大友克洋監督 「AKIRA」 の感想 | おだんご日和

おだんご日和

Dango茶屋・いちのせの徒然記



 AKIRAは、私が小学生ごろの作品で、アニメ好きの友人数人と一緒に、近所のレンタルビデオ屋で借りて観たのが初めてだと思います。

 当時は何だが気味が悪いアニメだな、ということしかわかりませんでした。

 学生時代に再見した時は、破壊シーンとか、アクションシーンばっかりを繰り返し見ていた記憶があります。



 最初に観た時から「すごい映画だけど、あまり好きじゃないな」と思っていました。
 その原因を突き詰めて考えると「なぜカオリが死ななければいけないのか、納得が行かなかった」からだと思います。小学生の頃から、あのカオリが死ぬシーンだけは良く覚えていて、とにかく受け入れられない気持ちになっていました。
 当時の気持ち的には、「カオリが死ぬから『AKIRA』は嫌い」と言っても良かったと思います。

 そして、20年ぶりに再再見した「AKIRA」は、めちゃめちゃ面白かったです。

 今なら、なぜカオリが死ななければならなかったのか、よくわかります。
 彼女は、よくアニメに出てくる「獣性や暴力性をコントロールする巫女」への反論であり、パロディだったのですね。
 モスラの小美人、ガンダムのララア、ラピュタのシータ、ドラクエ4のロザリー、カオリは彼女たちのように男子をコントロールできず、無力で無為に死んでしまいます。

 アニメやゲームに出てくる巫女は、男子の暴走を止めて、物語に秩序を取り戻してくれます。
(その結果、生贄のように死んでしまう場合もありますが、男子の暴走は止まります)
 しかし、現実世界に巫女はおらず、暴走を止めることはできず、争いと破壊が起こってしまう場合が悲しいほど多い。

 監督は、責任を巫女に丸投げするアニメに辟易していたのかもしれません。
巫女なんて嘘っぱちだ・・・「女は、ぶん殴って黙らせるもんだ」という男の方が多いじゃないか、と・・・。

「獣性や暴力性をコントロールする巫女」・・・というモチーフは、宮崎駿監督も繰り返し描いていますね。
 しかし、宮崎監督の場合は、獣性・暴力性のコントロールに、なんとか男子も責任を果たそうと四苦八苦するところが面白いです。
「もののけ姫」では、アシタカとサンが一緒にシシガミの首を持ち上げる。
「ラピュタ」では滅びの呪文をパズーとシータの二人で唱える。

 鉄雄になるのか・・・。パズーになるのか・・・。巫女に頼ることなく、男子は(女子も?)自身の獣性・暴力性と向き合わなければいけないということなのだろうか。

 それにしても!(誤解を恐れずにいうならば!)「AKIRA」で描かれる獣性と暴力性の魅力的なことよ!