被造物たちの中の神の意志の王国
天国の書
神によって創造された
秩序・位置・目的に立ち返るための
聖なる招き
第12巻(19)
神のはしためルイザ・ピッカレータ
神の意志の小さな娘
目 次 ![]()
【19/23】(分割23回の予定です)
◆1920年1月15日
すべての人のために愛し、償い、代わりを務めたいと望む者は、神のご意志の中に生きなければならない。
◆1920年1月24日
神は人がご自身の伴侶とするために、人間を創造された。
◆1920年3月14日
愛の殉教は、他のすべての殉教を合わせたものを、ほとんど無限と言えるほどに凌駕している。
◆1920年3月19日
神の意志の中に生きるとは、自分自身の生命を持たず、自分の思考や考察によって動くことのない生き方である。それは、すべての生命をひとつに抱きしめる生命そのものである。
◆1920年3月23日
霊魂は隠れたままでいたいと望み、イエスは霊魂を光として望まれる。
◆1920年4月3日
神が人間を創造されたときのご意志全体は、人がすべておいてご意志を行ない、その中に神の生命が育まれることだった。
◆1920年4月15日
イエスの苦しみの原因は魂への愛である。
1920年1月15日
すべての人のために愛し、償い、代わりを務めたいと望む者は、神のご意志の中に生きなければならない。
私は、被造物が至高のご威光に対して果たすべきすべてのことを代わって果たすことができるように、自分のすべてを神のご意志の中へと注ぎ込んでいました。 そしてその最中、私は心の中で自問しました。
「私の愛しいイエスに、すべての人のための愛をお返しできるほどの愛を、どこに見出せるのでしょうか?」
すると主は私の内に語られました。
「娘よ、私の意志の中に入るなら、すべての人の愛を補うことのできる愛を見出すでしょう。 私の意志に入る者は、多くの湧き出る泉を見つけます。 どれほど汲み取っても、一滴も減ることがない泉を。 そこには、激しくほとばしり続け、どれほど溢れ出しても絶えず湧き続ける愛の泉があります。 そこには美の泉があり、どれほど多くの美を放っても、決して色あせず、むしろ常に新しく、より稀なる美を湧き出させます。 そこには知恵の泉、喜びの泉、善の泉、力の泉、憐れみの泉、正義の泉、そして私の属性すべての泉があります。
それらの泉はすべて湧き上がり、互いに注ぎ合い、そのために愛は美しく、賢く、力強くなるのです。 美の泉は、賢く力強い愛の美生み出し、その力は天全体を魅了し続け、決して生むのに疲れさせることがありません。 これらから湧き出る泉は、これほどまでに調和し、満ち足りた魅惑的な光景を織りなすため、祝福された人々はその甘美な魅力に心を奪われ、その満足を一つも逃すまいとして、一瞬たりとも眼差しを動かさず、そこにとどまっています。 だから娘よ、すべての人のために愛し、償い、代わりを務めたいと望む者には、私の意志の中に生きることが絶対的に必要なのです。 そこからすべてが湧き出し、必要なだけ何度も増し加えられ、すべてが神の刻印を押されて保たれるのです。 この神の刻印が、さらに別の泉を形づくり、その波はますます高く立ち上がり、溢れ出るとすべてを洪水のように満たし、すべての者に善をもたらします。 だから、常に——常に私の意志の中で生きなさい。そこで私はあなたを待ち、そこで私はあなたを望んでいます。」
1920年1月24日
神は人がご自身の伴侶とするために、人間を創造された。
いつもの状態のまま、私はイエスと自分を一致させ、私を一人にせず、来て共にいてくださるようにと祈っていました。 すると主は私の内に動きながらこう言われました。
