ある日の夕刻に花登氏から電話がかかってきました。「悪いけど今から家へ来てくれへんか、仕事手伝うてほしいねん」
急いで豊中の自宅へ行くと、書斎の机の上に原稿用紙が何枚かづつ束になってならんでいます。
「どれでもええわ、好きなやつあと続けてほしいねん」
見ると「番頭はん・・・」「やりくり・・」など3‐4本がいづれも途中まで書いてある。
「どれでもええいわれても・・」
「とりあえず読んでみて、これならあとの話が続けられそうやというのを引き受けてくれたらええわ。これみんな明日締め切りやねん」
「はあ、わかりました」
とりあえず原稿を読み始めるんですが、速さにまかせて一気に書いた原稿ですからその読みづらいこと、なんとか判読して「わかりました、番頭はんにします」と書きはじめます。
「番頭はんと丁稚どん」は毎日放送テレビがOTVから朝日放送との2局に分かれた直後の昭和34年にスタートしたコメディーで、放送開始直後から爆発的な人気を博し、視聴率は常に30%、最高視聴率はなんと60%を超えた、今では考えられない、言うならば「お化け番組」でした。
番頭はん(芦屋雁の助)と丁稚どん(茶川一郎、芦屋小雁、大村崑)達が、船場の「七ふく堂」(スポンサーが七ふく製薬でしたから)という薬問屋を舞台に繰り広げる笑いと、一寸した人情味のからんだ、典型的な上方喜劇でしたが、なんと行っても当時売り出しのこの四人のコメディアンのキャラクターを存分に発揮させた花登氏の台本と演出が大ヒットの大きな原因でした。