リーかあさま記念館のブログ -33ページ目

義侠心~~敵の敵は味方(その5)

今日の草津温泉は相変わらずどんよりと曇っています。最高気温は17度、肌寒い7月です。記念館は12時~15時開館です。お待ちしております。
昨日の続き・・・
   もう一人の親分椚原清風は中村大工朗亡き後も、つねに4,5人の子分を引き連        相変わらず博打三昧に明け暮れていた。しかし同時に彼は、温情団の演芸部長という肩書をもっていて、子分を使っては何かとその方面の世話焼きもしていたようだ。温情団というのは、いわば湯之沢の自治を標ぼうする団体なのだが、内実は当時すでに宿屋組合ができ、その勢力がしだいに部落を牛耳るまでになっていたため、これに対抗する勢力によってこの組織が作られていたのである。そして団長美輪咲雄太郎が、清風に目をかけていたので、彼もその一員として動いていたのだ。
   年号も改まって大正2年(1913年)8月、回春病院長ハンナ・リデルは、
   湯之沢にキリスト教を伝道するため、同院専任司祭の米原謦児を派遣してきた
   ・・・・つづく              風雪の紋P40から
                        
   

義侠心~~敵の敵は味方(その4)

今日もスッキリしないお天気の草津温泉です。
 引き続き風雪の紋P39より
    湯之沢における宗教運動の興りは、コンウォ-ル・リ-女史の業績が非常に
    大きかったため、キリスト教からと思われがちだが、ここでも伝統ある仏教
    が早かったようだ。・・・真宗大谷派の説教所を設立する話から10年後の
    明治45年(1912年)・・・<らい病に神も仏もあるものか>と思っていた
    中村大工朗は・・割腹して湯川に飛び込み、凄惨な最期をとげたのである・
    ・・・・・???
よくわからい?端折りすぎの気もしますが、続きはまた明日

本日10時から15時・・・開館しております。

義侠心~~敵の敵は味方(その3)

昨日の夜はスト-ブを一瞬つけようかと思ってしまいました。
お日様が恋しい草津温泉です。
さて博徒の親分が関わる光塩会、誕生の経緯とは・・・・・
(風雪の紋)P39より
   二人の親分
   天刑とされ不治といわれる病に侵された者たちが、明日に望めないむなしさから
   刹那的な生き方に走る・・・。それは肯定できなくても、だれが責められよう。
   湯之沢に花札賭博がさかんだったとして、とかくの避難があつた。
明治20年から20年過ぎた湯之沢は、最初の家庭的集落の雰囲気とは程遠い、お巡りさんも行くのをためらう集落になっていました。(自由の別天地に自由の療養を)として始まった世界でも珍しい集落は、最多期の定住人口は800人にもおよびました。
    さて湯之沢博徒の中には二人の親分がいた。中村大九朗と椚原清風、
    この二人 は湯之沢部落での宗教運動の興りに、それぞれが運命的な関わりを
    もつことになるのである。
続きは明日・・・