「娘よ、もしあなたが、私がどれほど、どれほど強く、被造物との交わりを望み、それを切望し、愛していることを知っていたなら! 人間を創造したとき、私はこう言いました。『人間が一人でいるのは良くない。彼に似たもう一人の被造物を造ろう。互いが互いの喜びを分かち合えるように』と。 しかし娘よ、私はこの言葉を、人間を創造する前に、私自身の愛に向かって語ったのです。 『私は一人でいたくない。 被造物を私の伴侶として望む。 彼と共に楽しみ、私のすべての喜びを彼と分かち合うために、私は彼を創造したい。彼の伴いによって、私は愛のうちに自らを注ぎだすだろう』 このため、私は人間を私の似姿として造りました。 そして彼の知性が私を思い、私に関心を向けるとき、彼は私の知恵と交わり、私の思いが彼の思いと交わるとき、私たちは共に楽しみ合うのです。 彼の眼差しが私を見つめ、被造物を通して私を愛そうとするとき、私はその眼差しの伴いを感じます。 彼の舌が祈り、善を教えるとき、私はその声の伴いを感じます。 彼の心が私を愛するとき、私はその愛の伴いを感じます。他のすべてについても同じです。 しかし、もし彼がその反対を行なうなら、私は孤独を感じ、まるで見捨てられた王のようになります。 しかし、ああ、それほど多くの者が私をひとりにし、私を顧みないことでしょう!」
1920年3月14日
愛の殉教は、他のすべての殉教を合わせたものを、ほとんど無限と言えるほどに凌駕している。
私の状態はますます苦痛に満ちていきます。 私の愛するイエス、私の命、私のすべてである方の不在という広大な海を泳ぎながら、私は嘆かずにはいられず、つい愚かなことまで口にせずにはいられませんでした。
するとイエスは、私の内に動きながら、ため息をついてこう言われました。
「娘よ、あなたは私の心にとって最も激しい殉教であり、最も苛烈な痛みなのです。 あなたが私の不在の痛みに打ちのめされ、石のように凍りつき、うめき声を上げるのを見るたびに、私の殉教はさらに苦しくなります。 その苦悶はあまりにも激しく、私はため息をつき、うめきながらこう言わざるを得ないのです。 『ああ、人間よ、あなたは私にどれほどの代価を払わせるのでしょうか! あなたは私の人間性の殉教を形づくりました。 私の人間性は、あなたへの愛の狂気に取り憑かれ、あなたのすべての苦しみを自らのうちに引き受けました。 そしてあなたは今もなお、私とあなたへの愛に取り憑かれ、私のために、そしてあなたのために犠牲として自らを捧げた者の殉教を形づくり続けています。 だから私の殉教は途切れることがありません。 それどころか、私はそれをより生々しく感じています。 それは私を愛する者の殉教であり、そして愛の殉教は、他のすべての殉教を合わせたものを、ほとんど無限ともいえるほどに凌駕しているからです。』」
それからイエスは、私の心の耳に御口を近づけ、うめきながらこう言われました。
「娘よ!…娘よ!…かわいそうな娘よ! あなたを理解し、あなたに同情できるのは、あなたのイエスだけです。なぜなら私は、あなたの殉教を自分の心のうちに感じているからです。」
そしてイエスは続けて言われました。
「よく聞きなさい、娘よ。 もし人間が戦争という懲罰によってへりくだり、自分の内に立ち返っていたなら、これ以上の懲罰は必要ありませんでした。 しかし人間はされに暴れ回ってしまいました。 だから人間を自分の内に立ち返らせるためには、戦争そのものより恐ろしい懲罰が必要なのです——そしてそれは必ず起こるでしょう。 このため、私に正義は空白を形づくっています。 もし、私があなたのもとに来ないことによって、私の正義のうちにどれほど大きな空白が生み出されているかを知ったなら、あなたは震え上がるでしょう。 実際、もし私があなたのもとに来れば、あなたは私の正義を自分のものとし、人間が罪によって生み出す空白を、あなた自身がその苦しみを引き受けることで満たしてしまうでしょう。 あなたは何年もそうしてきたではありませんか? しかし今、人間の頑なさはあまりにも大きく、この偉大な恵みを受けるに値しなくなってしまいました。 だから私はしばしばあなたから自分を隠すのです。 そして、あなたが私のために殉教しているのを見るとき、私の痛みはあまりにも大きく、私は錯乱し、うめき、ため息をつきます。 そして私は、あなたにその呻きをあなたに聞かせてこれ以あなたを苦しめないように、隠れざるを得ないのです。 あなたにこれ以上の痛みを与えないために、あなたと共にその痛みを吐き出すことさえできずにいるのです。」
1920年3月19日
神の意志の中に生きるとは、自分自身の生命を持たず、自分の思考や考察によって動くことのない生き方である。それは、すべての生命をひとつに抱きしめる生命そのものである。
私は常に愛すべきイエスに嘆きながら言いました。
