それゆけだんごむし!「神のご意志の王国」ーカトリック

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神のはしためルイザ・ピッカレータ 
被造界における神の王国
「天国の書」
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「ラウンドの祈り」などを紹介しています。

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我が愛、我がすべてよ、


どうかあなたの愛がどこでまでも私を満たし、

あなたのものではないすべてを


焼き尽くしてくださいますように。



そして私の愛が常にあなたに向かって走り、

あなたの御心を悲しませるものすべてを


焼き尽くすことができますように。



 


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被造物たちの中の神の意志の王国

天国の書

神によって創造された

秩序・位置・目的に立ち返るための

聖なる招き

 

第12巻(10

 

神のはしためルイザ・ピッカレータ

神の意志の小さな娘

 

  

 

 

ベル 目 次 ベル

 

【10/23(分割23回の予定です)

 

1918年9月25日

 苦しみを担う者の務め。

 

1918年10月3日

 正義はいかにしてバランスよく保たれるべきか。

 

◆1918年10月14日

 真の平和は神から来る。最大の懲罰とは、悪が勝利することである。


◆1918年10月16日

 主は戦争とある国々の運命を予言する。

 

◆1918年10月24日

 魂は、イエスを聖体のうちに受けるためには、 自らをイエスで包まなければならない。

 

◆1918年11月7日

 神の意志を行う魂は、イエスを自分のうちに閉じ込める。

 

◆1918年11月15日

 神の意志を行う魂は、イエスの聖性によって生きることができる。

 

◆1918年11月16日

 屈辱は光りが差し込む亀裂である。

 

 

 

 

 

1918年9月25日

苦しみを担う者の務め

 

私はひどく苦しみ、いつもの状態から抜け出したいという衝動に駆り立てられるような、内なる力を感じました。ああ神よ、なんという痛みでしょう! 私は死に至るような苦しみを味わいました。私の魂の苦しみを知ることができるのはイエスだけです。それを表す言葉がありません。それに、私のすべての苦しみを知って欲しいのはイエスお一人だけなので、前に進みます。

 

 

私が苦しみの中を漂っているとき、愛すべきイエスが苦しみに満ちたお姿で現れ、私の口に指を置いてこう言われました。

 

「私はあなたを満足させました。静かにしなさい。あなたは覚えていないのですか? 私が何度も、多くの死者、人口が減った町、ほとんど廃墟と化した都市を見せたとき、あなたは私に『だめです、どうかそんなことはなさらないでください。もし本当にそれをなさるのなら、人々が秘跡を受ける時間だけはお与えください。』と言ったではありませんか。私はそうしています。ではこれ以上何を望むのですか? しかし、人間の心は固く、まだ完全に疲れ果ててはいません。 人間はまだあらゆる悪の頂点に達しておらず、したがって、まだ満足もしていないのです。 だから、降伏せず、疫病さえも無関心に眺めています。しかし、これらは序曲にすぎません。その時は必ず来ます!——それは必ず来ます——その時、私はこの邪悪で堕落した世代を、地上からほぼ消し去るでしょう。」

 

 

 

 

 

1918年10月3日

正義はいかにしてバランスよく保たれるべきか。

 

私は祝福されたイエスに、ご自分をなだめてくださるように祈っていました。するとイエスがほんの少しだけ私のところに来てくださったので、私はこう言いました。

 

「愛するイエスよ、この時代に生きることはなんと辛いことでしょう。どこに行っても、涙の声が聞こえ、苦しみが見えます。私の心は血を流しています。もしあなたの聖なる御意志が私を支えてくださらなければ、私はもう生き続けることはできないでしょう。ああ、死の方がどれほど甘く感じられることでしょう!」

 

すると、愛するイエスがこう言われました。

 

「娘よ、私の正義はバランスを保たねばなりません。私の中にあるすべてのものはバランスを保っています。しかし、死の鞭が触れる魂には恵みがはたらくので、ほとんどの者が、最後の秘跡を望むようになるでしょう。人間は、自分の身に直接災いが降りかかり、破滅が迫っていると感じたときにしか目を覚まさないところまで来てしまいました。一方でまだ自分が傷つけられていない者たちは、気楽に構えて罪深い生活を続けています。死は、自分の足元に茨を生やすことしかしない多くの命を刈り取るために収穫を行なわなければなりません。これはすべての階級、信徒、修道者も同じです。 ああ!娘よ、今は忍耐の時です。恐れてはなりません。すべてが私の栄光と、すべての者の善のために満ち溢れるように祈りなさい。」

