被造物たちの中の神の意志の王国
天国の書
神によって創造された
秩序・位置・目的に立ち返るための
聖なる招き
第12巻(15)
神のはしためルイザ・ピッカレータ
神の意志の小さな娘
目 次 ![]()
【15/23】(分割23回の予定です)
◆1919年3月18日
イエスは受胎の瞬間に、すべての魂とその苦しみ、そして死までもその身に引き受けられた。
◆1919年3月20日
神性がイエスの人間性に対して、一人ひとりの魂のために負わせた死と苦しみは、単なる意図ではなく、現実の出来事であった。ルイーザはその現実の苦しみと死にあずかっている。
◆1919年3月22日
すべてのものは永遠のFIATによって命を吹き込まれた。人間の創造におけるあふれ出るほどの愛。
◆1919年4月7日
神のご意志の効果と懲罰の警告。
◆1919年4月15日
小さなことの後により偉大なことが行われ、それらは小さいことの成就であり、冠となる。イエスの復活した人間性は、ご意志の中に生きる者たちの象徴である。
◆1919年4月19日
イエスは、すべての魂が本来創造主に対して果たすべきであったことを、彼らに代わってすべて成し遂げられた。
1919年3月18日
イエスは受胎の瞬間に、すべての魂とその苦しみ、そして死までもその身に引き受けられた。
いつもの状態を続けていると、常に愛すべきイエスが姿を現し、私をその最も聖なるご意志の広大さの中へと引き入れられました。 その中でイエスは、まるで今まさに行われているかのように、天の御母の胎内におけるご自身の受胎を示しておられました。 おお神よ、なんという愛の深淵でしょう! 私の甘美なイエスは私にこう言われました。
「我が意志の娘よ、来なさい。私の受胎の瞬間に、私の小さい人間性が私の神性から受けた最初の死と苦痛にあずかりなさい。私が受胎したとき、私は過去・現在・未来のすべての魂を、私自身の命として共に受胎しました。また、彼ら一人ひとりのために私が受けなければならないすべての苦しみと死も同時に受胎したのです。 私は魂、苦しみ、死、それぞれが経験しなければならないすべてのものを自分の中に取り込まなければなりませんでした。
それは御父にこう申し上げるためです。
『御父よ、もはや被造物をご覧にならず、私だけをご覧ください。私の中にすべての人が見出されるでしょう。 私がすべての人のために償います。あなたが望まれるだけの苦しみを、私はあなたに捧げます。あなたは、私が一人ひとりのために死を味わうことを望まれるのですか? 私はそれを味わいましょう。あなたがすべての者に命をお与えくださるなら、私はすべてを受け入れます。』
だからこそ、あれほど多くの死と苦痛を与えるためにも、またそれらを実際に耐え抜かせるにも、神の力とご意志が必要だったのです。 そして、私の意志の中では、すべての魂とすべての事柄が“現実として”存在しています。 それは一部の人々が考えるような抽象的な意味や単なる意図によるものではなく、むしろ私はすべてを現実において私と一体のものとして保ち、彼らは私と共に、私自身のいのちそのものを形成していました。 だから、私は一人ひとりのために現実に死に、すべての人の苦しみを現実に味わったのです。 確かに、これは私の全能の奇跡、私の無限の意志の驚異を必要としました。私の意志がなければ、私の人間性はすべての魂を見出し、抱きしめることも、あれほど多くの死を繰り返し味わうこともできませんでした。
こうして、私の小さな人間性が受胎した瞬間から、交互に訪れる苦しみと死を味わうようになりました。 すべての魂は、まるで広大な海の中にいるかのように私の中を泳ぎ、私の肢体の肢体となり、私の血の血となり、私の心の心を形成しました。 私の人間性の中で第一の座を占める私の母は、どれほど多くの私の苦しみと死を感じ、私と共に死んだことでしょう! 私の母の愛の中に、私の愛の響き(エコー)を見出すことは、なんと甘美なことだったでしょう! これらは深い神秘であり、人間の知性は十分に理解できず、まるで迷い込んでしまうかのようです。 だから私の意志の中に入りなさい。そして私が受胎の瞬間から味わった死と苦しみにあずかりなさい。そうすれば、私が語っていることを、よりよく理解できるようになるでしょう。」
