私が五代目をついでからの親父はそれほど直接的にはなにも言わんようになりましたがそれでもその目が私を見守り叱りつけているのは常に感じていました。
きつい大きな呪縛やったんです。
私が結婚して新婚旅行から帰った日の親父の第一声は「今日からは、二人で力を合わせておたがい愛し合う心、信頼、尊敬の心で歩んでいくように」
そして妻には「今日から百々代は氏重のことを旦那さんと呼ぶように」私には「氏重は旦那さんと呼ばれるにふさわしい主人になるようにたのみます」でした。
月並な教科書めいた言葉でしたが私にはあのときの親父の、そして横でしんからうれしそうに笑っていた母の顔が忘れられません。
そんな数え切れないほどの「心の財産」を私にのこして親父が亡くなったのが平成元年でした。
秋も深まってきた一〇月三十日の明け方でした。
その最後の息を引き取る間際、もう殆んど意識もなくした親父の手を握って私は語りかけました。
「お父さん、今みの源がこうしてあるのはみんなお父さんのおかげです。これからも兄弟力を合わせて頑張っていきます。お母さんのことも決して放っておきません。百々代ともども孝行をつくします。お父さんから教えてもろた商人道は立派に継いでいきますよって安心しとくれやす」
聞こえたかどうか、返事はありませんでしたがそのあとまもなく親父は息を引き取りました。
七十九歳でした。
そんな最後の親父との約束を反古にしてしまったんです。
もう十年長生きしていてくれたらあのバブルの時勢にのみこまれた私を叱り飛ばしてくれ、みの源を守ってくれたでしょうに。
そして七年後母も親父のあとを追いました。
いつの日も夫に従い、子供を案じ、苦労の中でも気丈さと明るさを持ちつづけてきた母でした。
「憂きことの、なおこの上に積もれかし、限りある身の力ためさん」
これは母が若いときから人生の指針にしてきた、いわば母にとっての応援歌でした。