 

 

 

 

 

 

1918年10月14日

真の平和は神から来る。最大の懲罰とは、悪が勝利することである。

 

私はいつもの状態で、苦々しさと欠乏に満たされていましたが、愛するイエスがお出でになられて、こう言われました。

 

「娘よ、諸政府は自分たちの足元の地盤が崩れつつあるのを感じています。私はあらゆる手段を用いて、彼らを降伏させ、正気に立ち返らせ、そして彼らが、真の平和——永続する平和——を望むことができるのは、ただ私からだけだと悟らせるでしょう。だからある時はある者を遜らせ、またある時はある者を遜らせます。ある時は彼らを仲間にし、ある時は敵にします。私はあらゆることをするでしょう。彼らの腕の力を失わせ、思いもよらぬこと、予期せぬことを行なって彼らを混乱させるでしょう。 そして人間の世界や、彼ら自身の不安定さを悟らせ、唯一神こそがすべての善を期待できる揺るぎない存在であり、もし彼らが正義と平和を望むなら、真の正義と真の平和の源泉に来なければならないことを悟らせるでしょう。 そうでなければ、彼らは何も成し遂げられず、今後も争い続けるでしょう。そして、たとえ平和が整えられたように見えても、それは長続きせず、争いは再び、しかもより激しく再燃するでしょう。 娘よ、今の世のありさまでは、私の全能の指だけがこれを正すことができます。 時が来れば私はその指を差し伸べますが、世界には大いなる試練が必要で、それは必ず起こるでしょう。 だからこそ、大いなる忍耐が求められるのです。」

 

その後、さらに胸を打つ、悲しみに満ちた口調でイエスは続けられました。

 

「娘よ、最大の懲罰とは、悪が勝利することです。さらなる浄めが必要であり、悪はその勝利を通して私の教会を浄めるでしょう。その後、私は彼らを打ち砕き、風に舞う塵のように散らすでしょう。 だから、あなたが耳にする彼らの勝利に心を乱してはいけません。むしろ、彼らの哀れな運命を思って、私と共に涙を流しなさい。」

 

 

 

 

1918年10月16日

主は戦争とある国々の運命を予言する。

 

私は、愛すべきイエスの不在のために非常に苦しみ、 また、私の中で起こってきたすべてが、私の空想か、あるいは敵の仕業による作り物だったのではないかという思いで心が沈んでいました。 イタリアには平和と勝利の噂が流れていましたが、私は愛するイエスが「イタリアは辱められるだろう」と言われたことを思い出しました。 私の人生が絶え間ない虚偽であったのではないかと考えると、なんという痛み、まさに死の苦しみそのものでした。

 

私は、イエスが私に語りかけようとしているのを感じましたが、聞きたくありませんでした。 私はイエスを拒んだのです。 私は三日間イエスと戦い続けましたが、あまりにも疲れ果て、拒む力さえ残っていませんでした。 そのときイエスは語り、語り続けられました。 そして私は、その言葉から力をもらいながらも、「もう何も聞きたくありません」と言い続けました。

 

ついにイエスは私の首に腕を回し、こう言われました。

 

「落ち着きなさい、落ち着きなさい。私です——私の言葉に耳を傾けなさい。 数か月前、あなたが哀れなイタリアのために嘆いていたとき、 私が『娘よ、勝つ者は負け、負ける者は勝つ』と言ったのを覚えていないのですか? イタリアとフランスはすでに辱めを受けました。 そして、彼らが浄められ、自由に、自発的に、平和のうちに私のもとへ戻るまでは、 これ以上の辱めは受けることはないでしょう。 彼らが今味わっている表面的な勝利の中に、すでに最大の屈辱が潜んでいます。 彼ら自身の力でそれを成し遂げたのではなく、 ヨーロッパ人ですらない外国人が来て、敵を追い払ったのです。 だから、もしこれを勝利と呼べるなら——実際は違うが—— それは外国人の勝利にすぎません。でもこれはたいしたことではありません。 今ほど彼らが失うものが大きいときはありません。彼らは道徳的にも物質的にもさらに多くのものを失っています。 なぜなら、これが彼らをより大きな罪へと傾かせ、 戦争の悲劇をも上回るほどの激しい内乱へと駆り立てるからです。そして、私があなたに語ったことは、現在だけでなく未来にも関わっていて、 今起こっていないことは、すべて将来に起きるでしょう。 もし誰かが難癖をつけたり、疑いを持つなら、それはわたしの語り方をよく知らないということです。 私の言葉は永遠であり、私自身が永遠であるように、変わりません。

