、私の涙のために涙を流して来てくださいました。なぜかは分かりませんが、その考えが私を興奮させ、刺激し、もっと主を愛するようにさせたので、それを喜んだ主は私にこう言われました。

「なんですか?私があなたを愛していない?私はあなたをとても愛しているので、あなたの涙さえも記録し、私の喜びのためにそれを私の顔に刻んでいます。」

 

そしてその後こう付け加えられました。

 

「娘よ、もっと正確に、もっと正確に、そしてすべてを書き表して欲しいのです。というのも、あなたは多くのことを省略しているからです。しかし、多くのことが他の人の役に立ちます。」

 

これを聞いて私は混乱したままでした。というのも、実のところ私は多くのことを省略しているからです。私の書くことに対する嫌悪感は非常に大きく、従順がなしうる奇跡だけが私を打ち負かすことが出来ます。すべては神の栄光のためであり、私の混乱のためでありますように。

 

 

 

 

1906年5月6日

神は魂の糧であり生命である。

 

いつもの状態を続けていると、祝福されたイエスが、まるで私を元気づけたいかのように、手にパンを持って、ほんの少しだけお出でになりました。なぜなら、私は、彼の絶え間ない窮乏のために体調を崩し、ほんの一筋の命の糸が私を生かしているように感じ、そして私はこの糸の下で焼き尽くされ灰になるのだと思えました。そして、そのパンで私を元気づけた後、主はこう言われました。

 

「娘よ、物質的なパンは肉体のための食物であり生命です。そして、そのパンから命を受けない肉体はありません。同じように、神は魂の食物であり生命であり、神から生命と食物を取らない粒子はあってはならないのです。すなわち、自分のすべてを神のうちに生かし、自分の望みを神のうちに養い、自分の感情、傾き、愛に、神のうちから生命と食物を取らせるのです。しかし、おお、なんと多くの者たちが、あらゆる種類の汚物を魂の糧としていることでしょうか!」

 

そう言うと、主は姿を消し、気が付くと私は教会の中にいて、様々な人が「呪われろ、呪われろ…」と言っているようでした。まるで祝福された主と被造物自身を呪おうとしているかのように。どうしてかはわかりませんが、私はその悪意の重みをすべて理解し、まるでそれが神と自分自身の破滅を意味しているように思え、私はこれらの悪意のために激しく泣きました。その時、祭壇で祭儀を捧げる司祭が、まるで私たちの主であるかのように、悪口を口にした者たちの真ん中に入って行き、少なくとも20回以上、厳粛で権威ある声で言いました。

 

「呪われた、呪われた!」

 

そして彼がこう言っている間に、何千人もの人々が、ある者は革命で、ある者は地震で、ある者は火の中で、ある者は水の中で死んでいくように思われました。私にはこれらの懲罰は戦争が間近に迫っている前兆のように思えました。私が泣くと、主は私に近づいてこう言われました。

 

「娘よ、恐れることはありません。私はあなたを呪っているのではありません。それどころか、私はあなたに何千回、何万回も『祝福あれ』と言います。これらの人々のために泣き、祈りなさい。」

 

 

 

 

1906年5月7日

イエスはルイーザの内面から出ようとしない。

 

今朝、聖体拝領を受けた後、私の内面に祝福されたイエスがいらっしゃるのを目にしたので、私はイエスに言いました。

 

「愛する人よ、内側から出てきてください。外に出て、あなたを抱きしめ、あなたと話したいのです。」

 

すると主は手で合図をして私に言われました。

 

「娘よ、出たくありません。私はあなたの中にいます。なぜなら、もし私があなたの人間性から抜け出すなら、優しさ、思いやり、弱さ、心配りを含む人間性から外れ、私が生きている人間性から出て行ったのと同じことになるからです。実際、あなたと私は同じ生贄の立場にあるのだから、私はあなたに他人の痛みの重さを感じさせなければなりません。私は出て行きますが、あなたの内面から出て行くのではありません。そうではなく人間性のない神の内側から出て行きます。そうすれば私の正義は被造物を懲らしめるために適切な道を歩むでしょう。」

 

そして主はどんどん奥深くに入っていかれるように思われました。私は彼に繰り返しました。

 

「主よ、出てきてください。あなたの子供たち、あなたの肢体、あなたの似姿をお救い下さい。」

 

そしてイエスは手で合図をして、こう繰り返しました。

 

「出ません。出ません…。」

 

彼はそれを何度も繰り返し、人間性に含まれているものについて多くのことを私に教えてくれましたが、私はそれを言うことが出来ません。頭の中にはあるのですが、言葉で表現することが出来ないのです。私はむしろこれを書かない方がよかったのですが、従順はそれを望みませんでした。フィアット、常にフィアット。

 

 

 

1906年5月15日

魂はスポンジのようなもので、自分を絞ると神に浸される。

 

いつもの状態を続けていると、祝福されたイエスがいないために極度の苦しみ感じ、疲れ果て、力が尽きてしまいました。この時、主は私の内面にほんの少しだけご自身を現わし、私にこう言われました。

 

「娘よ、魂が行わなければならないのは、自分自身を絶えず絞り続けることです。実際、魂はスポンジのようなものです。もし魂が自分を絞るなら、魂は神に浸されるようになり、神に浸ることで、自らの中に神のいのちを感じ、美徳と聖なる傾向への愛を感じるのです。魂は自分が神に征服され、変容していくのを感じますが、自分を絞らなければ魂は自分自身に浸ったままです。それゆえ魂は脱落した本性に含まれるすべての影響を感じます。高慢、なたみ、不従順、不純など、すべての飽く時が顔をのぞかせるのです。」