どう言えばよいのか分かりませんが、私は気が付くと、私の女王なる御母の胎内にいました。 そこには、小さな幼子イエスがおられました。 しかし、その幼さにもかかわらず、すべてを内に含んでおられたのです。 そのときイエスの御心から一筋の光が閃き、私の心へと差し込みました。 その光が私の中に入った瞬間、私は“死”を与えられたかのように感じ、そしてその光が私から出て行くと、再び“いのち”が戻ってきました。 その光の矢が触れるたびに、鋭く突き刺すような痛みが生じ、私は本当に崩れ落ち、死んでしまうかのように感じました。 そして同じその触れ合いを通じて、再び命が戻ってくるのを感じたのです。 しかし私にはこれを表現する適切な言葉が見つからないので、ここで止めます。
1919年3月20日
神性がイエスの人間性に対して、一人ひとりの魂のために負わせた死と苦しみは、単なる意図ではなく、現実の出来事であった。ルイーザはその現実の苦しみと死にあずかっている。
私は愛すべきイエスの苦しみの中に自分の貧しい心が深く沈み込んでいくのを感じました。 そして、前述のように、イエスが一人ひとりのために、あれほど多くの死や多くの苦しみを味わうことは不可能に思える、と言われていたので、私のイエスは私にこう言われました。
「娘よ、私の意志にはすべてを可能にする力があります。 私の意志がそれを望みさえすれば、それは起こるのです。もしそうでなければ、私の意志はその力に限界を持つことになってしまいます。 しかし私は限界を持たず、私のすべての業において無限です。 だから私の望むことは、何でも行なうのです。 ああ、被造物たちは私をほとんど理解していません。 だから私は愛されないのです! 私の人間性の中に入りなさい。そうすれば、私が語ったことを、あなた自身の目で見て、手で触れて確かめられるようにしてあげましょう。」
その瞬間、私はイエスの中にいることに気づきました。イエスは神性とも永遠のご意志とも決して離れることのないお方でした。 このご意志はただ望むだけで、繰り返される死、数えきれない苦痛、鞭打ちのない打撃、棘のない最も鋭い刺し傷を、いとも簡単に生み出しました。 ちょうど「FIAT(『あれ』と命じる創造の言葉)」という一言で何十億もの星々を創造したときと同じように。 星の数だけ「FIAT」が必要だったわけではありません。ひとつで十分だったのです。 しかし、一つの星だけが光の中に現れ、他の星々が神の御心やご意志のうちに留まったままだったというわけではありません。 むしろ、すべての星が実際に創造され、それぞれが自分自身の光をもって、私たちの大気を彩ったのです。 同じように、最も聖なる人間性という天において、その創造的な「FIAT」によって、神のご意志は望むだけで、命と死を何度でも創り出していたように思われました。
こうしてイエスの中にいる私は、イエスが神の御手によって鞭打ちの苦しみを受けたその瞬間に自分が置かれていることに気が付きました。 永遠のご意志がそれを望むだけで十分であり、打撃も、鞭打ちもなく、イエスの人間性の肉体はバラバラに裂けてはがれ落ち、深い溝が刻まれました。 それは恐ろしいほどの方法で、しかもイエスの最も置く深い部分にまで及んでいました。 イエスの神のご意志への従順はあまりにも完全で、その人間性は自ら溶け去るほどでした。 しかもそのあり方はあまりにも痛ましく、ユダヤ人たちから受けた鞭打ちの苦しみは、イエスが永遠のご意志から受けた苦しみに比べれば、その写しであり、影にすぎないと言えるほどでした。 その後、神のご意志が望むと、イエスの人間性は再び元の姿へと結び直されました。 これは、イエスがすべての被造物のために、幾度となく死を受け、その他のすべての苦しみを受けた時に起こったことでした。 私はこれらのイエスの苦しみにあずかり——ああ、神のご意志は望むだけで何度でも私たちを死なせ、そして再び命を与えることができるのだと言うことを、どれほど鮮明に理解したことでしょう。 ああ、神よ、これらは言葉に尽くせない事柄であり、愛の極みであり、深い神秘であり、被造物の心にはほとんど理解しがたいものです……。私はその苦しみを受けた後、再び生き返ることも、感覚を働かせることも、身体を動かすこともできないように感じました。 すると、祝福されたイエスが私に言われました。
