Dandelion・Fluff です。
今日は、昨日の続きを書かせていただきます。
ハーブのきっかけと交差するのは、ヒーラーです。
それは、私の家の前に捨てられた瀕死の子猫がもたらしたもの。
そして、私の家で可愛がっていたフクロモモンガの女の子が教えてくれたもの。
そして、今も変わらず支えてくれる、その他のフクロモモンガ達。
ある夜、ずっと家の前で泣き続ける子猫の声。
寒い12月の事でした。
我が家には、その頃犬のウィッシュ君と猫のハッピーちゃん、そしてフクロモモンガ初代のキャル君、奥さんのミント、双子の子供リオ君とスピカ、先のページ登場の病を抱えたミモザとキャルとミントの次男次女の双子のフェリ君とディナという大家族でした。
ですから、これ以上抱えるのは難しく思い、朝を迎えました。
しかし、朝も泣き続ける子猫の声に、娘に連れてくる事を頼みました。何かしらの胸騒ぎ・・・
その子は、女の子で白に少しだけグレーかかったブチがありました。顔はマロ・・・眉毛がちょこんとある感じの、あまり美形ではない子。でも、我が家に入るなり、すんなりとリラックスし、少しキャットフードを食べました。まるで我が家のように・・・
身体は痩せこけてお腹がぴったりとくっついていて、見るも無残でした。
性格は愛らしく、健気で、優しく、モモンガとすんなり慣れて眠る事もありました。
取り敢えず寒いですし、我が家で体力を付けて里子へと思いました。
しかし、次の日ゼーゼーと呼吸困難、上手くご飯を食べられない状況になりました。
病院へ連れていくと、余命数日か1週間。
この子は、先天性ヘルニアの為に横隔膜が無く、全ての臓器が胸にあるのです。
ですから、ものも多くは食べられません。
手術は成功率も低く、私たちは無暗にメスを入れず、温かい部屋で余生を好きなように、そして愛に囲まれながら過ごさせようと決めました。
我が家の子、くるみちゃんと名付けました。
ほぼ同時期に、我が家のミントちゃんも、嘔吐し、食事が取れない状況になりました。
病院に行き、腫瘍が発覚。手術してみないと、助かるかどうかわからず、私は悩みました。
弱り切っている身体にメスを入れる事、治る可能性もわからない事。余命、いつ亡くなってもおかしくないと。小動物は変化も早いそうです。
しかし賭けることにしました。最悪でも、この先生にメスを入れていただくことにより、よりモモンガの生態を先生に知ってもらい、今後の子供たちを救う手立てになればと。
でも、癌は癒着が激しく、取ることは叶わなかったのです。
そんな頃、くるみは私の手を誘導して、身体に手を充てさせる行動が始まりました。
治れ!治れ!ご飯が食べられるように!呼吸が出来るように!と願いながら手を充てると、くるみは、不思議と安らかに眠ることが出来る様でした。
以前、行ったことのある動物病院が、スピリチュアル医療のみとなっていて、先生が多くの書籍を出している事を、ブログの友人から情報が入り、私はそこにミントを連れて行くことにしました。そのことにより、くるみの行動とヒーリングが重なりだすのです。先生は動物の言葉もわかる様で、その事を書籍に出しています。私も実は、モモンガとだけは会話出来ていたのです。笑われるでしょうが・・・
そこでは、エネルギー治療をして下さり、先生自ら手当されます。私は無意識に先生がエネルギーを送ると時に私も送っていた様で、私の顔をじっと見つめていました。
その日は、少しミントは食事を取ることが出来たのです。
慌てて私は、ヒーリング関係の本を購入し、見様見真似で始めました。
ミントはその度に、嘔吐が止まり少しは食事が出来ました。
くるみにせがまれてはヒーリングし、ミントが嘔吐すれば行う状況ですが、仕事も多忙を期していました。
ミントの2回目のヒーリング治療は、娘に行って貰いました。
前回から1週間ちょっとした頃でした。
でも、仕事から帰った時には、ミントは弱りきっていました。水も飲めない・・・
娘に治療内容等聞きましたが、特に何も感じなかった様で・・・
すぐさまヒーリングを行いました。
ミントは、大好きな生クリームを少し舐めました。少量の水と・・・
キャルや子供たちと今日は一緒にすべきと思い、一緒にして眠りました。
朝暗い時間に起きて立ち上がろうとした時、ふんわりしたものが足にありました。
慌てて見るとミントでした。
あまり動かない。私は理解しました。もう限界が来た事を。
抱き上げると私をじっと見ます。
「逝かないで!逝かないで!お願い!」
悲鳴に近い声で叫びました。
「ミント、大好きだよ!逝かないで!」
ミントは1回ウインクしました。それはイエスの時にやる動作。そして、
「ママ・・・お願い。ママが(ヒーリングを)やって。みんなにも。子供とキャルを助けてね。
ママがやるんだよ・・・」
そう、頭に降り注ぐようにメッセージが降りました。
「嫌!嫌!ミント、逝かないで!ママは何も出来なかった!ママは・・・ミント・・・逝かないで!」
そう叫ぶと、動かなかった身体を必至に起して、私の親指を噛みました。
大声で、それでも私は泣きました。
「嫌!嫌!嫌!」
もう一度ミントは私の親指を少し強めに二回噛みました。
「ママ・・・泣いちゃダメ・・・」
娘が起きて異変を理解したので、手渡しトイレに行って戻ると、娘の手の中で亡くなっていました。
もう少しで年が明ける12/29の事でした。
ミントは12/13に異変を感じてから16日後でした。
とてもよく頑張りました。
実はこの13日まで、ミモザは膿の為半身不随で治療していたのです。それが、少し動ける様になった矢先の事でした。
そしてキャルと話しました。キャルは、一番私と話が出来る、理解力のある子です。
でも、ミントの死を告げると、しばらくじっと私を見たまま動きません。
それから、やっと訴えてきたんです。
悲しい寂しい、ママを信じて必ず治るって思ったのに…etc.
何度も何度も謝りました。
抱きしめあって泣きました。
ひとしきり泣いてから、キャルに、子供達にはキャルから伝えて欲しいと言いましたが、最初は拒否するように、動きません。私の顔を見て、二回ずつまばたきするだけ(2回はNo!の意味)
今までミモザの治療で、何度も改善して来たのを知っているキャルは、まさかミントが死ぬことになるとは思わなかったのです。
キャルは子供たちと一晩中泣きながら部屋中暴れました。
そして私を責めました。
「ママがやれば良かったんだ!ママが治すべきなんだ!なんで治せなかったんだ!ミントはどこ?」
それからは、暫く落ち込んでいました。傍にはミモザが寄り添ってくれました。
私はそれらから、誓いました。
ミントの遺言に答えようと。
その日から約3年、試行錯誤しましたが、4年目の今年起業することになりました。
この決意をより固めた、くるみの続きはまたこの次に・・・