 

 

 

 

1906年5月18日

イエスが眠っている間、魂は苦しむ。

 

私自身、自分がどうやって生きているのか分からなくなるほど激しく魂と肉体の苦しみを感じていたとき、祝福されたイエスがほんの少しの間、私の心の中で休んで眠っているのを見ました。私は彼を呼び、彼を引っ張りましたが、彼は聞く耳を持ちませんでした。そして多くの苦しみの後、主は私に言われました。

 

「愛する人よ、私の休息を邪魔しないで欲しい。あなたは私の身代わりとなって苦しみたいと言ってくれないのですか?そしてもし私が生きていたら、私の人間性の中で苦しむであろうすべてのことを、あなたの人間性の中で苦しみたいと言ってくれないのですか?あなたの苦しみによって私を和らげ、私を自由にするために、自分が苦しもうとしてくれないのですか? だからあなたが苦しんでいる間、私が休むのです。」

 

そう言っているうちに、イエスはさらにぐっすりと眠ってしまい、姿を消しました。主が私に言われたことは、私の苦しみの中で、私が常に心掛けていることです。

 

 

 

1906年6月13日

魂は、自分の最高で唯一の善からもっと愛されたいという願いを叶えるためなら、行き過ぎたことでさえ行なう。

 

私は主の窮乏の中で生き続けています。主はたいてい私に何も言わずに通りすがりにお姿を見せたり、私の中で休んで眠っているお姿をお見せになるだけです。私が嘆き悲しむと、主は私にこう言われます。

 

「あなたが嘆くのは間違っています。あなたが望むのは私なのですか?それなら、あなたの心の奥底には私がいる。これ以上何を望むのですか?」あるいは「もしあなたが私を完全に自分の中に保っているなら、なぜ自分を苦しめるのですか?それは私があなたに話しかけないからですか?私を見るだけで、私たちはお互いを理解し合える。」また主は、キスや抱擁、愛撫で近づいてこられ、私が落ち着かないのをご覧になると、激しく叱責し、こう言います。「私はあなたの不機嫌に不満を抱いているだけです。もしあなたが落ち着かないのなら、私は完全に隠れて、本当に不愉快な思いをさせるでしょう。」

 

私の魂の苦しみを誰が言い表すことができるでしょう?意識が朦朧としていて、感じたことを表すことができません。それに、ある種の心の状態では、黙って先に進む方が良いこともあります。

 

そして今朝、私は主を見たとき、自分が自分の外に運ばれていくのを感じました。それが楽園だったかどうかはよく分かりません。多くの聖人がいて、皆愛に燃えていましたが、不思議なことに、すべての人が愛していたのに、ある人の愛は他の人の愛とは異なっていました。しかし、彼らと一緒にいる自分を見つけると、私は自分を際立たせ、愛において彼ら全員を凌駕しようとしました。神が愛するすべての人の中で一番になりたいと思ったのは、私の心があまりにも高慢で、他の人が私と同等であることに耐えられなかったからです。なぜなら、より多く愛する者は、よりイエスに近づき、よりイエスに愛されると思ったからです。ああ、魂はあらゆる行き過ぎに打ち勝ち、生死を気にせず、自分にとって都合がいいかどうかも考えない。要するに、魂はこの目的を達成するためなら、神に近づき、魂の最高にして唯一の善からもう少し愛されるためには、行き過ぎたことさえ行なうのです。しかし、私の最大の悲しみは、しばらくして、抗いがたい力が私を自分自身に引き戻したことでした。

 

 

 

 

1906年6月15日

神聖なる生命全体が愛から生命を受ける。

 

私がひどく苦しんだ後、祝福されたイエスが通りかかり、私にこう言われました。

 

「娘よ、神聖な生命はすべて愛から命を受けています。愛がそれを生成し、愛がそれを生み出し、愛がそれを創造し、愛がそれを保存し、そのすべての働きに絶え間ない生命を与えます。ですから、もし愛がなければそれは機能せず、生命もありません。さて、被造物は神という偉大な愛の炎から生れた花火にすぎず、彼らの生命はこの火花から生命と活動するエネルギーを受けています。ですから人間の生命もまた、愛から生命を受けます。しかし、誰もがこの火花を、美しいもの、善いもの、つまりすべてを愛し、活動するために使うわけではなく、ある者は自己愛に、ある者は被造物への愛に、ある者は富に、ある者は獣への愛にこの火花を変容させます。創造主のこの上ない悲しみは、彼の偉大なる炎からこれらの火花を解き放ち、神の神聖な生命の多くの似姿のように繁栄させ、それらすべてを再びご自身の中へ迎え入れたいと切望しています。しかし、創造主の真似をする者はほとんどいません。それゆえ愛する者よ、私を愛しなさい。そしてあなたの呼吸さえも私への絶え間ない愛の行為とし、この火花から小さな炎を立ち上がらせ、創造主の愛のはけ口となりなさい。」

 

 

 

 



ヨハナ通信

 

天国の書「第7巻」始めました。

順次更新予定です。

 

 

 

 

キラキラみなさんに神様の祝福がありますようにキラキラ