ダンデリオン・フラッフです。
今日は人の不幸に対しての反応を書いてみます。
人の不幸を笑ったり、何故かほっと胸を撫で下ろしたり、はたまた喜ぶ方の姿をこの人生の中で
何回かお目にかかっています。
その心理は、当時の私には全く理解できないものでした。
どんな嫌いな人でも涙を見て良かったと思った事は、現在まで一度も無かったからです。
でも、こうして心理学やスピリチュアルを学ぶことにより、少しだけ分かった気がします。
人は、殆どの人が恐怖を抱えて生きています。
スピリチュアルや心理学など目に見えなく、触れるものでもありませんから、一般的には不確かなもの、バーチャル的なものなのでしょう。
しかし、私は幼少の頃から皆さんとは逆の感覚がありました。
私は机や壁をやたら触れる癖がありました。
何となく、現実に存在するものに現実感が無いので、今でも物体を触って確認するようなところがあります。
霊やエネルギーは有ると思うのにです。
後にこの感覚は師のヘンリーに指摘されたのですが・・・
でも、実際そうなんです。
現実の物っていつか無くなります。机も壁も永遠ではありません。
お金も地位も、仕事も、家族も永遠ではないのです。
ですから会社では地位を争い、奪う事により失った人を笑って優越感に浸る。
しかし、それもいつ失うかわからないから貪るように、自分を確立させるようなものを追い求める。
誰かが失えば、それは巡ってくるから、今度は自分だと喜ぶ。
怖いんでしょうね。
生きていくそのものは、すごく不安定の中に成り立っています。
現実と思うものは特に不安定です。
それから、逆に魂は永遠です。
そして自分がやってきたことは自分に刻しまれています。自分には嘘はつけません。
目撃者でもあります。実行犯でもあります。計画者でもあります。
自分の人生は自分でコントロールしています。
人は恐怖ゆえに人を傷つけたり、つい欲望に負けたり、多かれ少なかれ汚点と思われる経験もあるでしょう。
その汚点が、自分のコンプレックスに繋がっていたりすることも少なくありません。
ですから、また恐怖を生むわけです。
でも、本当は誰かが失脚したら必ずしも自分が幸せになれるなんてこと、あまり無いですよね。
恐怖は本当に人の生き方をおかしく捻じ曲げてしまいます。
恐怖の内容も色々だと思いますが、この恐怖によるブロックが、新たな不幸を生みます。
そして大切なものが見えません。
私は”星の王子様”を愛読書として、娘にも何度も読み聞かせています。
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
本当に大切なものは目に見えないものの中にあります。
そしてそれが輝きを持てば、恐怖も無くなり自分に自信が出てくるでしょう。
そして人の不幸など見て笑う気持ちも無くなります。
「でも、人に感心されることが、なんで、そうおもしろいの?」
人に感心されたら、自分が偉くなった気持ちがして嬉しいでしょう。
でも砂の上の蟻のように、スルスルと落ちて行って、感心されるそのものが良い訳ではないと思います。
「花はよわいんだ。むじゃきなんだ。できるだけ心配のないようにしてるんだ。
トゲをじぶんたちの、おそろしい武器だと思ってるんだ。」
きっと私たちはそう思っているのでしょう。
でも実際は違いますね。棘で傷つけようとしても傷つかないものを持っているとどれだけ人生が楽しくなるか・・・・・
少し考えてみませんか?
心が傷ついてしまった時。
とても立ち直れない程、プライドがズタズタになった時。
どうか思い出してください。
一緒に乗り越えていきましょう。