「体育の日の意味」
今日10月の第2月曜日は体育の日。もともとは昭和39年に東京オリンピックが開幕した10月10日を記念して「体育の日」と定めたものでしたが10年ほど前にはじまった「ハッピーマンデー制度」とかで10月の第2月曜となってしまったわけです。
私にはどうもこの「ハッピーマンデー」というのが理解しがたいのであります。
そもそも国民の祝日というのは定められたその日に特別な「その日でなければならない」理由があるのです。
[体育の日」しかり、「成人の日」にしたって1月15日というのは小正月でその日は子供から大人へ変わるための元服の儀式が行われていたのです。それが1月の第2月曜になってしまった。
7月20日だった「海の日」、9月15日だった「敬老の日」(老人の日と呼んでいた時もありますが)、いずれもその日に決められた意味があったのです。
それを近くの日曜日と並べたほうが国民はよろこぶだろうという単純な発想で変えてしまった。
それならいっそのこと一年に15日もある国民の祝日を全部近くの月曜日にしてしまったらどうか。
どうして今挙げた4日だけをハッピーマンデーにしたのかもわからない。
本来その日で無ければならない記念すべき日を「休みをつなげたり増やしたりすればハッピー」という発想で変えてしまうというのは日本の歴史に基づいた文化を否定する行為とちがいますか。
東京オリンピックの開幕日を10月10日にしたのはこの日が晴れの特異日だということだったそうですが、実際に昭和39年も快晴、この日が[体育の日」と定められてから34年間で東京に1ミリ以上の雨が降ったのは5日だけだったそうで、それが10月の第2月曜になってからは8年間のうち6日が雨に祟られているのです。それみたことか何がハッピーマンデーだといいたいです。
幸い今年は全国的に晴天に恵まれたようですが。
いつの頃からか日本人は高度経済成長のなかで働き蜂だのといわれて働きすぎを反省しはじめて「ゆとり」なるものを求める風潮が生まれてきました。その「ゆとり」を「休むこと」で得られると錯覚したのが間違いの始まりであります。
大失敗のひとつが「ゆとり教育」。学校の休みを減らした揚句が学力低下を招いて今更に大慌てしている現状です。
物理的に休みの日を増やせば生活にゆとりが生まれると考えるのは短絡的でそれこそ思考にゆとりがないんじゃないですかね。
ゆとりというのは心の問題であって、休む暇も無く一生懸命働いている人が自分の仕事に誇りと喜びを感じ、一つの仕事をし終えた時にやっと手にした休みの時間に充足感を感じる、それがゆとりにつながるのです。
「小人閑居をして不善を為す」我々小人は休んでばかりしているとろくなことをしません。
世の中には休みがあっても休めないひとが山ほどいます。
きっちり国の決めた休日に休みが取れるのは公務員ぐらいなもんじゃないですか。その代表が国会議員です。彼らこそ高額の歳費を貰ってるんだから休日返上して働いてほしいもんです。
「国会開催の時だけ働いているのではない。毎日が政治活動だ」とおっしゃいますが、国会にも顔を出さず地元や支援者まわりは政治活動というよりは選挙活動といったほうがあたっているんじゃないでしょうか。