「あなたはなんと変わってしまわれたのでしょう! 私にはもう苦しみさえ残されていないのでしょうか? 誰もが苦しむのに——私だけが苦しむに値しないのです! 確かに私は誰よりも悪い者ですが、それでも、どうか私を憐れんでください。あなたが誰にも惜しみなく与えておられる、あの大きな苦しみの、せめてパンくずほどのかけらを、私から奪わないでください。 私の愛する方よ、 私の状態は何と恐ろしいものでしょう。 どうか憐れんでください——どうか憐れんでください。」
私がそう言っていると、私の愛するイエスが私の内で動き、こう言われました。
「ああ、娘よ、落ち着きなさい。 さもないと、あなたは私を傷つけ、私の心にさらに深い傷を負わせるでしょう。 もしかして、あなたは私を超えたいと思っているのですか? 私も被造物たちすべての苦しみを、自分の内に閉じ込めたいと望みました。 被造物への私の愛はあまりにも大きかったので、彼らにどんな苦しみも触れされたくありませんでした。 しかし、私はそれを得ることはできませんでした。 私は父と知恵と正義に従わなければなりませんでした。 父は、被造物の苦しみの大部分については、私が償うことを許されましたが、 すべての苦しみに対して償うことは望まれませんでした。 それは、父の正義の品位と均衡のためです。 私の人間性は、地獄も煉獄も、あらゆる懲罰も終わらせてしまうほどに苦しみたいと望みましたが、神性はそれを許しませんでした。 そして正義は、私の愛にこう言ったのです。『あなたは愛の権利を望みました。 それはあなたに与えられました。 私もまた、正義の権利を望みます。』
私は父の知恵に自らを委ねました——それが正しいものであることを認めました。 しかし嘆きに満ちた私の人間性は、被造物たちに降りかかるすべての苦しみを思って痛みを覚えたのです。 あなたが苦しめないことを嘆いているのを聞くと、私は自分自身の嘆きのこだまが聞こえてきます。 そしてその痛みがどれほど激しいかも知っているからこそ、あなたの心を支え、力を与えるために急いで駆け寄るのです。 しかし、知っておきなさい。 これもまた、あなたのイエスの痛みなのです。」
私はイエスへの愛のゆえに諦め、苦しまないことを願いましたが、 私の心の苦悩は非常に苦いものでした。 多くのことが私の心の中を巡りました。とりわけ、神のご意志について主が私に語られたことに関してです。 私にはその言葉の効果を自分の内に見いだせないように思われたのです。
するとイエスは、優しくこう付け加えられました。
「娘よ、 私があなたに私の意志の中に生きることに同意するかどうかと尋ねたとき、 あなたはこう答えました。 『私は自分の意志ではなく、あなたのご意志の中で “はい” と言います。 そうすれば、私の “はい” は、神のご意志から発する “はい” と同じ力と価値を持つことができるでしょう』 その “はい” は存在し続け、 私の意志が存在するかぎり、永遠に存在し続けるのです。 だから、あなたの 自分の生命 は終わりました。 あなたの意志は、もはや自分のために生きる理由を持たないのです。 このために私はあなたに言いました。 すべての被造物は私の意志の中にあるので、 あなたは全人類の名において、 私の玉座の足元に、 神聖な方法で、あなたの心の中にあるすべての人の思いを置き、それぞれの思いの栄光を私に捧げるために来るのです。 あなたのまなざしのうちに、 あなたの言葉のうちに、 あなたの行為のうちに、 あなたが食べるもののうちに、 さらにはあなたの眠りのうちにさえ、 すべての人のものを置くのです。 あなたの生命は、すべてを抱きしめなければなりません。 私の不在という重荷に押しつぶされ、自分の行いの一部が抜け落ち、あなたが全人類をひとつに結び合わせることができないとき、 私はあなたを戒めます。 そしてもし、私の言うことをあなたが聞き入れないときには、 悲しみながらこう言うのです。 『あなたが私に従わないなら、私が自らそれを行います。』 私の意志の中に生きるとは、 自分自身の生命を持たず、 自分の思考や考察によって動かない生きる生き方です。 それは、すべての生命をひとつに抱きしめる生命そのものなのです。 このことに注意し、恐れてはなりません。」
