年末年始は、準備中の長編の脚本を検討しました。
友人や山高に準備稿(もう6稿になってしまった・・・)を読んでもらって、難点を洗い出しました。
早めに7稿を書き上げたいと思っています。
随分時間がかかっているような気がして第1稿の日付を確認したら、去年の3月から書き始めています。
まだ1年かかっていないのか。
(その前に、大量のメモやイラストを書いてはいるわけですが・・・)
過去の作品では、漠然と脚本を書き始めて苦しんでいたのですが、今回の脚本を書くうちに、徐々に自分なりの書き方が整理されてきたような気がしています。
今までの、どの脚本の時も、書き出す前に「こういう風景の映画を作りたい」というイメージイラストを大量に描きました。
建物だったり、土地だったり、乗り物だったり・・・画力が足りず、イラストで表現しきれない時は、実物を作ってみたり、それらを使って短編アニメを作ってみたりします。
そうやって先に作品のイメージを固めて行きます。
そのイメージに合う物語の仕掛けを考えて行き、大筋が出来上がったところで、物語を回して行くキャラクターを考えて行きます。
キャラクターを後付けで考えるので、よく漫画家の方が言っている「キャラクターが勝手に動き出して、物語を作って行く」という経験が私には、ほとんどありません。
キャラクターは後付けなので、脚本を検討するうちに性別や性格、職業はころころ変わりますし、キャラクターの持っている人生というか、問題意識も変化します。
キャラクターに引っ張られて、構成が変化することもあります。
その結果、キャラクターやテーマ、構成が微妙に違う、いろんなバージョンの脚本が枝分かれのように増えて行きますし、どのバージョンも脚本1本分に近い手間がかかります。
枝分かれしながら、一番良いと思われるものに脚本が収斂して行き、この段階でやっとキャラクターの心情や行動、表現を検討・修正します。
時間はかかるけれど、私にとってはこの書き方が一番、性に合っているようです。
こういう書き方なので、友人や山高が指摘してくれた難点を修正する時も、その部分だけではなく、脚本の構成やキャラクターを大幅に修正して返します。
指摘してくれた仲間にとって、おそらく、もどかしくて、フラストレーションが溜まる作業だと思うのですが、それでも懲りずに付き合ってくれるのは、本当にありがたいです。