「私の意志の娘よ、あなたにその苦しみを与えたのは私の意志であり、あなたに再び命と動きとすべてを返すもの私の意志なのです。 私はしばしばあなたを私の神性の中に呼び入れ、私が実際に一つひとつの魂のために耐え忍んだ数々の死と苦しみにあずからせるでしょう。 それは一部の人々が信じているように、単に私の意志の中でだけ起こったとか、私が一人ひとりに命を与えようと意図しただけだというわけではありません。——それは誤りです、誤りです! 彼らは私の意志の驚くべきわざ、その愛と力を知らないのです。 あなたはすべての者のために、私が幾度も死を受けたと言う現実をある程度知ったのだから疑ってはなりません。 むしろ私を愛し、すべてに感謝し、そして、私の意志があなたを呼ぶときにはいつでも準備していなさい。」
1919年3月22日
すべてのものは永遠のFIATによって命を吹き込まれた。人間の創造におけるあふれ出るほどの愛。
※FIAT は「永遠の創造の御言葉」「神の『成れ』という命令」のことです。
いつもの状態でいると、私は自分の外へいることに気づき、創造されたすべてのものの秩序を見ることが出来ました。 すると私の愛するイエスがこう言われました。
「娘よ、創造されたすべてのものの中にどのような調和と秩序があるか、そしてそれらすべてが永遠のFIATからどのように命を得たのかを見てごらんなさい。すべてのものは私のFIAT(成れ)によって存在するようになったのです。 最も小さな星も、輝きわたる壮麗な太陽も、最も小さな草も、大きな木も、最も小さな虫も、最大の動物も——それらは皆、互いにこう語り合っているかのようです。
『私たちは高貴な被造物です。私たちの起源は永遠の意志であり、私たちは皆、最も聖なるFIATの刻印を帯びているのです。』と。
確かに私たちは互いに区別され、異なる存在です。 役割も、光も、熱もそれぞれ違っています。 しかし、それによって私たちの価値が変わるわけではありません。 私たちの価値は一つ、すなわち神のFIATです。 私たちの命と保たれ方も——永遠の威光のFIATなのです……。ああ、創造はなんと雄弁に私の意志の力を語り、最も大きなものから最も小さなものに至るまで、その価値は一つであると教えてくれます。 なぜなら、それらは皆、神の意志から命を受けているからです! 実際、星は太陽にこう言うでしょう。
『確かにあなたは多くの光と熱を持ち、あなたの役割は偉大で、その恵みは計り知れません。 地上はほとんどあなたに依存しており、そのため、私はあなたに比べればほとんど何もしていないようなものです。 しかし、あなたをそのようにしたのは神のFIATです。だから私たちの価値は同じなのです。 ゆえに、私たちが創造主に捧げる栄光も、まったく同じなのです。』
それからイエスはさらに苦悩に満ちた口調でこう付け加えられました。
「人間を創造したときはそうではありませんでした。 確かに人間の起源は私のFIATによるものですが、それだけでは私の心は満たされなかったのです。 溢れ出るほどの愛に突き動かされて、私は彼に息を吹きかけ、私自身の命を彼の中に吹き込みたいと望みました。 私は彼に理性を授け、自由な者とし、全創造物の王としました。 しかし人間は——なんと恩知らずなことでしょう。 彼は私にどのようい応えたというのでしょうか? すべての被造物の中で、人間だけが私の心の悲しみ、調和を乱す不協和音となってしまいました。 そして魂の聖化における私の働きについて、どれほど多くをあなたに語ることが出来るでしょうか。 私はただ一つのFIATや、私の息吹だけではなく、私自身の命、私の愛、私の知恵そのものを彼らのために差し出しているのです。 しかし、私の愛は、どれほど多くの拒絶と敗北を味わってきたことでしょうか! ああ、娘よ、私の深い悲しみに同情してください。私の意志の中に入り、全人類の愛の代わりとなって、刺し貫かれた私の心を和らげてください!」
