リーかあさま記念館のブログ -32ページ目

義侠心~~敵の敵は味方(その8)

昨日はスト-ブを使った家が多かっただろう思う草津温泉でした。
お日様が恋しい・・・
  さて昨日の続きですが今日は中村茂先生の 草津「喜びの谷」の物語を見てみま 
  しょう
     その都度手紙で熊本の米原司祭に伝え回答を待つというもどかし日々が続
     くとおのずから光塩会の活動は低迷していった。  
     そこで米原は、ハンナ・リデルと相談し、光塩会を指導する人物を湯之沢
     に送る事にした。同病の信仰篤い者が適当という考えから白羽の矢が立て
     られたのが、村岡良平と小池金蔵だった。
     1914年(大正3年)8月である。    
     この2人に加えて、ハワイのホノルル聖公会の信徒だった宿沢薫が湯之沢
     に来たことは、この会の活力を一段と強化することになった。
明日は義侠心~~敵の敵は味方、そろそろまとめたいと思います。また明日
今日も記念館開館しております。(12時45分から1時間だけ都合により閉館するかもしれません。)







義侠心~~敵の敵は味方(その7)

草津温泉だけ涼し過ぎる夏?ではなくここ数日は全国的に涼しいようですね。
草津温泉に来られたら、湯畑から徒歩8分 リ-かあさま記念館 にぜひ
お立ち寄りください。
  さて昨日の続き・・・
   清風は米原にたいし、伝道会場に自分が間借りしている宮木建具店の二階を
   提供すると申し出た。米原は喜んで清風のすすめにしたがい、彼の部屋で
   伝道会を再開した。会衆はわずか13名であったが、毎夜会を開き、その結果
   キリスト教研究団体の光塩会が湯之沢部落に誕生したのだった。
   清風は早速(光塩会)と大書した看板を自室の入口に掲げた。
   そしてこの光塩会が、やがてコンウォ-ル・リ-を湯之沢に招き入れること
   になるのである。
   また関西より湯之沢に来ていたキリスト教信者 武市久治らが、光塩会結成
   に力を得、・・・大川屋旅館の二階に(大阪家族教会草津支部)を設ける
   など、湯之沢にキリスト教伝道の証しが急速に広まっていった。
   そしてその皮切りは、じつに博徒の親分椚原清風の義侠心の発露によるもの
   だった。         風雪の紋P41より

   光塩会は椚原清風を含む9名で発足しましたが、クリスマスとはなにかさえ
   十分理解していなかった会員だけが残された。次々に生まれるキリスト教に
   関する疑問を、その都度手紙で熊本の米原司祭に伝え回答を待つという
   もどかしい日々が続くとおのずから光塩会の活動は低迷していった。
                草津(喜びの谷)の物語 より
         つづく・・・10時~15時開館してます。

義侠心~~敵の敵は味方(その6)

草津温泉本日、気温は15度までしか上がらないようで、しかもお昼からは雨模様スッキリしない週の始まりですが皆様いかがお過ごしでしょうか?
 なでしこジャパン、頑張りました。ギリシャ国民の判断の結果は?世界は激動してますが100年前の(喜びの谷)も激動していたようです。
   米原は山本館に旅装を解き、館主に湯之沢で伝道したい旨話したところ、
   湯之沢の松村屋を紹介してくれ、松村屋も伝道会場の提供を承諾した。
   湯之沢部落では{ヤソの坊主の説教}ということで、好奇心から集まるもの
   100人に達したという。だがこれが宿屋組合に熊本への客引きと誤解されて
   会場閉鎖などの妨害を受け、たちまち中止のやむなきに至った。
   米原が途方にくれていると、そこに援助の手をさしのべたのが、椚原清風
   だったのである。彼は宿屋組合と勢力を争っている温情団の役員であり、
   また中村大工朗の一件から・・・・・、何よりも弱きを助ける持ち前の
   義侠心が彼をして米原の援助を買って出させたのだ。彼はそうした気性だった
   という。     続く・・・

本日もご来館お待ちしています。