カントと孔子と失礼な私 | おだんご日和

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Dango茶屋・いちのせの徒然記


ごく稀にですが、他人に依頼されて映画や演劇を作ることがあります。
テーマを聞いて、その時に使える人材を探して、予算の範囲内で仕上げるワケですから
自由にできる範囲は狭まるのですが、これはこれで案外楽しい作業になります。
トランプ遊びのように、限られた手持ちの札を組み合わせてより強い役を作る作業ですから、
ゲーム的な面白さがあるんですね。




でも、この方法だと人材、人間をトランプの札のように考えなければ作業ができません。
カントの言うところの「人間を手段として使う」ことになるんですね。
楽しいのだけれど、どこか心苦しさが残ります。
孔子は「私心を捨てて、人物を適材適所に配置できるのは君子である」という意味合いのことを言っていたと思いますが、
私は思いっきり私心で映画や演劇を作っていますから、孔子にも責められることになります。




映画、演劇、それとアルバイトでも、他人と仕事をしていると「こいつ使えねーな」と思ってしまうことがあります。
しかし、使えるとか使えないとか、人間をトランプの札のように考えてはいけないんですね。
それはカントや孔子が言っているからではなく、その人に失礼だからです。




ホントに私は失礼な男なんですよ。


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