シリーズ⑩・・・・米原馨児湯之沢へ向け熊本を旅たつ
ハンナ・リデルは回春病院に付属をしていた熊本降臨教会の司祭であった米原馨児を湯之沢に派遣した。
(参:風雪の紋によると8月25日派遣、喜びの谷によると27日夕刻に着いたと記されている、25日に九州を旅たったと思われます)
米原師は喜んで草津にむかいました。
101年前の大正2年の今日月曜日、コンウォール・リー女史(以下:リー女史)56歳英国宣教師として東京で活動中のことでした。 リー女史勿論湯之沢のこと知る由もありませんでした。
米原師を派遣したハンナ・リデルです

米原もかつてのベルトラン同様旅館組合の反対に直面したが信仰団体「光塩会」結成の機運をつくった
米原師の写真を現在探してます見つかり次第アップいたします。
この後の活動は、草津温泉到着の明後日シリーズ⑪にて紹介いたします、乞うご期待!
本日の草津温泉は雨です、寒いですストーブのスイッチONです
朝7時頃のリーかあさま記念館です

リーかあさま記念館は本日も
10時 ~ 15時まで開館しております
皆様のご来館お待ち申し上げます
(担)バルナバ★うっP- でした
そこは「雲の上の楽園」だったのか?・・湯之沢の移転先
かつて存在したハンセン病者の集落「湯之沢」

治療客やここに住んでる住民のなげきをよそに湯之沢は昭和16年5月頃より本格的に家屋の取り壊しが始まった
湯之沢移転についてこんな契約書が群馬県と交わされた
「湯之沢跡は公共施設に使用して個人的には使用させない」
※まがきの湯の地所については個人所有なので含まれない
こうして明治から昭和16年まで続いた永年にわたる歴史の終幕となる

参:御座の湯口碑
一方移転先である国立療養所栗生楽泉園(以下:楽泉園)は開園7年目を迎えていた、 楽泉園の下地区と呼ばれる場所にハンセン病施設としては類をみない「自由地区」がすでに誕生していた、湯之沢同様”夢の別天地”として・・・・・
写真は昭和50年中頃?後半?あたりか 自由地区誕生から40数年の時を経ている

湯之沢からの移転先楽泉園の自由地区 これが今の姿です
以下昨日の写真で現在の自由地区の紹介です。 上の写真とほぼ同じ場所ここから見える住んでる方二軒? トータルでの4,5軒か?

湯之沢にあった望小学校の一部

聖バルナバ病院の建物を移築した場所 その後取り壊され今は「バルナバ公園」となり石碑にその名残すにとどめている

自由地区の建物全てが湯之沢からの移築ではありませんがこのような建物がいっぱい建ち並んでいた 住んでる方は一様に「オレの家だ!!」 当然です!!


この建物も湯之沢からの移築です、最近まで使われていました

この自由地区に夕方”雲海”が出現・・・雲の上の楽園、それは幻だったのでしょうか?

リーかあさま記念館は本日は日曜日礼拝があるため
10時開館 ~ 午後3時クローズとなります
本日もご来館お待ち申し上げます。
(担) バルナバ★うっP- でした
これは珍しい 湯之沢集落の写真
かつて草津温泉に存在したハンセン病者の集落「湯之沢」 現在では写真でしか見ることができない、その写真のほとんどが上町(湯之沢以外の地域)から撮った写真である
なにげなく湯之沢が紹介されている写真集をみていたら下側(東側)からの画像を発見・・・・・・これは珍しい!?
当時の聖バルナバ病院(現在の中和工場)あたりからの写真である。
左にギリギリ十字架がみえるので聖バルナバ教会である

ここをクリックで拡大写真になります ↑
(参:熊笹の尾根)
どのあたりから撮ったのだろうか? 現在は「大滝の湯」になっている場所へここ何処探しのプチ散歩
この写真は昭和6年で湯之沢の歴史の中で人口戸数ともピークの時でした あれから83年の時を刻み続け跡形もなくなったこの地はすっかり観光地と様変わりをして付近には高層ホテルが立ち並ぶ
ここと思われる場所はどうやら「大滝の湯」裏手の露天風呂の近くと思われる なにせ山の稜線も教会跡のホテルも見えないながらも ここに決定!!(暫定ですが・・・・)

すぐ左には湯之沢橋です、移動します 中央のやや左に少し見える白い建物の場所がかつて聖バルナバ教会があった場所です。

リーかあさま記念館は間もなく10時でオープン!!
午後3時まで開館しております、ご来館お待ち申し上げます
(担)バルナバ★うっP- でした