「サンゴ礁の彼方 を歌い直したことについて」

                「原曲で歌う サンゴ礁の彼方 (Beyond the Reef)

             「アカペラで歌う サンゴ礁の彼方 (Beyond the Reef)

                   「ビヨンド ザ リーフ (Beyond the Reef)

                             「ポリネシアの歌

 

【はじめに】

 

「サンゴ礁の彼方」を歌い直しました。その理由をご説明するとともに、「テ ヒヴァ」に関する作業の状況をお知らせします。なお、歌い直しの理由の説明では、色々と理屈をこねていますが、素人カメラマンの言うことですから、その様にお受け止めくだされば幸いです。

 

 

 

 

【「サンゴ礁の彼方」を歌い直した理由】

 

「サンゴ礁の彼方」は最初の原曲を歌う試みを含めて、

 

  原曲弾き語り編

  原曲弾き語り編 再

  原曲弾き語り編 再々

 

と三回ほど歌いました。しかし、どうにも、一通りの満足が行くように歌うことができませんでした。もう少し言わせていただけば、もっと良くして行くための方向が見つかりませんでした。明らかな違和感は、最初の行「サンゴ礁の彼方、その海は暗く冷たい」を歌い出すところにありました。調子が強すぎるのかと思って弱く歌い出してみたりもしましたが、解決策になりません。考えあぐねているときに、ふと、「サンゴ礁の彼方」をある程度弾けるようになった頃の記憶が蘇りました。前項「原曲で歌う サンゴ礁の彼方 (Beyond the Reef)」に記載した楽譜より、初めの三行を抜き出します。

 

 

この曲の弾き語りを試みる以前は、「青いレイ (Blue Lei)」しか弾いたことがありませんでしたから、楽譜を見ても気が付かなかったのですが、実際に弾いてみますと、独特の浮揚感が感じられます。しかし、最初は弾く練習に夢中で、その後は、ピアノに合わせて歌うことに気持ちは一杯となり、この感覚は忘れ去られていました。歌い方が判らなくなったときに、この時の浮揚感、或いは揺動感が思い出されたのでした。これは、リズム

 

の繰り返しから出るものです。まるで、サンゴ礁の外にある太平洋の大きな波に乗っているかのようです。付点四分音符で勢い良く上がっていき、八分音符の所で頂点に達し、それからゆっくりと下っていく感じですね。このリズムが要所にありますから、海を眺めながら愛する人を思い、花束を捧げる人たちの姿があり、彼等の前には休みなく揺れ続ける波がある情景が思い浮かびます。ただし、外洋であっても、波の繰り返しは単純ではありません。大きく揚がって降って、その間にも小さな上り下りがあり、全体として波のリズムを作り出しています。そうすると、一行目で大きな上昇下降が来て、小さな揚動が続き、二行目で、以前ほどではないにしても、はっきりとした上昇下降が来て、そして、小さな陽動が続く。それらは、三行目から再び繰り返す、ということになりましょうか。

 

楽譜は四拍子ですが、二拍子ずつで、一小節を二拍で捉えるなら、楽譜の各行の最初の小節は「弱ー強」のリズムを作り出していくことになります。これを楽譜全体に敷衍するなら、全音以外の小節は「弱ー強」で歌い、全音の小節は波のゆっくりした下降に対応するとして、静かに伸ばせば良いということになります。歌う時の基本的な方針はこれで定まりました。

 

 

第 17小節から始まる二行が二回歌われますが、最初は、それまでの行と同じ感覚で歌い、二回目では前向きの感覚で歌うことになります。なぜなら、最初に歌った後で、以下の様に「いつの日か、分かるの、彼は戻ってくると」と受けられていますから。

 

以上のように考えますと、素人カメラマンにとっての「サンゴ礁の彼方」の歌い方はほぼ決まりました。

 

この様なとらえ方をして歌うのは初めての経験でしたので、実際に歌ってみますと、弱くすべきところを弱く歌うことがとても難しく、聞き直してみると、思ったようには揺動感が出せていません。それも素人カメラマンの現在の力量の全てですから仕方がありません。何度も繰り返して歌っていく内にもう少ししっくりとして行くのではないかと思います。

 

それにしても、最初は、この歌はサンゴ礁をテーマにしていると言うだけで、ポリネシアの歌とは必ずしも言えないのではないかと思っていたのです。しかし、歌い方を考えてくるに従い、太平洋の揺動を繰り返す波が歌の背景にあることが思い起こされ、考えを改めました。このようなことは、既に他のどなたかが議論されて居られるのでしょうが、他の論評や日本語訳を見てしまうと考え方が引きずられてしまいますので、この素人カメラマンは存じ上げません。

 

