【はじめに】
先週の後半から日曜日にかけて強風が吹き荒れていました。多摩川も例外ではなく、非常に強い風が続き、鳥たちの活動も活発ではありませんでした。唯一、風の強い海を本拠としている鴎が自由気ままに飛び回っていました。それでも、風の一番強かった、この日曜日には空高く飛ぶ鳥はおらず、素人カメラマンの練習も散々でした。風に翻弄されながら撮影練習の努力を続けているうちに、しかし、風の吹き荒れる中の鴨たちの日常を見て考えることがありました。見づらい映像を少しお見せして、鴨の姿が思い起こさせたことについて、お話したいと思います。
【強風の多摩川】
冬の多摩川には強い風が拭きます。この素人カメラマンが練習場としている付近は川が南北に流れ、北風がそのままに吹き抜けていくところです。そこでこの強風ですから、日曜日までの数日はしっかりと持つことの出来る片手保持で撮影していました。振れが大きいのはそのためです。また、風切り音が凄いので音量にご注意ください。
1.「耐強風姿勢の水鳥 (約 1分)」
良く見かける水鳥が耐風姿勢でいるところです。
2. 「多摩川遡上の鴨集団 (約 2分)」
素人カメラマンが練習を始める頃に鴨たちが川を遡上して餌場へ行き、日が傾き始めた頃に下り戻るのが最近の日常です。本日の強風では流れの強い所を遡上できなかったのでしょう、そこを飛び越してきて着水し、川を餌場に向かい遡上していきます。
それぞれの体力に違いに応じて、集団はだんだんと延びていきます。そして休憩場所に到達できた鳥たち、諦めずに黙々と足を漕ぎ続ける鳥たち、そして、再挑戦を期して戦術的後退をする鳥たちと集団が別れていきます。
3. 「黙々と漕いで辿り着く鴨たち (約 1分)」
数は少なくなりましたが、荒波の中を黙々と漕いで行く鳥たち。最後に、休憩場所に先着していた鳥たちに合流します。
一旦戻った鳥たちも、この後、再挑戦をします。今日などは、もっと手近なところで食事をしてもよい様に思うのですが、余程でない限りは、日常を続けることに鳥たちは妥協しません。それは、野生の鳥たちにとっては、生きることと妥協をしないことが同じだからなのでしょう。この、目前で繰り広げられた鳥たちの日常に、ここ数日鬱々としていたカメラマンは少し考えることがありました。
【この数日考えていたこと】
「ヨブ記」をご存知でしょうか。旧約聖書の中でも古い時代に成立した読み物であると言われています。内容は、裕福で信仰心に篤い男が悪魔の企みで財産を失い、健康を失い、病に苦しむ中で友人や神と対話を続けていく話です。それらの対話の意味については、その信仰者ではない素人カメラマンには理解の範囲を超えていますが、聖書の中の一編である以上、神への帰依が示されることにより、身代も健康も回復して長寿を楽しむことになると結ばれます。神学的には深い内容を持つ読み物ですが、その原型は信仰に篤いものが身代も健康も失う話だったのではないかと想像します。聖書は信仰により願いが叶い、奇跡が起きる話にあふれていますが、逆に見れば、如何に信仰に篤くとも願いは叶わず、奇跡も起きないのが普通なのです。大事なのはその人の救済です。仏教における浄土信仰は、正にその救済が中心となります。つまり、信ずることによりその人は救われるのです。しかし、その時に願いが叶うとは限りません。願いを持つ人が救われるなら、その願いも叶うはずだと我々が考えているだけです。
この素人カメラマンが鬱々としていたのは、彼自身があるところで納得して救われても、大願、つまり舞踊家ウアケア佳奈子の踊りが人々の心に互いを大事に思う心、つまり愛、を呼び起こすようになること、そこへ一歩でも近付けなければ、彼が救済されようと意味がないからです。勿論、この方の後継者が到達されるなら、それでも良いのです。最近、彼は相当な苦心の末に「ヘイアラヴァ」を日本語で歌いました。まず、タヒチ語の歌詞を解析して日本語の歌詞の原案を出し、その案の行ごとに歌の中に入れ込むべく、文体の修正を行っていきます。一応の日本語歌詞ができれば、何度も歌ってみて、最終的な調整を行います。そのためには、タヒチ語の元歌をそのままに歌えなければなりません。経験のなかった素人ですから、それも時間のかかることですから、日本語アカペラの収録が一応出来るまでには相当な時間と労力が必要でした。同じ様な歌などありませんから、一つ毎に同じ様な繰り返しになります。勿論、ウアケアさんが踊られた歌に関しては日本語歌詞の原案は作成してありますから、まだましなところはあります。それでも、大変なことではあります。それで、どのくらいの数の曲を日本語で歌えるようにしておく必要があるのでしょうか。