1919年4月7日
神のご意志の効果と懲罰の警告。
いつもの状態で過ごしていると、私の愛するイエスが、疲れ果てた様子で、私に助けを求めておいでになりました。 そして、イエスはご自分の御心を私の心に寄り添わせ、その痛みを私に感じさせてくださいました。 私が感じたその痛みの一つひとつは、私を死に至らしめるほどのものでしたが、イエスは私を支え、死なないように力を与えてくださいました。 それからイエスは私を見つめてこう言われました。
「娘よ、忍耐しなさい。 ある時期には、世界全体が炎に包まれないようにするために、あなたの苦しみが私にとってこれまで以上に必要となります。 だから私は、あなたにさらに苦しんでもらいたいのです。」
そしてイエスは手に持っておられた槍で私の心を引き裂かれました。 私は非常に苦しみましたが、イエスが私と共にその痛みを分かち合ってくださり、また、私にご自分を注ぎだすことで、差し迫った恐ろしい懲罰が人々の上に注がれるのを、イエスが和らげてくださることができるのだと思うと、私はむしろ幸せに感じました。 それから、数時間に及ぶ激しい苦しみの後、愛すべきイエスは私にこう言われました。
「愛する娘よ、あなたは非常に苦しんでいます。 さあ、私の意志の中に入って休みなさい。そして哀れな人類のために、私と共に祈りましょう。」
どういうわけか分かりませんが、私は神のご意志の広大な無限の中で、イエスの腕の中に身を置いていました。 そしてイエスが小さな声でささやいておられることを、そのまま後について繰り返しました……。 イエスが語っておられたすべてを言うことは不可能なので、その一部だけを述べることにします。
イエスのご意志の中で、私はイエスのすべての思い、イエスがその知性によって私たちに行ってくださったすべての善、そして、すべての人間の知性が、イエスの御心からどのように命を受けているのかを見ることができたことをはっきり覚えています。 しかし——ああ、神よ、彼らはどれほど多くの乱用をし、どれほど多くの罪を犯したことでしょう! そこで私は言いました。
「イエスよ、私はあなたのご意志の中で私の思いを増やし、あなたの思いの一つひとつに、あたかももう一人のイエスがそうしているかのように、神聖な思いによる口づけ、礼拝、あなたへの認識、償い、神聖な思いの愛を捧げます。 これは、すべての人間の思い――過去・現在・未来——の名において、また、すべての人間の思いのために捧げます。 そして私は、失われた魂たちの知性のためにも、償いをしたいと願います。 私は被造物からあなたに捧げられる栄光が完全なものとなり、誰一人として欠ける者がいないようにしたいのです。 彼らがしないことはすべて私があなたのご意志の中で行い、あなたに神聖で完全な栄光をお捧げいたします。」
するとイエスは私を見つめ、 まるでご自分の目への償いを求めておられるかのように、 私が何かを捧げるのを待っておられました。
そこで私は言いました。
「イエスよ、あなたのまなざしの中に自分を増やし、 あなたが被造物を愛をもってご覧になった回数と同じだけ、 私にも同じ回数のまなざしをお返しさせてください。 また、あなたの涙の中に自分を増やし、被造物のすべての罪のために涙を流したいのです。
そして、すべての人の名において、 あなたに神聖な愛のまなざしと神聖な涙をお捧げし、 すべての被造物のまなざしに対する、 完全な栄光と完全な償いをあなたにお捧げしたいと思います。」