なお、「いつの日か、分かるの、彼は戻ってくると」は少し意味の取りにくい文になっています。英語は、「Some day, I know, he will come back again to me」で、英語の説明性から、「I know that he will come back again to me some day」と分かります。日本語は情景描写に傾いた言語ですので、先の文は「いつの日か分かる。彼は戻ってくると」とも取ることができます。並べ替えれば、「彼が戻ってくることは、いつか分かる」です。これは言葉の感じを優先したために起きたことで、日本語訳を考えた当初から気にかかっていましたので、ここに付記させていただきました。(8/13  日本語の意味は「分かっている。いつの日か、彼は戻ってくると」です。)

 

 

 

 

【「テ ヒヴァ」のために : サモア語、そして トケラウ語」】

 

さて「テ ヒヴァ」です。この歌は トケラウ語で書かれていること、そして、この言葉が サモア語と同種の言語であることは既に何度もご紹介差し上げました。例えば、近くでは「多摩川での カメラ練習 (令和 8年 7月 22日)、現状と予定」にご説明いたしました。しかし、なかなか取りかかれません。

 

何となく調べてまいりますと、トケラウ語、サモア語、フィジー語、未だ経験はありませんが、トンガ語は ポリネシア諸語の中で一つのグループを作り、タヒチ語、ハワイ語、マオリ語の グループと一つの対照をなしていることが分かりました。第一のグループは メラネシアの影響を強く受けているためか、かなり複雑な文法構造を持つように思われます。例えば、サモア語で「女性が魚を食べました」は次のように書けます。

 

 Sa  ‘ai  e  le  teine  le  i‘a (sa 過去,  ‘ai 食べる, e 主体, le 冠詞, teine 女性, i‘a 魚)

 

同じことを タヒチ語で言えば、多分、以下のように書きます。

 

 ‘I   ‘ai  te vahine  ‘i  i‘a (‘i 過去,  ‘ai 食べる, te 冠詞, vahine 女性, ‘i 目的格, i‘a 魚)

 

動詞「食べる」で「〜が〜を食べる」という意味を表すのに、サモア語では主体を「e  le  teine (女性が)」と書き、タヒチ語では対象を「 ‘i  i‘a (魚を)」と書きます。もちろん、日本語では主体も対象も「て に を は」で区別します。ですから、単語の類似度はさておけば、日本語とサモア語くらいに、サモア語とタヒチ語は違うということになります。ちなみに、サモア語で次のような文があったとしましょう。

 

 Sa  ‘ai  le  teine

 

これは「女性が食べた」とも「女性が食べられた」とも解釈できるのだそうです。二つの解釈があるという点が重要です。文法的には二つとも許されるということです。文法自体が変化するのには大変な時間がかかりますから、能動形と受動形の区別が無視される新たな文法要素が周囲から入ってきたのでしょう。この様な言い方は、ウィキペディアによれば、トンガ語の他に、 インドや オーストラリア先住民の間にあるのだそうです。ウィキにはありませんでしたが、多分、トンガの隣のフィジーで話される フィジー語も同じです。

 

このようなことを見ていくと、トケラウ語とサモア語の区別どころではなく、今後の歌詞解析のためにも、サモア語とはどの様な言語なのかを改めて理解しておかなければならなくなりました。そこで、サモア語の辞書としては定評のある G.B. Milner の「 Samoan Dictionary 」の前文の文法説明を読んでいるところです。辞書としては古い、宣教師 G. Pratt の「A Grammar and Dictionary of the Samoan Language」には簡単な文法があり、それで文法はそれなりに理解したつもりでは居たのですが、それはかなり表層的な理解であったようです。

 

文法の十分な理解には随分と時間がかかります。ですから、「テ ヒヴァ」に何時取りかかれるのかは、いつ見切り発進をするかの問題です。「サンゴ礁の彼方」で悩んだ後は、「テ ヒヴァ」で気持ちを晴らしたいですね。

 

 

 

 

【おわりに】

 

「サンゴ礁の彼方」を何度も歌い直してきた顛末と「テ ヒヴァ」への進捗状況についてご説明申し上げました。元々、自分で歌うということはしてこなかったのですが、素人カメラマンとして ウアケアさんの踊りを追いかけてくると、何を踊って居られるのか、どんなことを表現しようとされているのか等が気になって、歌詞の解析を初めたのです。しかし、解析して日本語化する試みには他にも数多くあるようですが、一番重要なことはこの方の踊りに合わせることができることなのです。踊っていただくことは、ほぼ、あり得ませんから、現在のような形で、動画に合わせて歌うことになります。そうすると、この辺で良いのではないかとは、簡単には、諦められなくなります。特に、「どう?」という問いかけがあったように思われる「サンゴ礁の彼方」では。

 

<私は送る 寂しい心を>

サンライト カーニバル 2024.1.23 より