第七章 「飛ぶ鳥の後始末」
「立つ鳥あとを濁さず」といいますが、倒産で飛んでしまったあとを自分の手で完全にきれいにしておくというのはなかなか出来ることではありません。
そらそうでしょう、周りをきれいに掃除出来るくらいなら倒産なんかする必要がないわけですから。
それでも出来るだけ物心ともに迷惑をかける人の数は少なくして、迷惑をかけた人にもきちんとお詫びをし、せめてもの誠意だけはわかって貰おうとしましたが、十分に果たせないまま飛んでしまうことになってしまいました。
最初にお話したとおり、身の回りのものだけ持ってのまさに「夜逃げ」です。
七月十四日。妻が言ったとおりこの日が船場の住み納めです。
K氏が迎えにきてくれた車に人目をさけるようにのりこんで、夕暮れの窓の外をながめました。
戦後の焼け野原の中から大阪商人のメッカとしてめざましい復興を遂げてきた町船場。少年時代にはいたるところがやんちゃ(腕白のこと)の舞台やった町船場。
親父から徹底的に教えしごかれた商人の心得、その教材がどこにでも転がっていた町船場。
五代目をついでからは従業員に率先して商売に駆け回った町船場。
生れ落ちてから五七年間、あの日その日のこの町での思い出が、ポツリ、ポツリと灯りをともし始めたビルの窓に現れては消えていくのでした。
ハンドルを握ったK氏もそんな私の心情を察してか、ことさらにスピードを落としてくれています。
様変わりしたとはいえよその町にはない独特のたたずまいを残している船場。
各種の問屋の集まった町ですからどの筋も通りも昼間は荷物を積んだ車でごったがえします。
今通り抜けようとしている堺筋のあたりには昔は砂糖の問屋が多かったそうで、「堺筋」というのが「砂糖」の隠語やったそうです。
本町通を御堂筋から東へ、夕方はいちばん車の混み合う時間ですがそれでもわずか五分足らずで堺筋をぬけて高速道路をくぐるともうそこからは船場の外です。
「今まで知ってるようで気がつかなんだけど狭い町でしたんやなあ船場というのは。こんな狭い町でいっぱしの商人気取りでいたのは井の中の蛙やったんかなあ」と思わず呟くとK氏がようやく声をかけてくれました。
「そんなことおません。ようやってきなはったと思います。たしかに先代からの十字架を背負った「みの源」の時代は終わりました。これからは身を軽くして貴方自信の人生を充実させてください。いつか貴方のふるさとの船場へ別のかたちで錦を飾れるように祈ってます」
涙でビルの灯りが大きくぼやけてしまいました。