初心わするべからず | おだんご日和

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Dango茶屋・いちのせの徒然記

初心わするべからず…の意味を知っていますか?





「何事も、初めての頃の初々しい気持ちを失ってはいけない」だと思っていたのですが、

実は違うらしいのです。
今はその様な意味で使われていますけれど、本来の意味は正反対らしいです。
もともとは、能を大成した世阿弥という人の「花伝書」という本の一節らしいのですが、

その意味は



「若者の踊りは美しい。
 若者自身が美しいのだから当たり前だが、

 若い頃は傲慢だから、若さの美しさではなく自分の実力だと勘違いしてしまう。
 いくらか齢をとれば、そんな若者の傲慢さを冷静に見つめて、

 その愚かしさを分析することができるようになる。
 しかし、若者の傲慢さを見つめている自分を、さらに見つめている老人からみれば、

 そんな自分も傲慢である。
 そして、その老人を、さらなる大老人が見つめていて、それは無限に続くのである。
 つまり、若者の傲慢さは誰の心にもあり得るのだから、それを心して精進しなさい」






原文を知らないので間違いがあるかもしれませんが、大意はこんな感じらしいです。
「初心わするべからず」の初心とは、若者の醜さのことなんですね。
それがいつの間にか「初めての頃の初々しい気持ち」になって、醜いのは老人の方になってしまった。





不思議ですね。でも、なんとなく納得できます。
本来の意味で使うには、言う方も言われる方も、かなりの才能と容姿を持っていなければ

意味が通じないような気がします。
私のような一般人には、現在の意味の方が使いやすいようです。