持永只仁をめぐる日中アニメ・シンポジウム」の記録(4) | おだんご日和

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Dango茶屋・いちのせの徒然記

真賀里さんの作品上映の後、講演がありました。

時間が推していたこともあり、上映作品の解説と作品の裏話にとどめたようです。

もう少し長く話を聞きたかったのですが、最終日ということもあり仕方なかったのでしょう。





おだんご日和-鬼、他





2月7日 真賀里文子講演


・ビートル号は、最終的に墜落したので同時代の飛行機の資料を集めて作った。ほとんど間違いはないであろうと自負している。
・ウーフは、古い作品だが思い出深い作品だ。自分が子育てしている頃、テレビアニメに疑問を持って作った。
・遣唐使の嵐のシーンは、反対を押し切って生音を入れた。少し予算をオーバーしたが、自腹を切った。時間はかかったけれどプロデューサーはきちんと自腹分の予算を払ってくれた。
・昔は、セルアニメと立体アニメしかなかった。
・両の手から生まれるものが、感動を生むのではないか?だから立体アニメは今でも残っているのではないか?
・ここで様々な作品を見て、改めて持永先生の影響をストレートに受けている自分に気付いた。
・人形の動きは、基本1コマ撮りである。穏やかな波は2コマ撮りで撮影した。






真賀里さんの講演の後、現代佐賀の作品として、

私の「駅前怪獣騒動」「とりにがしたかお」「高橋宗太郎と雨の殺人事件 予告編」と、

東さんの作品2本の上映がありました。

真賀里さんや持永さんの作品の後ということもあり、上映中は冷や汗と恥ずかしさで目をつぶっていました。
次のシンポジウムに出席するために、東さんの作品は最初の部分しか見ることができず、残念でした。
(すでに気が遠くなっていたので、見ても内容が理解できたかはわかりませんが…)






2月7日 シンポジウム


・劇場用アニメが中心の時代は、アニメーションは親子づれで見るものだった。
つまり、親が眉をひそめるような作品はヒットしなかった。
テレビアニメ時代に入ると、子どもだけでアニメを見るようになったので、子どもの興味を引きつける「メカ」や「戦闘シーン」がだんだんアニメーションの中心になって行った。
更に時代が進み、中学生、高校生が見るようになると「美少女」が加わり、ほとんどのアニメがこの3つのテーマを含むマンネリに陥って行った。
また、アニメの制作現場は諸外国への外注が中心になって行き、日本アニメの制作ノウハウは世界中に知れ渡ってしまった。結果、世界中で日本アニメみたいなアニメが作られるようになった。
以上のような現状を打破するには、人形アニメの面白さが必要ではないかと思うようになった。
・先日、某ロボットアニメの劇場版(ヲの付く作品)を見た。「ナゼ戦うのか?」「誰と戦うのか?」がストーリーの中心で、アクションシーンとショックシーンの連続で出来ていた。こういう作り方じゃなくても面白いものは作れるはずだし、売れる売れないとは別の価値感があるはずではないのか?
・立体アニメには、どうしても「乱れ」が出てしまう。それは、見苦しさとは違う「人間の生きるペースの乱れ」「命の乱れ、迷い」で、それが立体アニメの面白さ、味になっているのではないだろうか。マーケットと言う土俵に今でも立体アニメが残っているのは「乱れの面白さ」があるからかもしれない。
・ショック、アクション、変化球は面白いけれど、その前にやっておくべき「正統派」があるはずだ。
・(CMキャラクターはどうやって生まれるのですか?という質問に対して…)
CMの場合は、デザイナーが別にいる場合がほとんどです。
コンタック咳止めのキャラクターは13年続いていて、スタッフも同じなので「親戚に会いに行く」みたいな感覚になっています。
ドコモダケ、ぴちょんくんは、若いデザイナーが作りました。
イソジンのカバくんは、月岡さん(元東映の天才アニメーター)がデザインしたキャラクターです。
テレビCMの制作は、スポンサー企業も広告会社も、エリート中のエリートが短期間に喧々諤々で議論するので非常に刺激を受けます。
CMのキャラクターでも、ただの広告媒体ではなく、キャラクターとして人の心に残ってくれるように心がけて作っている。
・「シェーン」は構成が面白くて好きです。
・疲弊しながら進んで行く制作現場で、どうやってクオリティの高い作品を維持して行くか、人をどう育てて行くのかが、大きな問題です。
・持永先生最後の作品「少年とこだぬき」は、小規模な自主制作映画をどう作るのかという問題に対する本当に良い手本で、先生は最後まで、本当に最良の教師であったと思う。
・立体アニメは、合理的でないように見えるかもしれないけれど、人の心の中にある「作りたい欲求」をほったらかしにしてしまうのは合理的だろうか?マーケットと言う大きな流れの中で、どうやって作品を作って、発表して行くのが正しいのか?答えは出ないけれど、作り続けることが後輩たちへのエールになるのだろう。






おだんご日和-絵コンテ&ペンギン




いろいろと刺激を受けた三日間でした。

主催者からは、これからもできる限り続けて行きたいとの言葉がありました。

持永只仁記念アニメーション映画祭が毎年(か、隔年か…)で続いていくと、

こんなステキなことはないのだけれどなぁ…。




それと、シンポジウムや講演などでたびたび「最近のテレビアニメは良くない。こういう作品ばかり見て育つのは、子どもたちに良くない影響があるのではないだろうか」といった意味合いの言葉がありました。
「…怪獣騒動」とか「…殺人事件」とか、そんなのばっかり作っている私は、

きっと「悪い影響を受けた世代」なんだろうなぁ…と、申し訳ない気持ちで聞いていました。