待機児童問題というのがあって、ここ数年地方自治体の選挙ではこれを焦点としている場合が多い。
今回起きたベビーシッター事件は、この問題を背景としていて簡単には解決はしないと思われる。
単純に殺傷事件として割り切るなら兎に角、乙武と鈴木宗男議員の遣り取りに象徴されているように、政治的な責任問題を裏に潜めている。


一部で報道されているように、横浜の待機児童ゼロ宣言は全くの作り物の数字を積み重ねった結果といえる。


ただし、政治家に対して批判するよりは哀れみの気持ちの方が僕には強い。
既に何年も前に、僕の知り合いの区会議員と飲んでいる時の話だ。
このときある人物が待機児童に対する自民党(の地代ということ)の対応が遅いと非難した。
僕は『自民党も手をこまねいているわけでは無いと思う。予算だけで無く、実際の運営方法など人の命を預かることなのだから、とりあえず始めるというわけにはいかないと思う』と答えた。
これに対し議員は『一番の問題は少子化問題で、現在の待機児童数合わせて保育所等を設備しても、数年後にはそれが要らなくなってしまう。実際マンション建設による人口増加に伴って小学校を作ったが、その生徒が卒業したら入学児童がいなくなったなんて話があるくらいだ。10年のスパンで考えなければならない問題で、そう簡単に結論は出ない』ということであった。
そのため、多くの自治体の対策としては、保育所(つまり児童を預かる機関)の条件を緩め、民間に委託することを選んだ。
民間は参入したとしても、10年後には畳まなければならない商売などするわけもなく、結局待機児童の数は一向に減らない。
そこで無許可の託児所が現れてしまうというわけだ。


僕の住する区ではまだまだ解決には程遠いが、それでもかなり改善されている。

実際には様々な区政の取り組みにより、人口が大幅に増えており、毎年予想以上に児童数が増えているため、対応が遅れているのが実情であると聞いている。


昔は近所のおばあさんが子供を預かるなど、地域一帯で子供を育てるという風潮だった。
いつだったか、子供は誰が育てるでマスコミを上げて議論になったことがあるが、昔から日本ではムラで育てるのが当たり前だった。
理由はムラに於いては夜這いが一般化されており、実際に生まれた子供が誰の子供かわからないというのが実情だった。そのためムラで育てるというのが暗黙の了解だったのだ。
それが核家族化や都市化、そして欧米文化の導入によりムラという観念が薄れてしまった。


一部の人達の間(僕も)では、今でも子供は地域が育てると思っている。だから無許可の託児所が存在しても疑問に思わない。そこにまた問題が潜む。


その無許可の託児所(今回のケースも含めて)が信頼できるご近所さんであれば良いのだが、全くの見ず知らずの方を頼らなければならないような現状があるとしたら、やはり子供はムラで育てるという日本の古くからの概念は捨てるべきでは無い。


僕の家の裏は児童会館である。
土日などの夕方に餅つき大会やお楽しみ会をして騒ぐのだが、僕は全く気にならない。
多くの苦情が寄せられているため、年々小規模化してしまっていて残念だ。
子供を下手に預かると揉め事が多く、ご近所さんに預けるのは難しい昨今、このような児童館の存在はとても大事である。
せめて苦情など控えて、一緒に近隣の子供を育てている気持ちになれないだろうか。
それだけでも今回のような事故は少なくなると思うが・・・・

この冬からのドラマの殆どが最終回を迎えている。
評判を呼んでいる『三匹のおっさん』も見たかったのだが、同時間に『天誅』をしていたので見ていなかった。
残念ながら視聴率では大幅に差をつけられている。


年を取ってからは勧善懲悪が好きになった。

両方ともその点では一致しているのだが、『天誅』ではタイムスリップというテーマがあり、それをどう織り込めて行くのかが楽しみだった。
しかし、最後までその謎は放置されたままで、泉ピン子の娘とタイムスリップして現代に来たさなの妹(実の妹ではない)が似ている点もなんの説明もないままに終わっている。
最初に疑問点を投げかけておいて、それを放置してしまっては視聴者は離れてしまう。


