「アカペラで歌いました : ウイラニ、私の愛の歌声、ドゥザフラ」

           「「ドゥ ザ フラ 」: 日本語で歌うための拍についての考察

『マカラプア ~ プア カーネーション』日本語歌詞の訂正、そして語られな・・・

              「ウイラニ私のレイ : ウイラニ (U`ilani Kuʻu Lei)

             「私の愛の歌声 : クウ レオ アロハ (Ku'u Leo Aloha)

                   「フラしよう : ドゥ ザ フラ (Do the Hula)

                            「ポリネシアの歌

 

【はじめに】

 

これまで折りに触れて書いてきましたように、これまで案出してきた日本語歌詞の中から三曲、「ウイラニ」、「私の愛の歌声」、「ドゥ ザ フラ」を歌ってみました。「日本語で歌うポリネシアン」の本来の予定としては、しっかりとしたボーカルにギター、もしくはキーボードの伴奏で歌ってもらおうと考えています。しかし、ボーカルと伴奏者になっていただける方々を探すには時間がかかります。更に、日本語歌詞を実際に歌えるように修正するにも、曲によっては、相当な時間がかかります。それから、普通に歌えたつもりでも、聴いてみると修正が必要な場合もあるでしょう。ですから、歌い手と伴奏者が見つかった場合に、その方々に日本語歌詞をどの様に歌ってほしいかを、その都度、決めていたのでは、余計に時間がかかります。それで、日本語歌詞が歌われる時のイメージを、この素人カメラマンが作っておくことにしました。言ってみれば、下手くそアカペラシリーズです。何故そのようなことをするのかについては、別項でご説明いたします。

 

以下、それぞれの曲についての簡単な説明をいたします。

 

 

 

 

【アカペラの作成法】

 

アカペラに作成法もないものですが、ここでは完全なアカペラではなく、アカペラ風の収録にしましたので、その説明をします。最初は、手拍子だけの完全なアカペラでやってみました。「ドゥザフラ」等は拍子さえ合えば問題ありません。しかし、「ウイラニ」で、どうしてもメロディが出せないところが出てきました。演奏を聞きながらであればメロディを追えるのですが、アカペラではどうしても駄目でした。そこで、踊りの動画を TVディスプレイ上に出し、音をヘッドホンで聞き、それで手拍子をしながら歌うことにしました。ヘッドホンがあると自分の声が聞こえないので歌いづらいのですが、動画としては、歌と踊りの両方を確かめることができる利点もあります。

 

 

 

 

【ウイラニ】

 

歌った日本語歌詞は「ウイラニ (U`ilani)」にある以下のものです。

 

  Uʻilani
       by Lena Machado

 

1

 Uʻilani kuʻu lei               ウイラニ  わが レイ
 Kuʻu milimili ē               わが いと 愛(いと)しき子
 He pōkē pua mae ʻole ʻoe          褪せることない花束    あなた
 No nā kūpuna             祖父母への ために
 

2
 Kou uʻi ua ʻike ʻia             その たおやかさ  知られ
 Kō aloha ua hiʻipoi ʻia          あなたの 心 守られん
 Ke ʻala onaona kō kino           その 香り 芳しき  あなた
 Kaʻu e liʻa mau ai             われ つねに求めん
 

3
 Uʻilani e ō mai ʻoe           ウイラニ  とわに居られん
ʻ O ʻoe nō koʻu puni             あなたこそ  わが愛
 

4
 Uʻilani my own              ウイラニ わが子
 You were sent from heaven above   あなたは天の贈り物
 In my bosom I’ll caress you      私の胸にあやす   あなた
 With a lullaby             子守唄で

 

三節目が問題のところで、どうしても アカペラでは歌えませんでした。第三節以外、各行は四拍です。ハワイアンズでは、前の節の終わりを長く引き伸ばしているので分かりづらいですが、三節目はそれぞれ四拍の四行に分かれ、それぞれのタイミングは次のようになります。

 

 [ 一拍 ] ウイラニ

 とわに 居られん

 [ 一拍 ] あなたこそ

 わが愛

 

これは歌というよりは、詠唱ですから、リズムさえ取れていればメロディは何でも良いのかも知れません。

 

 

それから、収録後に気がついた問題点が二節目にあります。原歌詞では「あなたの体、その香りは芳しい」という意味になりましょうが、日本語の歌で「あなたの体」というように、「体」を直接に対象とすることは少ないと思えたので、「その香り 芳しき あなた」としました。ところが、フラでは「体」を表す ハンドモーションがあり、しかも、「ナニ (美しい) 」と「キノ (からだ) 」の ハンドモーションを踊り分ける方法を説明した動画まであるのです。とすれば、歌詞から「体」を外すわけには行きませんから、以下のように修正しようと思います。

