今でも残る草津温泉の伝説の人「五郎さん」Part②
草津温泉に新潟県蒲原から働きにやってきた”五郎さん”はいつしか湯之沢で働くようになった。 神様を越えた?五郎さんのエピソード数知れずです。
昨日はPart①として湯之沢での奇特なエピソードの紹介でしたが本日はPart②として草津温泉今でも残っているお話です、はたしてその痕跡を見つけることは出来るのか・・・・・・・・?
参:湯之沢口碑
いくつかある草津温泉から信州へいく道のりのなかには、白根登山道(今のハイキング道) ~ 芳が平 ~ 白根山 ~ 渋峠 のコースがある。 白根登山道(今となっては”旧登山道”と呼ばれハイカーの歩く道である)この登山道のある案内板です、いきなりこれです熊に火山に気をつけて進みます。

まづ目指すはこの当たり、熊笹で失礼します 草津町民やハイカーならほとんどの人が知っている場所です 何処?・・・文末のお楽しみです

草津温泉を出発してすぐに”谷沢川橋”を渡る、この川は火山の毒水が流れている 今朝の谷沢川ですあの時から120年以上の時を経ていますどんなに時を経ても綺麗な川とは言いがたい・・・・しかし旅人はここを越ねば信州へ行けないのです

”五郎伝説”① この橋?(あるいはこの付近かも知れません)のたもとに五郎さんは、白根山を越える旅人のために何時も何十本もの白樺の杖とわらじをぶらさげていた この橋定員5名です、当時はどんな橋だったのか?

早速、道しるべ&熊避け

しばらくは緑のトンネルを歩き続けると当時を偲ばせる物がある、旅人はここで安全祈願をしたのかも知れない。

”五郎伝説”②
やがてこの登山道の名物?「蟻の塔渡し」と言われる場所に到着。ここは両面が深い谷になっている。

もろくて崩れやすいこの谷を五郎さんはいつも直していたそうです。
上から見ると凄い! 凄すぎる! 5メートル先から”オーバーハング”です これ以上先を覗くには”身の危険”を感じます。

道も激狭です、両脇には川もないのに欄干が付いてます、どうみても定員1名限定です! 一列に歩いている姿を遠くから見ると蟻の行列に見えます

この「蟻の塔渡り」の案内板が気になる よく見ると 熊が噛み付いた後がくっきり それも極極最近のようだ 熊さんは歯の牙でも研いでいたのか?・・・なんて冗談言ってる場合じゃないのです

めざす目的地はまだか? っとそこへ
出たー 熊だ!!!!

違いました、気にし過ぎでした、気の根っこでした 安心しました。 この後腰にぶら下げた熊避けの鈴をさらに高らかに鳴らし続けて奥へと進む 熊さん出ないで下さいと祈りながら
”五郎伝説”③ お待たせしました目的地到着です
こちら誰となく 五郎清水 と呼ぶようになった
この付近の道を直すかたわら、道路から8㍍ほど離れた大岩から湧き出ている清水を発見、この清水の下に五郎は桶と湯呑みを置きこの清水がわかるよう「清水あり」の標識を建てた

こちら現在「五郎次清水」と標識にありますが地元のツアーガイドさんも「ゴローシミズ」っと呼んでいるので「五郎清水」呼びます、草津町民やこのあたりをハイキングする方白根山へ登山する方は誰でも知っています。
今回私ことうっP-はここを12年ぶり?に訪れました、15年前くらいにはこのあたりを頻繁に訪れており五郎清水の恩恵にのどを潤しておりました、旅人もここで休憩したことでしょう、15年位前まではこの清水の由来の説明文もありました、現在はこの部分は立ち入り禁止です(この写真は許可を頂いての撮影です) 今日もこんこんと湧きつづけています


喉を潤した旅人はここから芳が平~白根山~渋峠と進みます。
”五郎伝説”④
上州と信州の境の渋峠は冬は遭難する人が多かった、五郎さんは遭難者のために10数キロの道のりの山道を角材背負って頂上に山小屋を建てた、しかし不心得者がこの山小屋を壊して材料を盗んでいった、五郎は怒りもしないで再び立派な山小屋を建てたそうです。
冬の渋峠の写真です 写真は昨年の4月です