 

さて、ここであなたに慰めの言葉を贈りましょう。イタリアとフランスは敗れ、ドイツが勝利を収めます。 どの国にも汚点があり、どの国も屈辱と破滅を受けるに値します。 世界中で大騒動が起こり、至る所で混乱が巻き起こるでしょう。 私は剣と火と水、突然の死と伝染病によって、この世界を新たにするでしょう。 私は新しいものを創造するのです。  諸国は一種のバベルの塔を築き、互いに理解できなくなるでしょう。 人々は互いに反乱を起こし、もはや王を望まなくなります。 すべての人々が辱めを受けますが、平和は私からしか訪れません。 もし彼らが『平和だ』と言うのを聞いても、それは真実ではなく、見せかけにすぎません。 私がすべてを浄めた後、驚くべき方法で私の指を差し伸べ、真の平和を与えるでしょう。 そのとき、辱められた者たちは皆、私のもとへ戻ってくるでしょう。

 

ドイツはカトリックとなるでしょう。 私はドイツに対して大きな計画を抱いています。 イギリス、ロシア、そして血が流されたすべての地は、再び信仰に立ち返り、 私の教会に組み込まれるでしょう。人々の間には大いなる勝利と一致がもたらされるでしょう。 ですから祈ってください——そして忍耐が必要です。 なぜならそれはすぐには起こらず、時間がかかるからです。」

 

 

 

 

1918年10月24日

魂は、イエスを聖体のうちに受けるためには、 自らをイエスで包まなければならない。

 

私は、愛するイエスを聖体のうちにお迎えする準備をしていました。そして、私の大いなる惨めさを、イエスご自身が覆ってくださるよう祈りました。 するとイエスは私にこう言われました。

 

「娘よ、被造物が私を受けるために必要なすべての手段を持てるように、 私は自分の生涯の最後の日にこの秘跡を制定しました。 そうすることで、 私を受ける一人ひとりのために、私の生涯すべてを、 それぞれのホスチアのまわりに整えることができるからです。

被造物は、被造物を愛するあまり、自らを被造物に与えたいと願い、その準備をしてくださる神がいなければ、 決して私を受けることができなかったでしょう。 そして、被造物が私を受けることができなかったので、 その同じ過剰な愛が、 私を被造物を準備するために自らの命のすべてを与えるように駆り立てたのです。 こうして、私の歩み、私の業、私の愛は、 被造物自身の前に置かれたのです。 そして、私のうちには受難もあったので、 被造物を準備するために、私の苦しみもそこに置かれました。ですから、私に身を委ねなさい。 私の一つひとつの行いで自分を包んで、ここに来なさい。」

 

その後、私はイエスに以前のように苦しませてくださらないことを嘆きました。 するとイエスは続けて言われました。

 

「娘よ、私は苦しみそのものよりも、魂の善意、つまり、魂がどのような愛をもって苦しんでいるかを見ています。 それゆえ、どんなに小さな苦しみも大きなものとなり、 取るに足らないことも、万物のうちに命を吹き込まれ、価値を持つようになります。 そして、苦しみがないことは、苦しむこと以上に大きなものとなります。

私への愛ゆえに苦しみたいと望む被造物を見ることは、 なんと甘美な暴力でしょうか。  苦しまないことが、 苦しみそのものよりも魂にとって、より深く突き刺さる鋭い釘であるならば、魂が苦しまなくても私に何の問題があるでしょうか? 反対に、善意の欠如、愛のない強制された行いは、 たとえどれほど偉大であろうとも小さなものに過ぎません。 私はそれらを見ません。 むしろ、それらは私にとって重荷となるのです。」

 

 

 

 

1918年11月7日

神の意志を行う魂は、イエスを自分のうちに閉じ込める。

 

いつもの状態に戻った私は、愛するイエスにこう言いました。

「もしあなたが私に、いつもの状態から離れることを望まれるのなら、 どうしてこんなに長い間、私を満足させてくださらないのですか?」

 

するとイエスは言われました。

 

「娘よ、わたしの意志を行い、私の意志の中に生きる者は—— しかも短期間ではなく、生涯に渡って——、 その心の中に、私の意志だけで完全に満たされた、私のための牢獄を築くのです。 それゆえ、魂が私の意志を行い、 私の意志の中に生きようと努め続けることで、 魂はこの神的で天上の牢獄の壁を築き上げ、 そして私は最大の喜びをもって、その中に閉じ込められたままとなります。

