大学コンソーシアム佐賀という組織が中心となって進めている「地域発映画」の初上映会です。
「①シンポジウム」があり、「②上映」があり、また「③シンポジウム」があるという構成になっています。
それぞれの作品は別個の企画や目的で作られたもので、全体としての戦略があるわけではないようですが、並べてみるとそれぞれの個性から「無意識の戦略」が立ち現れてきて面白い上映会になっています。
いろいろと感想があって、やっとまとまったので文にしました。
『①自主制作、市民映画シンポジウム前半「見るから創るへ、地域発映画のエネルギー」』
私のネタ帳に、いくつか面白い発言がメモしてあるので、それを書き写して感想を述べたいと思います。
(発言1)
「ただ好きに作るだけではなく、見てもらう為の仕掛け(←アタック)が必要だと思う。仕掛けというのは、たとえば「怪獣」であるとか、興味を引く要素の事」
自分が見たいものだけじゃなくて、他人が見たいものを作るように心がける…という意味だと思います。。
この意見には全面的に賛成です。
しかし、これって案外難しいと思う。
たとえば「のだめカンタービレ」が流行るまで、自分が音大生の日常を知りたがっているなんて日本中の誰も知らなかったワケです。「Shall we ダンス?」だって「ウォーターボーイズ」だってそうですよね。
誰でもわかるようなアタックでは新鮮な作品にならない。観客本人も気付いていないを欲求を見つけなければいけないワケで、それはやっぱり最終的に「自分の見たいものを信じる」しかないってことにもなると思います。
結局のところ、アタックの成功とは結果論でしかないのかも知れません。ヒットすれば「素晴らしい視点」、ヒットしなければ「観客のことを考えていない」と言われてしまう。
どこかで割り切って「やりたいようにやる」部分も必要になるのでしょう。
もちろん、最低限の「見やすさ」「聞きやすさ」をクリアしてからの問題ですが…。
(発言2)
「高校生が映画を作る時、ロケハンをする中で地域のすばらしさ(美しい風景など)を知る機会があった。映画制作は地域を知ることにつながるのではないか」
「高校時代はコンテストなどでライバルだった生徒同士が、同じ大学に進学して仲間になったりする。環境が整備されたことで良いサイクルができつつあるし、こうやって未来の産業につながるのかも知れない」
「映画を制作する時は「伝えたいこと」があって、それに適切な表現方法を探して行く。これはコミュニケーション力の教育という事にもなる。そういう視点で映画制作を教育方法の一種と考えてはどうだろうか」
以上の3つは、学校教育的な視点から映画制作を考えた意見ですね。
非常に共感できる部分も多いのですが、実際にどこの学校でも導入できるかというと疑問が残ります。
映画制作は、壁新聞や紙芝居よりも専門的な技術や知識が必要で、小中学生に簡単にやらせるというわけにはいかないし、指導者の育成も難しいですよね。
急には導入できないわけです。
映画制作のセオリーを学ぶための定番カリキュラムというものもなく、それぞれが手探りで教えているというのが現実だと思います。
今日、明日の話ではなく、今現在、大学で学んでいる学生が教員として採用されて、徐々に下地を整えて、実際に導入されるのはその後ということになります。今はその時のためのモデル作りの段階なのではないでしょうか。
むしろ、直近には高齢者や成人への生涯学習にこそ向いているような気がするのですが…それはまた別の機会にまとめたいと思います。
(発言3)
「自分や自分の作品をどうプロデュースするか、他人にどう見られたいかという視点を持って欲しい」
もっともな意見だと思います。
しかし、私がいろいろやってきた経験では「こう見られたい」という自分像と、周囲が「実際にどう見ているか」という現実には、必ずズレがあるんですよね。
このズレを無視して自分の道を貫くべきか、ちょっと立ち止まって考えてみるか、そのタイミングがけっこう難しいのです。
(…つづく)