 

2'
 Kou uʻi ua ʻike ʻia             その たおやかさ  知られ
 Kō aloha ua hiʻipoi ʻia          あなたの 心 守られん
 Ke ʻala onaona kō kino           その 香り 芳しき  からだ あなた
 Kaʻu e liʻa mau ai             われ つねに求めん

 

「貴方の体」と書くと、どうしても直接的すぎる気がしました。

 

(11/25  今までにも気がついていたはずなのですが、4節目の「私の胸にあやす   あなた」は「わが胸にあやす   あなた」です。)

 

 

歌は何度聞いても下手です。それは、ディスプレイ上の踊り手さん達の踊りが素晴らしいだけに、余計に気になります。しかし、ハワイアンズの方々は本当に素晴しく踊られますね。無音で拝見するとよく分かります。多くの方々が、ハワイアンズを去られた後のご活動が不明になってしまうのは、本当に私達にとっての損失だと思います。緑川さんの様に貴婦人としか表現できない方。ウアケアさんの様に奇跡的なご存在。箕川さんの様にお体の小ささを全く感じさせない方。「プア カーネーション」での ロングドレスのお姿は印象的でした。飾りのないロングドレスそのままを着こなして踊るのは、普通であっても、大変に難しいです。一つには、体の大きな線がそのままに出てくるからだと思いす。他にも多くの方々。振り返ると、短い三年間の中に多くの素晴らしい踊り手さんたちが舞台を去られています。しかも、ご年齢的には、今が華のはずです。何れかの場所で咲き誇られているでしょう。しかし、その盛りを拝見できないのが、私達にとって、とても不幸なことだと思うのです。

 

 

 

 

【私の愛の歌声 (で) 】

 

この曲と踊りは、YouTube上に アップされた 2024年の東京サマーランドと ハワイアンズの コラボで、あの方の踊りで拝見しました。それ以来、あの方の踊りと言えばこの曲を思い出しますし、「私の愛の歌声」と言えばあの方の踊りを思い出します。その場所で拝見していれば気が付かなかったのでしょうが、何度でも振り返りができる YT 動画ですと、その時の踊りは必ずしもあの方の思っていた通りにはならなかった感じがします。その心残りの感じが、尚更に、この曲への思いを深めたのです。しかし、作者の タトフィは良い声ですね。始めの時、彼の CDを バックにそのまま歌ってみましたら、その差に愕然としました。逆説的ではありますが、アカペラは下手の逃げ所です。

 

歌詞は「私の愛の歌声 (Ku'u Leo Aloha) :解析の試み (8/14)】から持ってきました。終結部は除いてあります。

 

 Kuʻu Leo Aloha
   by  Josh Tatofi, 2016

 

1
'Upuaʻe nei ka haliʻa alo  – ha       今蘇る 愛の      思 い
I kou nani i  ka  pō – nei         君が麗し き   のうの    夜

 Ahuwale ka ha – ʻalewa – e –         美しき 腰の     揺 れ

Me ke kai  e   holu mau ana         海の様  に 揺れ   続く

 

2
E naue mai i  kuʻu – leo  alo – ha      搖れて来て 私の愛の歌声で

Ke aloha e pili mau a –  i                     この愛は 在るいつも そ  こに

 

3

Hu – li nō ʻoe a kilohi mai  lā –       君は向き直り 見つめ       来る

Me kou mau maka onaona          君の   素敵な    その瞳で

E hoʻoni nei i ka pu – ʻuwa – i      今かき乱す この気   持ち      を

ʻIlihia   wale au        i kou nani       私は打た れる  君の  麗しさに  

 
2

E naue mai i  kuʻu – leo  alo – ha       搖れて来て 私の愛の歌声で

Ke aloha  e   pili mau ai            この愛は 在るいつも そ  こに

 

その項でも議論したように、繰り返し節である第二節が、いわゆる、この歌の サビになります。その他の節はそれを補強するための背景のようなものです。とても素敵ですが。

 

 