半年ほど前の項「最近のカメラ練習と夢、感謝」において、踊りを披露する一つのスタイルを考えてみました。フロアの広い レストランの見やすい場所に2つのテーブルくらいの場所を開けてもらって、踊りを披露するのです。その様な企画に リスクをとって賛同してくださるお店があったとしましょう。一回の出演で 5曲ほどを踊り、その中で 2曲ほどを日本語で歌います。一日三回の出演とすれば 6曲。異なる演目で週三回とすれば、一月で 18曲。年を通して、四回くらいの インターバルを考えるなら、72曲になります。その中に多少の重複はあるものとすれば、50曲くらいの歌を日本語で歌えれば、暫くは、良さそうです。使い物になるかは別として、数として 50曲の日本語歌詞を用意できるのは何時になるでしょう? 例へ、数量的には出来たとしても、あの方がその様な ビジネスに リスクをとって乗ってくださるかは、尚更、分かりません。等などで、憂鬱だったのです。
そんな憂鬱を抱えて、強風の吹きすさぶ多摩川に カメラ練習に出かけた新年の 11日に、日常を継続するために全力を注いている鴨たちを見たのです。日常を継続することが生きることです。それなら、この素人カメラマンは彼自身の日常を迷いなく継続するのみです。彼自身のストックとして、50曲ほどは日本語歌詞について検討してありますから、何時になるかはさておき、最低限の目標には到達できるでしょう。そこへ到達するための力の源泉はウアケアさんの踊りへの愛、つまり舞踊家ウアケア佳奈子への愛なのです。ここに迷いはありません。
(吉祥天)
( 2024.12.3 グランドステージより)
【これからの予定】
既に何回か申し上げていることですが、アカペラシリーズの次の曲は「ワイピオ パエアエア」です。この曲は ハワイの部の最後の曲として ソロで踊られました。ワイピオとは ハワイ島の王朝が古くから置かれていた所で、どんな飢饉のときでも食料のあるところとして古来よく知られ、渇水で カロ (タロ) が生育しなかった年には、遠方から助けを求めてやってきたと言われています。この ワイピオの最盛期の王が ウミで、王は行政府を ヒロへ移し、ワイピオを王宮の後背地として残しました。この地は、その後のハワイ統一戦争の中で破壊され、サトウキビの プランテーション農業が行われる中で更に荒廃を重ねてきました。その ハワイ島の住民の故郷とも言える ワイピオの復興計画が興され、多くの方たちの愛が集まる中で、自然環境の復旧が進められてきました。その結果、川の流れは以前のように冷たく清らかになり、暫く一筋しかなかった双子の滝が以前のように二筋の落水を見せるようになりました。この様を歌った曲が「ワイピオ パエアエア」なのです。回復した自然を歌い、この谷には愛が溢れていると繰り返します。そのハワイ語の歌は素晴らしく、歌うと ワイピオの様が見えるようです。この曲をどの様に日本語で歌いましょうか。未だ定まりません。
不思議なことに、ところが、この曲を美しく踊られるはずの ウアケアさんの「ワイピオ パエアエア」を拝見することが出来ませんでした。そもそも、踊られなかったようなのです。でも、この曲には、限りなく、ウアケアさんの香りがします。そして歌うなら、この方の踊りが浮かび上がるような気がします。推測なのですが、この曲を ハワイアンズの演目として プロモートし、振り付けを行ったのはウアケアさんではないでしょうか。そう考えると、全ての辻褄が合います。如何にもこの方が踊られそうな曲です。「サンゴ礁の彼方」での ウアケアさんの (推測した) 立ち位置から考えると、ご自分で振り付けをした曲はご自分では踊られないのです。多分、振り付けした本人がよく踊れるのは当然だから、不公平になると思う心がお有りなのでしょう。振り付けに関しては、この方は大変に優れたものをお持ちです。ですから、この曲には ウアケアさんの香りがいっぱいですし、踊りを拝見していると、この方の踊りを重ね合わせたくなるのです。この曲について知りたくなったのは、それが原因だったのでしょう。
この後の曲としては、「ファカテレテレ」を予定しています。抜き出し動画を公開していますので、ご覧ください。
ウアケアさんの動きには調和があります。それは画面を停止すると良く分かるのですが、人の動きについて馴れた方がご覧になると直ぐに分かるようです。それが、この方の踊りを大きく、柔らかく、美しく見せます。この歌、しかし、少し不安があります。いえ、日本語歌詞そのものは何度も推敲を重ねたので基本的に変えようはないのですが、一般に流布している説明を見ていると、ハワイアンズでの解釈が、もしかすると、提示する日本語歌詞と合わないかも知れません。オリタヒチの ハンドモーションについては分かりませんので、心配ではあります。
【おわりに】
今回は、強風の吹き荒れた多摩川での鴨たちの様子が、鬱々とした不安感に囚われていた素人カメラマンを正気に戻した話でした。彼が今行っていることは、既に何度も申し上げているとおり、あの方の踊りへの愛に魂が揺さぶられた結果なのです。この魂の揺れが続く限りは、彼の日常として続けていこうと思います。気になったのは、この様な気の迷いは体調の変化によるものかも知れないということです。四毒抜きは日常ですが、生活が夜ふかしパターンになっているので、健康パターンに戻さなければなりません。