そして魂が私を吸収し続けるにつれて、 私もまた魂を吸収し、 魂が私のうちに閉じ込められるようにします。 こうして、魂は私の中に閉じ込められ、 私も魂の中に閉じ込められるのです。 それゆえ、魂が何かを望むとき、 私は魂にこう言います。 『あなたは常に私の意志を行ってきました。 だから、時々私があなたのことをするのは当然のことです。』と。 ましてやこの魂は私の意志の中に生きているのだから、 魂の望むことは、魂の中に生きる私の意志の実り、 あるいは願いとなり得るのです。 だから心配はいりません。 必要なときには、私があなたの意志を行ないます。」

 

 

 

 

1918年11月15日

神の意志を行う魂は、イエスの聖性によって生きることができる。

 

私は考えていました。

「自分を聖化することを考える方がよいのか、それとも、ただイエスのことだけに心を向け、 イエスを慰め、どんな犠牲を払ってでも、イエスと共に魂の救いを追い求める方がよいのか」と。

 

すると祝福されたイエスは私にこう言われました。

 

「娘よ、ただ私を慰め、魂を救うことだけを考える者は、 私の聖性によって生きる者です。 魂が、私を慰めること以外何も望まず、 私の燃えるような心臓の鼓動に呼応して、私に魂を求めるとき、 私はその魂の中に、私の人間性の特徴を見出します。 そして、その魂に対して愛の狂気に駆られ、 私は魂を、私の聖性、私の望み、私の愛、 私の力、私の血、私の傷など、私のすべてによって生かします。 また私は魂が私の望むもの以外何も望まないことを知っているので、 私の聖性を魂に委ねることができます。 

一方、自分自身の聖化だけを追求する者は、 自分自身の聖性、自分自身の力、自分自身の愛によって生きていることになります…… ああ、なんと惨めなことでしょう! 魂は自分の苦しみの重さをすべて感じ、 絶えず自分自身と戦いながら生きることになるでしょう。

しかし、私の聖性によって生きる者にとっては、 その道は穏やかに流れ、 自分自身と私と共に平和のうちに生きるでしょう。

私は魂の思いを心の隅々まで見守り、 そうして魂を求める心が一筋たりとも失われることのないように、 また魂の存在が、絶えず私の中に注ぎ込まれ、 私を慰める行為となるように、 嫉妬深く見守ります。あなたは私のこの嫉妬を感じないのですか?」

 

 

 

 

1918年11月16日

屈辱は光りが差し込む亀裂である。

 

いつもの状態でいると、イエスが弱々しくお出でになりました。イエスはご自身の御心に激しい痛みを感じておられるようで、助けを求めながら私にこう言われました。

 

「娘よ、この数日間にどれほどの罪の連鎖が生み出されたことでしょう——なんという悪魔的な勝利でしょう! 悪の繁栄は最悪の兆候です。それは信仰を国々から押し流し、彼らを闇の牢獄に閉じ込めてしまいます。 それに対して、悪に対する屈辱は、光りが差し込む無数の亀裂のようなものです。その光は彼らを正気に戻し、信仰を彼ら自身とその国々にもたらします。 それゆえ、どんな勝利や征服よりも、屈辱こそが彼らにとって大きな益となるでしょう。これから彼らはどれほど重大で痛ましい時期を通ることになるでしょう! 地獄と悪は怒りに燃え、陰謀と邪悪な行いを企て始めています。 ああ、哀れなわが子らよ! 哀れなわが教会よ!」

 

 

ー (11)へ続く ー

 


だんごむしのひとりごと

 

天国の書 第12巻 10回目です。

 

 

 

 

 

このブログの内容は、多くが日本の書店に置いていない本(多分)なので、日本のほとんどの方がこの素晴らしい内容をご存じないと思われます。いつか日本でこれらの本が出版されるまでの場つなぎ的なブログを目指して、地味に更新していくつもりなので、よろしくお願いします。

 

いつものことですが、正しい翻訳ではないので、こんな感じで読んでくださいね。

意味不明な所は聖霊によって正しい理解が与えられるように祈ってください('◇')ゞ

 

 

 

キラキラみなさんに神様の祝福がありますようにキラキラ

 

Nos com prole pia, benedicat Virgo Maria.

 

 

 

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「天国の書」とは日本で発行されている「被造界の中の神の王国」のことです。日本では4巻まで発行されていますが、外国のサイトで全36巻読むことが出来ます。だんごむしのおかしな翻訳を待っているのが面倒な方は、そちらを検索してみてくださいね(*'ω'*)☘

 

こちらになります↓