人生とはどのようなものか?
ある一面では、「個人の幸せ」と「社会の幸せ」の併走が人生と言える。
個人と社会が近接して併走していられる幸せな人生や、幸せな時代もある。
しかし、注意しなければならないのは、併走しているだけで、決して交わったり、接したりしている訳ではない、ということ。
個人と社会の併走が、離れて行く時がある。
その時、個人が社会に近づいて行くべきなのか、社会が個人に近づいて行くべきなのか。
(あえて、どんどん離れて行く人もいるかもしれないが、ここでは触れない)
ただ、歴史を見る限り、社会に個人が合わせて行くことが、行きすぎると、不幸が起こるようだ。
なぜそうなるのかというと、「社会と個人」という考え方(捉え方)自体が、実は間違っているのであり、社会は個人の集合体でしかない。
だとすれば、社会と個人の併走ではなく、その実は、たくさんの個人が並走しているに過ぎないということになる。
つまり、個人の幸せがないまま、社会の幸せが成立することはないのだ。
理論的には、個人の幸せを制限し、社会の幸せを追求し続けることで、最終的には、個人の幸せがないのに社会の幸せがある状態を作ることも可能である。
社会は幸せそのものであるのに、その中に含まれる個人には誰一人幸せなものがいない。
それは、地獄のことだ。