素人カメラマンの下手な歌を無視すれば、踊りは美しいですね。そして、この撮影が話題を呼んだことは想像できます。しかし、この歌は少人数、或いは一人で踊るのが最も美しいと思います。多人数だと、歌と踊りのアロハが平均化されてしまいます。多分、プロモーションの都合だったのでしょう。タトフィさんの公式ヴィデオではグループで踊っているのが多いですが、「プア キエレ」の PVでは、あの大変な振りをお一人が通して踊って居られ、とても印象的です。穿った言い方をすれば、その時は、それだけの力量の方たちを多数揃えることが難しかったのかも知れません。ハワイアンズの皆様であれば、十分に、この「私の愛の歌声」のヴィデオの様に美しい踊りがおできになります。だからでしょうか、ヴィデオ中でそれぞれの踊り手さんが アップになった時に、あれはあの人、これはこの人と、つい、思ってしまいます。ところで、今気がついたのですが、ここで踊って居られる方たちは タトフィの舞踊団というわけではなく、「Hula Halau 'O Kamuela」というフラの学校の生徒さんたちなのですね。日本にも日本校があるようです。この様な学校を卒業しないと、MMでは踊れないようです。こういう事を考えていると、フラ人口の多いハワイであっても、詩のアロハを伝える踊りは、そうは拝見できないのかも知れません。最高の「私の愛の歌声」はあの方に踊っていただきたいと思うのです。

 

さて、日本語歌詞について幾つか考えるべき点をお伝えしたいと思います。まず、第一節の三行目です。

 

  Ahuwale ka ha – ʻalewa – e –         美しき 腰の     揺 れ

 

この「ahuwale」は目立つとか、明らかなと言う意味の言葉です。「Ahu」には (神様などへの) 捧げものという意味がありますから、それが沢山となると、圧倒的なという感じにもなるのかも知れません。そうすると、目立つというよりは、きらびやかな、豪勢なと考えるほうが良いのかも知れません。何れにしても、良い言葉が思い浮かばなかったので、「美しい」としました。あるいは、「素晴らしい」という方が良かったのかも知れません。しかし、フラ経験の短い者にとっては、体を、或いは腰を素晴らしく揺らすというイメージは一寸受け入れがたいところが有りました。振りとの関係で直すべきかも知れません。ただし、原歌詞との対応という点では、それほど違っては居ないと思います。

 

後は日本語の歌詞の歌い方の問題です。まず、第一節の四行目。


 I kou nani i  ka  pō – nei         君が麗し き   のうの    夜

 

一拍で「君が麗し」と歌うので、発声の力量が問われます。

 

更に、第三節の三行目と四行目。

 

 E hoʻoni nei i ka pu – ʻuwa – i      今かき乱す この気   持ち      を

 ʻIlihia   wale au        i kou nani       私は打た れる  君の  麗しさに  

 

一つには、三行目の内容は一行目と二行目を修飾しているのに、日本語では分からなくなっている点です。原語では「e hoʻoni nei」と関係節における動詞マーカーの「e」で始まっているので、この行より以前を修飾していることが感じ取れると思います。それを正確に反映するなら、

 

 E hoʻoni nei i ka pu – ʻuwa – i      それは 今かき乱す この気   持ち      を

 

とすべきかも知れません。しかし、これは英語的な表現であり、自然な日本語として歌えるか自信がありません。古語的に「そが今かき乱さん」とすれば歌えそうですが、他とのバランスが変わります。もう一つには、四行目の「私は打た れる」の発声の仕方があります。ハワイ語のリズムの中に日本語を押し込むので、難しいですね。ここは歌い手さんの力量でカバーして頂くより他ありません。

 

 

 

 

【ドゥ ザ フラ】

 

作者 Don McDiarmid による原歌詞「Do The Hula」に対して様々な考察を行い、最終的な日本語歌詞は「「ドゥ ザ フラ 」: 日本語で歌うための拍についての考察」より持ってきました。歌われている部分は以下です。節分け、或いは行のグループ分けは、その項の議論に基づきます。

 

1

 フラ     しよう、         何か   言いたい   なら    ね
 それ  だけよ
 分かるわ、    島      巡りが         楽しいっ    てさ
 踊り       始めたら
 

2
 お月さんは  上に       そう   高く
 フムフム  ヌクヌク   泳ぎ    行く
 [まるで] 男の     子      [みな]  急いで   る
 [そう]  茶色の   可愛い娘   [小さな] 草葺      小屋
 フラしよう、      貴方    囁くなら   愛してる って
 それが  やること
 

3
 花は   摘むほど   花が   咲く   いつも ね
 そんな  トロピカルな  とこ
 銀色の   砂浜を  歩く  とき
 言葉は   いらない   ただ  手を    使う
 フラ  しよう、                  さあ 貴方の    ダンス
 

