「せいてせかん」という言葉が昔から船場では使われていました。
直訳すると「せく(急ぐ)ようでせかない」と言う意味で「この仕事、せいてせかんのやけど仕上げといてんか」と言う具合です。
言われたほうは「そんなに急ぐ仕事でもなさそうや」と後回しにしたりしているととたんに叱られます。
「せくようでせかない」というのは本当は「できるだけ早うしとくなはれ」というニュアンスが含まれているんです。
まえにお話した、断りの言葉の「考えときます」もそうですが商売人の使う言葉には相手にプレッシャーを感じさせるのを避けた婉曲的な言い方が多いようです。
こうした船場商人独特の言い回しは他にもいろいろありますが、いずれも長い間の商売の町が生んだ才覚の表現なんです。
そんな具合に他人の店の奉公人にすら厳しかったんですから、ましてや身内の奉公人に対するそれは厳格そのものでした。
親父も、全国の酒屋さんから預かった研修生に対して目上、お客様への言葉づかい、挨拶の際の頭の下げ方、目の角度、手の位置、表情歩き方、髪型や服装にいたるまでを仕事と平行して実戦のなかで教え込んでいきました。
音を上げて親元に帰りたいと言い出す子もいましたがそれをいつもなだめて優しく接していたのが母でした。
とはいえ、厳しいだけではついてきません。親父の厳しさの裏には「なんとかこの子らを一人前にして親の許に帰してやりたい」という気持ちが流れていました。
三年間の修業期間でしたがその間に本人名義で貯金と生命保険を積み立ててやり、年季明けには全部持たせて帰していました。
本人はもとより親御さんからも感謝の便りを貰ったのも数知れません。
そう、こんな事がありました。前にも申し上げましたが、私の代になってこの研修生制度が「みの源道場」と称されてテレビのドキュメンタリー番組で取り上げられました。
テレビ局のスタッフの一人が研修生として道場に入門しその修業ぶりを追いかけるという趣向でしたが、ある日ディレクターが私に「彼が外回りから帰ってきたらなにかミスを見つけて思い切りびんたをくらわせてやってくれませんか」というんです。
「あほな、なんにもしてないのにびんたなんかくらわせられますかいな」
「いえ、みの源道場はこれほど厳しい修業をさせているんだというところを紹介したいんです」
むかっときました。
「それは厳しいのとちがいますやろ。よくいわれる「やらせ」と違いますのか。悪いけどこの番組、お断りさせとくなはれ。なんぞ勘違いしてはらしまへんか?うちはしごき教室でも暴力道場でもおませんのや。よっぽどの手におえん子ならともかく、そんなとこだけが強調されるような紹介のされかたは困りますよって」
ディレクターも分かってくれたようですが、優しさに裏打ちされた厳しさがどうやら誤解されていたようです。