それからイエスは、私にご自分のすべて——御口、御心、御望みなど——に対して償いを続けることを望まれ、私がご意志の中で自分を増やしていくのを待っておられました。 しかし、これらすべてを語るにはあまりにも長くなってしまうので、先に進みます。
それからイエスはこう付け加えられました。
「娘よ、あなたが私の意志の中で働くとき、天と地の間に多くの太陽が形作られていきました。 そして私は、これらの太陽を通してのみ地上を見ています。そうでなければ、地は私にとってあまりにも耐えがたいほど忌まわしく、とても見ることができないからです。 しかし地上は、これらの太陽の光をほとんど受け取っていません。なぜなら、被造物たちが広げている闇があまりにも濃く太陽の前に立ちはだかり、その光も熱も十分に受け取ることが出来ないのです。」
その後、イエスは私を被造物たちのただ中へと運ばれました。 しかし、彼らが何をしていたかをすべて言い表すことなどできません。
ただ、私のイエスが悲しげな口調でこう付け加えられたことだけは言っておきます。
「なんという混乱が世の中に広がっていることでしょう! しかし、この混乱は、 世俗の指導者たちと教会の指導者のせいなのです。彼らは自分の利益を追い求め、腐敗した生活を送っているため、 その民を正す力がありませんでした。 彼らはすでに自分自身の悪を露呈していたため、 他の者たちの悪に対して目を閉ざしてしまいました。 もし何かを正そうとしても、それは表面的なものにすぎませんでした。なぜなら、彼ら自身の中に善の生命がないのに、 どうしてその善を他の者たちに注ぎ込むことができたでしょうか? これらの堕落した指導者たちは、幾度となく善よりも悪を優先させてきました。 そのために、わずかに残っていた善良な者たちでさえ、指導者たちのこの振る舞いによって動揺させられてしまいました。 だからこそ、私は指導者たちを特別な方法で打つことにするのです。」
そして私は言いました。
「イエスよ、どうか教会の指導者たちをお守り下さい。彼らはもうほとんどいません。 もしあなたが彼らを打たれるなら、導く者がいなくなってしまいます。」
するとイエスは言われました。
「私が12人の使徒たちによって教会を創立したことを忘れてしまったのですか? 同じように、わずかに残るものたちだけであっても、世界を改革するには十分です。 敵はすでに彼らの戸口に迫っています。 革命はすでに始まっており、諸国は血の海に沈み、その指導者たちは散らされてしまうでしょう。 祈りなさい、祈り続け、そして苦しみを捧げなさい。そうすれば敵がすべてを破壊する自由を持たないようにできるでしょう。」
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1919年4月15日
小さなことの後により偉大なことが行われ、それらは小さいことの成就であり、冠となる。イエスの復活した人間性は、ご意志の中に生きる者たちの象徴である。
私は常に愛すべきイエスの聖なるご意志の中に自分を溶け込ませ、イエスとともに、私の知性は創造の御業の中を巡り歩きながら、すべてのもの、すべての人のために最も聖なる意向をあがめ、感謝していました。 するとイエスは、優しく親しみ深くこう言われました。
「娘よ、私が天を創造したとき、まず星々を小さな球として造り、その後に太陽を大きな球として造りました。 太陽にはすべての星々を凌駕するほどの光を与え、まるで星々をその内に包み隠すかのようにし、星々とすべての自然界の王としたのです。まず小さなことを行ない、それを大いなる業の準備とするのが、私のいつものやり方です。 大いなる業は小さなことの成就であり、その冠となるからです。 太陽は私の物語を語る語り手であると同時に、私の意志の中でその聖性を形作る魂をも秘めています。 私の意志の影の中にいるかのように、私の人間性を鏡の中に生きた聖人たちは星となり、一方、後の時代に現れるこれらの魂たちは太陽となるでしょう。