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1920年3月23日
霊魂は隠れたままでいたいと望み、イエスは霊魂を光として望まれる。
私は愛するイエスにこう言いました。
「私は身を隠したいのです。 誰からも見えなくなるほどに、まるで地上に存在しない者のように。 すべての人が私のことを忘れてしまうように。 人と関わらなければならないことが、私にはとても重いのです。 私は深い沈黙がどうしても必要だと感じています。」
すると主は、私の内で動きながらこう言われました。
「あなたは身を隠したいと言います。 しかし私は、あなたを光を放つ燭台として望んでいます。 この燭台は、私の永遠の光の反映によって灯されるのです。 だから、もしあなたが隠れようとするなら、それはあなた自身を隠すのではなく、私を、私の光を、そして私の言葉を隠してしまうことになります。」
その後も私は祈り続けていましたが、どういうわけか、イエスと共に自分の外にいることに気づきました。 私は小さく、イエスは大きかったのです。 そして主は私に言われました。
「娘よ、私と同じ大きさになるように伸びなさい。 あなたの腕が私の腕に届き、あなたの口が私の口に届くように……」
私に小さすぎてどうしたらよいか分かりませんでした。 するとイエスは、御手を私の手の中に重ね、繰り返し言われました。
「伸びなさい、伸びなさい。」
私が試してみると、自分がまるでバネのようになり、伸びようと望めば長くなり、そうでなければ小さいままでした。 こうして私は簡単に伸びることが出来、イエスの肩に頭をもたせかけました。 主はその間ずっと、御手を私の手の中に置いたままでした。 その至聖なる御手に触れたとき、私はイエスの傷を思い出しこう言いました。
「私の愛する方よ、あなたは私をあなたと同じにしたいと望まれるのなら、どうしてあなたの苦しみを下さらないのですか? どうか私にお与えください——私にそれを拒まないでください。」
イエスは私を見つめ、多くのことを語ろうとするかのように、強く御心に抱きしめられました。 それから主は姿を消し、私は再び自分の中に戻っていることに気づきました。
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1920年4月3日
神が人間を創造されたときのご意志全体は、人がすべておいてご意志を行ない、その中に神の生命が育まれることだった。
私がみじめな状態のまま過ごしていると、愛すべきイエスが私の内におられ、祈りの中で私と一つになってくださっているのを感じました。 すると主は私にこう言われました。
「娘よ、人間を創造したときの私のすべての意志は、 人がすべてにおいて私の意志を行うことでした。 そして人が私の意志を少しずつ行い続けるにつれて、 私は人の中に私の生命を完成させ、私の意志の中で繰り返し行われる行為によって、 私の生命がその人の中に形づくられたとき、 私はその人のもとへ来ます。 そして、私の生命の太陽が彼の魂の中に形成された 私の生命の太陽を見いだしたとき、 私は彼を私の内に吸収します。 二つの太陽が一つに溶け合うように、 互いに変容しながら一つとなり、 私は彼を天の喜びへと導くのです。 ですが、被造物が私の意志を行わない、 あるいは時折しか行わないとき、 私の生命は人間の生命によって半分にされ、 神の生命は完成することができません。 人間の行為によって覆い隠され、 生命の発展に十分な豊かな糧を受け取ることができないのです。 ゆえに魂は、創造の目的に絶えず反抗しています。 ああ、情欲と罪に満ちた生活を送ることによって、自分自身の中に悪魔的な生命を形作っている者は、何と多いことでしょうか!」
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1920年4月15日
イエスの苦しみの原因は魂への愛である。
私は甘美なイエスに、自分の悲しみに満ちた状態を嘆きながら言いました。