大体ストーリーなんて読めてしまうのだから、そういった点や大きなテーマをきちんと説明しないとダメだと思う。この番組では勧善懲悪とともにタイムスリップが大きなテーマだと思うがどうだろう。
結局娘が死んだ証拠は出てこないことで、次に繋げたいのだろうが、この視聴率では第二弾は難しい。


同じように、非常に評判の悪かった『S-最後の警官』も同じようにテーマの放置がみられた。
『凶悪犯の生命』という判断などし難いテーマに取り組んでいることは大いに認める。だから主人公の向井が良くないとかは無視してみていた。
実際プロデューサーは韓哲で、ataruなど最近のヒットメーカーの一人だ。
登場人物に恵まれなかったことは別にして、カメラワークなど韓流ドラマを思わせるアングルなどが気に入らなかった。これは予算の都合もあったのだろうが、酷くちゃちなCGなどと相まってataruでは成功していたのに、ここでは一昔前の印象でしかなかった。
だから戦闘シーンなどに迫力が全く感じられないのが残念だった。
西部警察などはもう古いのである。


さて、テーマの放置というのは「主人公の手の秘密」だ。
これは映画化されるので、そこで解決されるというのなら良いのだが、簡単に説明の行くことではないと思う。
これにテーマを絞ることができれば別だが、2時間の枠では結局中途半端に終わるだろう。


まだ録画したままの『謎の転校生』は、その昔NHKでドラマ化された。

当時は低予算ではあつたし、CGも無い時代だったが夢中になってみていた。

原作があり、NHKでは忠実に描いていたが、今回は全く違うものになっていた。少々見るのが怖いというのが実のところだ。


さらに、『戦力外捜査官』は大好きだった。珍しく毎週のように録画した直後に見ていた。
武井咲の笑顔が大好きだし、takahiroもとても良かった。
舞台設定が現実離れしていて、結局のところマンガとして見ていた。
頭を使うことも無かったので、頭脳のクールダウンに役立った。


まぁテレビなどそれが一番の役割のような気がする。

残念な話である。


亀田一家を単純に認めるわけにはいかないが、少なくとも今回の騒動の責任は彼らには無いと思う。

だから返上する必要も無い。

だから非常に残念に思うのである。


この記事に関連して、以前長谷川穂積が『これではスポーツはいえない』と発言している記事を見た。


あまりに幼い認識に基づく発言で、ファンだっただけにがっかりした。


今回の騒動はたった一つの認識の違いから起きていると思う。


それは、大毅の相手が減量に失敗した場合、この試合はノンタイトル戦なのかタイトル戦として興行が成り立つか否かという認識だ。

とても単純で、このケースでは減量に失敗した段階で大毅は不戦勝となり試合は行われない。

その段階で大毅は防衛しているのだ。


しかしそれでは興行主は商売として成り立たないので、試合だけは行われる。

ただしあくまでもノンタイトル戦である。

従ってタイトルが動くことはありえない。


ちょっと考えれば常識的判断で、JBCは何を勘違いしたのか全くわからない。

仮に、IBC側が『タイトル戦である』と発言したとしたら、クレームを付けるべきところである。

なぜなら、これは先の長谷川の発言に関係するが、ストロー級の選手とバンタム級の選手がタイトルをかけて対戦することはありえないからだ。

バンタム級の選手が有利に決まっている。


この試合をタイトル戦として扱うなら、スポーツという前提が成り立たない。

単なる殴り合いだ。


だから長谷川の『スポーツとは言えない』発言は理解できない。

あるルールに基づいて行われるからスポーツであるのだから、それを無視して『強い・弱いの勝負』であれば、それはケンカと変わらない。

最もケンカに近いと思われるパンクラスでさえも階級制を用いているのだ。


今回の騒動は亀田憎しで屁理屈を付けているに過ぎない。

あまり好きになれない彼らだが、今回ばかりは同情する。

全く酷い話だ。