私は救いの業においてもこの秩序を同じように保ちました。 私の誕生は華やかさとは無縁で、むしろ人々から顧みられることもなく、ひっそりとしたものでした。 幼少期も人々の目に映るような大きな輝きを放つようなことはなく、ナザレでの生活もあまりにも隠されていて、まるで誰からも知られずに生きているかのようでした。 私の人間性は最も小さく、ありふれた営みに自らを合わせて生きたのです。 公生活の間にはいくつか偉大な業もありましたが、それでもなお、私の神性を知る者がどれほどいたでしょうか。誰一人として、使徒たちでさえ私の神性を完全には知らなかったのです。 私は群衆の中を、他の人々と何ら変わらぬ者として歩きました。 誰でも私に近づき、話しかけることができ、必要とあれば、私を侮辱することさえできたのです。」
私はイエスの言葉を遮って言いました。
「イエス、私の愛する方よ、なんて幸せな時代だったのでしょう。望みさえすればあなたに近付き、語りかけ、あなたと共に居ることができたあの人々は、どれほど幸せだったでしょう!」
するとイエスは言われました。
「ああ、娘よ、真の幸福をもたらすものは、ただ私の意志だけです!私の意志だけが、魂の中にあらゆる善を閉じ込め、魂を取り囲む冠となって、その魂を真の幸福の女王として立てるのです。 私の意志から生れたこれらの魂だけが、私の玉座の女王となるでしょう。 なぜなら彼女たちは、私の意志から生れた魂だからです。これはまさにその通りで、あの時代の人々は決して幸福ではありませんでした。 多くの人が私を見ましたが、私を知るには至りませんでした。 なぜなら私の意志が彼らの命の中心として宿っていなかったからです。 だから、たとえ私を見たとしても、彼らはなお幸福ではなかったのです。 心の中に私の意志の種を受け入れるという恵みを受けた者たちだけが、私の復活を見るという恵みを受ける備えを整えたのです。
さて、私の救いの業の驚くべきしるしは復活でした。それは、まばゆい太陽よりもさらに輝き、私の人間性に冠を授け、私の最も小さな行為に至るまで、天と地を驚かせるほどの光と驚異を放ちました。 復活はすべての善の始まりであり、基礎であり、成就です。 それはすべての至福者たちの冠であり、栄光なのです。 私の復活こそ、私の人間性をふさわしく栄光づける真の太陽です。 それはカトリック信仰の太陽であり、すべてのキリスト者の栄光です。 もし復活がなかったら、天は太陽のない空のように、光も熱もないものとなっていたでしょう。
さて、私の復活は、私の意志の中にその聖性を形づくる魂たちの象徴です。 過去の世紀の聖人たちは、私の人間性を象徴しています。 彼らは従順ではありましたが、私の意志の中で絶えず留まっていたわけではありませんでした。 そのため、彼らは私の復活の太陽の印を受けることはなく、復活以前の私の人間性の業の印を受けたにとどまったのです。 それゆえ、彼らは数多く、まるで星々のように、私の人間性の天を美しく飾る装いとなるでしょう。 しかし、私の意志の中に生きる聖人たち——すなわち、私の復活した私の人間性を象徴することになる者たちは少数でしょう。 実際、多くの人々が、私の人間性を見ることはできましたが、復活した私の人間性を見た者はごくわずかでした。 それは信じる者、心を最も整えていた者たち、そして言うなら、私の意志の種を内に宿していた者たちだけだったのです。 もしその種を持っていなかったら、彼らには、復活の栄光に輝く私の人間性を見るために必要な視力が欠けていたでしょうし、天へと昇りゆく姿を見守ることもできなかったでしょう。
