小さな秋探し・・・草津温泉にて
毎日雨が降り寒い草津温泉です、当然ストーブに火が入る毎日です。
そんな寒い中リーかあさま記念館には昨日も大勢の方にご来館いただきありがとうございました、 日本財団ご一行様、埼玉県の保育園職員ご一行様、神奈川県の草津のスキー場が大好きなスキヤー様、元小学校の教師の方他ありがとうございました、複数の団体さんと重なり中には説明出来なかった方もおり大変失礼いたしました、次回のご来館お待ち申し上げます。
さて、リーかあさま記念館界隈の木々の一部が赤くなってきました、今朝6時頃から”小さい秋探し”のプチ散歩に出かけましたご覧ください。
かつて聖テモテ館(男子寮)があった場所です。一部木の葉がヒラリと舞い落ち、楓は街灯に照らされほんのり赤くなってきました


こちらの楓は、冬季間コンウォール・リー女史(以下:リー女史)が住んでいた”平和館”のすぐおとなりです(リーかあさま記念館から至近距離の場所です)

この公園はかつては”楓公園”とも”リー女史の丘”とも呼ばれていました、現在の正式名称は”コンウォール・リー頌徳公園”です
見事に赤くなった楓を発見

この公園にはキノコがあちらこちらにニョキニョキと地表に顔をだす これを 雨後のナントカっていうらしい

リーかあさま記念館のすぐお隣のIさん宅には紅葉の王様”ナナカマド”が真っ赤に染め上がる・・・・はずです!?


Iさんいわく「今年は雨が多くてきれいに咲かネーかもしれんナー」とのこと、でも期待しちゃいます。
Yさん宅の庭にはアケビの森がある、今年も実ができてきた

Yさんいわく「だめだー今年は寒くてチットモでかくならねー」とのこと、この後実が熟し紫へと変わり大きく口を開けるアケビをご近所さん楽しみにしております。
本格的な紅葉シーズンが草津白根山から草温泉街に降りてくるには2ヶ月位先でがちょっぴり秋探しをしてみました、リーかあさま記念館にご来館いただきましたら是非コンウォール・リー頌徳公園を散歩してください、この公園にはリー女史の胸像や東屋にはリー女史のこと展示しております。
昨夜の湯畑の紹介です、草津温泉のスポットです。
正面は湯之沢集落が出現するまでは”御座の湯”で現在は名称は”白旗の湯”に変わっております。

湯畑の周りの石碑に刻まれた”草津に歩みし百人”にコンウォール・リー女史の名があります、奥に見える木枠は江戸時代第8代徳川吉宗将軍が江戸まで運ばせた”お汲みの湯”を汲み上げた場所です

この木枠が気になる方 ここをクリックで拡大画像をご覧になれます 
本日の草津温泉は午前中は曇り、午後から雨の予想です
リーかあさま記念館は10時~15時までOPENしております、ご来館お待ち申し上げます、寒さ対策をお忘れなく・・・・・

(担)バルナバ★うっP-でした
湯之沢住民とスキー大会
草津温泉といえば温泉で有名ですがスキーも有名です、ゲレンデにリフトが架かった民間第1号のスキー場であり、スキー学校も今シーズン100年という日本最古の歴史を持っているのです。
当然湯之沢に暮らす人々にとっても冬の遊びにスキーを選ぶ者も多くいたそうです

参:昭和10年頃の運動茶屋町民スキー場 なんとナイター完備
さて、風雪の紋によると「この地でのスキー大会は大正12年湯之沢が主催し、上町(湯之沢以外の草津の地区)に呼びかけて開いたのが最初と伝えられている。・・・」と記されている、湯之沢内に青森県出身のスキースポーツ経験を持つハンセン病患者がおり彼が提案して開催したのであります、この大会には湯之沢から上町に呼びかけ多数の参加者があったという。
現在の草津国際スキー場が完成する遥か前のことなので公園を利用したと思われます、運動茶屋スキー場もまだない時代です、90年以上昔の話です。
コンウォール・リー女史(以下:リー女史)が湯之沢で聖バルナバミッションを開始して7年目の年でした、湯之沢からほど近い公園なので応援・見学に行っていたのか?気になります。
その後完成した草津スキー場です、戦前ですのでまだリフトが架かってない時代です。

参:草津スキークラブ年史
リーかあさま記念館は10時~15時まで開館しております
皆様のご来館お待ち申し上げます。
(担)バルナバ★うっP- でした
草津温泉&湯之沢で使われた用語集
古来より多くの病者が多く湯治のため訪れていた草津温泉、その中でもハンセン病者が使った草津温泉&湯之沢言葉の紹介です、現在では使われておりませんこと申し添えます。

参:100年以上前の湯畑です
■立て場
草津温泉で客引きする場所、上等と思われる客(お金がある)の熾烈な奪い合いがあったそうです。
■裏壷の客
湯之沢以前のこと屋根裏や物置部屋に泊まる客のこと。裏は表の反対つまり裏口から入る壷は部屋のこと、お金があまりなく長い逗留になるハンセン病患者のことをこう呼んだ
■草津式結婚
ごく緩い絆で結ばれている結婚
■おあまりさん
「草津湯治」(230年位前?)によると”おあまり!おあまり!”っと連呼し物乞いする人たちのことが記されている大部分がハンセン病者であったと想像する、その後いつまで続いたのか?
■道押し
おあまりさんが団体で歩く姿のことをこうも呼んだようです

参:西の河原:時代不明
■冬住
明治2年の草津大火以前はほとんどの住民が厳しい寒さの為冬期間暖かい六合村(現在中之条町)や前口、霜間(現在国立療養所栗生楽泉園内)に住んだ。冬住の詳細はこちらの過去ブログで紹介しておりますご覧下さい。
■のぞみ会
湯之沢の聖バルナバ教会内にあった勉強会のこと。(他にも色々な会がありました)
■湯本三家
江戸時代の草津温泉の一族で温泉の権利を独占していた、・・・・いろいろあったようです。
■椚原親分
上州の英雄である国定忠治に相当かぶれていた、湯之沢を仕切っていた博打の胴元である。
光塩会結成の顔を持つも素行が悪く役員選挙?に敗れる、のちに改心して聖公会の信徒となる。
※リーかあさま記念館の解説員が集まると椚原親分の話題が多い、記念館の付近でウロウロしている猫の名前は椚原清風から一文字いただいて”清ちゃん”(せいちゃん)名前をつけました、ご来館の際呼んであげてください”返事”します!多分?
以上俗称ですが一部紹介しました、コンウォール・リー女史はこれらの言葉使ったのか気になります。
本日の草津温泉は雨です、寒いです!
リーかあさま記念館は10時~15時まで開館中です、暖房を入れて皆様のお越しお待ち申し上げます。
(担) バルナバ★うっP- でした