「私の愛よ、どうか教えてください。 あなたはどこにおられるのですか? どの道を通って行っていまわれたのですか? その道を私が辿れるように、あなたの足跡を示してください。 そうすれば、私は一歩一歩、確かにあなたを見出すことが出来るでしょう。 ああ、イエスよ、もうあなたなしでは生きて行けません。 けれども、あなたが遠く離れておられるとしても、私はあなたに口づけを送ります。 もう私を抱きしめてくださらないその御手に口づけします。 もう私に語りかけてくれないその御口に口づけします。 もう見ることのできなくなったその御顔に口づけします。 もう私の方へ歩み寄ってはくださらず、どこか別のところへ向かってしまわれるその御足に口づけします。 ああ、イエスよ、なんと悲しいことでしょう! なんと残酷な結末が私を待ち受けていたのでしょう!」
私がこのようなことや、もっと多くの愚かな嘆きを言っていると、甘美なイエスが私の内で動かれ、こう言われました。
「娘よ、落ち着きなさい。 私の意志の中に生きる者にとって、すべての道は、私を見出すための確かな道なのです。 私の意志はすべてを満たしています。 どの道を通ろうとも、私を見つけられないという恐れはありません。 ああ、娘よ、私はあなたの悲しみの状態を心の中に感じています。 あなたの悲しみの流れは、かつて私と母の間を通り抜けた悲しみの流れを、再び繰り返しているのです。 母は私の苦しみのために十字架にかけられ、私は母の苦しみのために十字架にかけられました。 しかし、そのすべての原因は何だったでしょう? 魂への愛です。 魂への愛のために、私の愛する母は、私のすべての苦しみ、さらには死までも耐え忍びました。 そして魂への愛のために、私は母のすべての苦しみを耐え忍び、ついには母から自分を引き離すという苦しみまで負いました。 ああ、私の愛と、母の母としての愛が、私と切り離すことのできない母から私自身を引き離すことが、どれほどの大きな犠牲だったことでしょうか! しかし、魂への愛がすべてに勝利したのです。
さて、あなたが犠牲者としての状態に身を委ねたのは、魂への愛のためでした。 魂への愛ゆえに、あなたは生涯に起こったすべての苦しみを受け入れたのです。 魂のために、そしてこれから訪れる悲しい時代のために、私の神の正義は、あなたと親しく共に居ることを私に許しません。 それは、戦いの時代ではなく、より好ましい時代が訪れるようにするためであり、あなたを地上に留めておくためなのです。 すべては魂のためです。 もし魂への愛がなかったら、あなたの亡命生活はすでに終わっていたでしょうし、あなたは私から引き離される痛みを味わうこともなかったでしょう。 そして私もまた、私の不在ゆえにあなたがこれほど苦しむのを見る痛みを負うことはなかったでしょう。 だから、忍耐しなさい——そして魂への愛が、あなたのうちにも最後まで勝利を収めるようにしなさい。」
ー (20)へ続く ー
だんごむしのひとりごと
天国の書 第12巻ようやく19回目です。
「神のご意志」の霊的メモさんの翻訳の方が、こちらより先に進んでいます。
待ち遠しい方は、そちらをご覧くださればと思います。
とりあえず、こちらも地道に進んでいこうと思っています。
予定では第12巻残りもう4回です。
このブログの内容は、多くが日本の書店に置いていない本(多分)なので、日本のほとんどの方がこの素晴らしい内容をご存じないと思われます。いつか日本でこれらの本が出版されるまでの場つなぎ的なブログを目指して、地味に更新していくつもりなので、よろしくお願いします。
いつものことですが、正しい翻訳ではないので、こんな感じで読んでくださいね。
意味不明な所は聖霊によって正しい理解が与えられるように祈ってください('◇')ゞ
みなさんに神様の祝福がありますように![]()
Nos com prole pia, benedicat Virgo Maria.
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「天国の書」とは日本で発行されている「被造界の中の神の王国」のことです。日本では4巻まで発行されていますが、外国のサイトで全36巻読むことが出来ます。だんごむしのおかしな翻訳を待っているのが面倒な方は、そちらを検索してみてくださいね(*'ω'*)☘
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