五郎さんこと、安中五郎次は湯之沢で 大正6年7月6日大勢の方が見守る中で大往生した、コンウォール・リー女史が聖バルナバミッションを開始した翌年である。
昨日と今日は五郎さんのエピソードのほんの一部を紹介しました
リーかあさま記念館間もなく開館です
10時 ~ 15時開館中です
皆様のお越しお待ち申し上げます
(担) バルナバ★うっP- でした
湯之沢の”五郎さんは神様のような人”Part①
草津温泉:湯之沢地区に暮らした人で”五郎さん”の話を知らない人はいない。知っている人はこう呼んだ。
「五郎さんは本当に神様みたいな人でした。神様を拝むより五郎さんを拝んだほうが良い!」
この男 安中五郎次 言う 本日は五郎さんのお話です。
五郎さんは今から169年前の弘化2年新潟県蒲原に生まれる
どうやら明治13年頃草津温泉に働きにやってきたらしい(湯之沢誕生前です)
五郎さんの働きっぷりは人の二倍ともいわれていた、自分で作った野菜を困った人の門前にだまって置いていくことを喜びとした。
やがて
五郎さんは湯之沢で働くようになる。
ここでも旅に出るハンセン病者のために自分で作ったヒビ薬や草履をそっとその人の家の前に置いていった、湯之沢では家の入口にヒビ薬と草履があると「あゝ五郎さんだなア」っと誰でも思った。
さらに”御座の湯”や”まがきの湯”にの入口にはヒビ薬と草履をいつでも干しておいた

参:風雪の紋
また、故郷の蒲原地方が大水害にあって多くの橋が流されたことを知った五郎は汗で稼いだ貯金百円全部を水害見舞に寄付したとも伝えられている。
安中五郎次の奇特な篤行を挙げると数かぎりない、コンウォール・リー女史とは1年余同時期に湯之沢にいた事になる、この二人もし会話したならどんなお話をしたのか気になりますよね。
五郎さんのこと知っている草津町民は現在でも多くおります、それはなぜか?・・・・・・次回はこの五郎さんの草津温泉に残っている痕跡を訪ねてみます、乞ご期待!!
参:御座の湯口碑
本日のリーかあさま記念館は礼拝があるため
12時の開館です、15時までOPENしてます
ご来館お待ち申し上げます。
(担) バルナバ★うっP- でした。
その森の中にあるものを見つけることは・・・・・?
何日ぶりでしょうか太陽が朝から出ている草津温泉です。
深い森のなかにあるリーかあさま記念館です、木々の隙間から草津温泉や草津白根山等が少しは見える。
そこで、カメラ片手に森の中に”リーかあさま記念館が見える場所探し”に出かけました、発見できるのか?
まずはリーかあさま記念館の南側にあるグリーンハイツという別荘地、草津温泉街が一望出来るビューポイントである、右下の森一帯がコンウォール・リー頌徳公園(以下:頌徳公園) ここから記念館は見えるはず

少しズームアップします 見えました!左側の中央よりやや下のグリーンの屋根の建物です

ズームもMAXです

次に向かったのは、記念館から西側の
草津国際スキー場です、明日は草津温泉街を駆け抜ける”熱闘マラソン”があるため駐車場は準備の真っ最中! 街路灯の先あたりに記念館があるはずですが樹木が多く見えません。 この大きな建物は”草津町立あおぞら保育園”です、この保育園のルーツはコンウォール・リー女史(以下:リー女史)が草津町民の為に開園した”聖バルナバ幼稚園”です。

スキー場の天狗山ゲレンデの頂上部です、一番上の写真と真逆の位置になります、ここもビューポイントで冬場のナイタースキーでは温泉街に滑り込んでいく雰囲気が味わえます。

少しズームします 確認できません

350㍉の望遠レンズもMAX ありました!! ほほ中央森の中から見えるグリーンの屋根の建物です

ここをクリックで大画面になります ↑
ファインダーからはその姿がわからず何枚もシャッターを押し画像拡大して確認しました、私うっP-満足満足!
かつての湯之沢から見えないか? 見えませんでした

番外編
記念館のお隣さんからです
秋風の中赤トンボが羽を休めてます

ここは? 記念館の裏でした

昨日もたくさんの方のご入場をいただきましたありがとうございます。東京からお越しの方草津温泉についてから道に迷われ大変ご迷惑おかけしました、次回のご来館お待ち申し上げます。
明日も午前10時~午後3時まで開館しております、皆様のお越しお待ち申し上げます。
(担) バルナバ★うっP- でした