さて、もし私の復活が、私の意志の中に生きて聖性を形づくる聖人たちの象徴であるとするなら——そしてそれは当然のことです。 なぜなら、私の意志の中で行われる一つひとつの行為、言葉、歩みなどは、魂が受ける神的な復活であり、魂が受ける栄光の印であり、神性の中へ入るために自分自身を捨て、私の意志というまばゆい太陽の中に身を隠しながら、愛し、働き、思い巡らすことだからです。 それゆえ、魂が完全に復活し、私の栄光の太陽そのものと融合し、復活した私の人間性を象徴するようになるとしても、何の不思議もないのです。 しかし、この道に自らを整える者は多くありません。 なぜなら、たとえ聖性を求める魂であっても、どこかに自分自身のための何かを求めてしまうからです。 けれども、私の意志の中に生きる聖性には、自分自身のものというものが何ひとつありません。すべてが神のものなのです。 魂がこの道に自らを整えるためには、自分自身の所有物を脱ぎ捨てることが求められます。 それは魂にとってあまりにも大きな代償をとなるため、この道に入る者は多くはいないでしょう。
あなたは多くの者の中の一人ではなく、少数の者の中の一人です。 だからこそ、常に私の呼びかけに注意深く耳を傾け、絶えず高く飛び続けなさい。」
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1919年4月19日
イエスは、すべての魂が本来創造主に対して果たすべきであったことを、彼らに代わってすべて成し遂げられた。
いつもの状態で過ごしながら、私は深い苦悩に沈んでいました。すると、常に愛すべきイエスがお出でになり、私を抱きしめ、私の首に腕を回してこう言われました。
「娘よ、どうしたのですか? あなたの苦しみが私の心に重くのしかかり、私自身の痛み以上に私を刺し貫いています。 かわいそうな娘よ、あなたはこれまで何度も私に同情し、私の苦しみを自ら背負ってくれました。 今度は私があなたに同情し、あなたの痛みを私自身が引き受けたいのです。」
そう言って、主は私を胸にしっかりと抱き寄せ、私を自分の外へと引き出しながら、さらに続けられました。
「元気を出しなさい、娘よ。 私の意志の中に入り、私の人間性が被造物のために行ったすべてを、より深く理解し、見られるようになりなさい。」
私が理解したことをすべて言い表すことは出来ません。多くの点で、私には言葉が足りないのです。ただ、私の甘美なイエスが言われたことだけを申し上げます。
「娘よ、私の人間性は、創造主と被造物との間の調和を回復した唯一の媒介でした。 私はすべての魂のために、本来なら彼らが創造主に対して果たすべきであったことを、一つ残らず行いました。 失われた魂であっても例外ではありません。 なぜなら、すべての被造物のために、完全な栄光と愛と満足を御父にお返ししなければならなかったからです。 ただ一つだけ違いがあります。 創造主に対する務めを多少なりとも果たしている魂たち——最も、すべてを完全に満たす者はほとんどいませんが——は、自らの栄光を私の栄光に結び合わせ、彼らの行いはすべて、あたかも私のうちに接ぎ木されるように残ります。 しかし、失われた魂たちは、乾ききった枝のように生命の滋養が欠けているため、私が彼らのために行った善のいかなる接ぎ木も受け入れるにはふさわしくなく、ただ、永遠の炎の中で燃えることにしかできないのです。 ゆえに、私の人間性は、被造物と創造主との間に失われていた調和を回復し、それを血とかつて聞かれたことのない想像も絶する苦痛の代価によって封印したのです。」
ー (16)へ続く ー
だんごむしのひとりごと
天国の書 第12巻ようやく15回目です。
無理でしょうけど、後の時代に現れる太陽のひとつになりたいです。
このブログの内容は、多くが日本の書店に置いていない本(多分)なので、日本のほとんどの方がこの素晴らしい内容をご存じないと思われます。いつか日本でこれらの本が出版されるまでの場つなぎ的なブログを目指して、地味に更新していくつもりなので、よろしくお願いします。
いつものことですが、正しい翻訳ではないので、こんな感じで読んでくださいね。
意味不明な所は聖霊によって正しい理解が与えられるように祈ってください('◇')ゞ
みなさんに神様の祝福がありますように![]()
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