2'
             貴方    囁くなら   愛してる って
 それが  やること
 

3
 花は   摘むほど   花が   咲く   いつも ね
 そんな  トロピカルな  とこ
 銀色の   砂浜を  歩く  とき
 言葉は   いらない   ただ  手を    使う
 フラ  しよう、                  さあ 貴方の    ダンス

 

この歌詞は意味の上では3つの (重複する) グループに分けられ、ハワイアンズでは上の様に最後のグループを繰り返してから、(ここでは省略した) 終結部に行って終わります。上の歌詞では、第二節目の最後の二行が第二のグループと最後のグループとで重複している部分です。前項 で導入した、第二節の修飾的挿入句 [まるで] 、 [みな] 、[そう]  、[小さな] などが適切に発声できれば、他に難しい所はありません。とにかく、歯切れよく発声できることが大事です。

 

 

声を出し慣れていれば簡単で、そうでなければ、頭では分かっていても歌えない歌です。一人で歌うなら、練習しかありません。リズム的に歌えても、挿入句と他の部分の区別を発声的に付けないと、結局は何を言っているのか分からなくなります。上の素人カメラマンの場合が正にそうです。複数人で歌うなら、修飾的挿入句を本当に合いの手にしてしまうのも手です。或いは、その方が挿入句の言葉が分かり易くなるかも知れません。

 

しかし、ここでも感じたのですが、ハワイアンズの皆さん、本当に上手いですね。ハンドモーションの意味が分かっているので、細かい動きが連続しても、一糸乱れずに踊っていらっしゃるのでしょう。通常のショウでこれ程のバックダンサーを揃えるのは不可能かと思います。今まで、撮影していて、その様に感じたことはありませんでした。この素人カメラマンは三年間の経験のかなりを無駄にしていたように思います。撮影していれば、現場の感覚のかなりは捨ててしまうことになります。もっとも、カメラを持たずに舞台を注視していたからと言っても、それを感じ取るのは難しいかも知れません。そして、舞台が終われば、記憶は消えていきます。他の方の撮影した映像を見ても、自分の貴重な経験の代替にはなりません。そう考えると、自分の経験を映像として記録しているカメラマンは恵まれていると言えば、言えるのかも知れません。結論は出ませんね。彼に関する限りは済んだことです。

 

ただ繰り返し思うのは、この様な素晴らしい踊りを実現された方々が、将来、どこで活躍されるのかということです。我々とは別の世界で活躍される、選ばれた方々も居られるでしょうが、ほとんどの方々はそうはならないでしょうね。選ばれた方々にしても、そう長く、そこで活躍できるとは限りません。その後を考えれば、やはり同じことのような気がします。公式に認められたフラ学校が沢山あれば、そこで必要とされるでしょうし、沢山のパブや、レストラン、喫茶店などでフラが踊られるなら、そこでも必要とされるでしょう。それは、結局は、その国の文化なのです。ハワイやタヒチの現状は分かりませんが、少なくとも日本では、歌舞伎や文禄の維持さえも問題視されるようになってきています。これは文化の衰退です。それでは日本のポリネシアンはどうなるのでしょうか。一つ言えることはあります。特別な世界で演じられるポリネシアンは芸術にはなるかも知れませんが、芸能にはなりえません。芸能とは庶民が作るものだからです。お金があれば芸術は育成できますが、庶民以外が芸能を作ることはできません。歌舞伎にしても文禄にしても、庶民が離れれば芸能たり得ません。将来の芸能の起爆剤となるべく、お金によって保存された芸術になるのです。芸能こそが国の文化なのです。ポリネシアを除いて、日本ほどポリネシアンの盛んな国はないでしょう。そして、ポリネシアンの担い手となる多くの人材が育っています。しかし、日本のポリネシアンというものは今も明確ではありません。ましてや芸能の一端を担っているのかも分かりません。それは庶民に支えられていないからの様に思います。そこまで行けば、日本のポリネシアンに携わる方々の意識の問題になっていくのかも知れません。言えることがもう一つあります。もうお分かりのように、芸能とは庶民の懐具合に依るのです。そして、庶民の懐具合は決して庶民の責任ではありません。第一に庶民の懐具合を心配しなければならないものが存在しているはずなのです。それを忘れてはなりません。

 

 

 

 

【おわりに】

 

今まで書き溜めていた日本語歌詞を実際に歌ってみる「日本語で歌うポリネシアン」をそろりそろりと始めました。その一歩として、日本語歌詞のイメージを明らかにするために、素人カメラマン自身がアカペラで歌ってみました。曲がりくねった道を一人で歩いてみます。そこに必要なのは、しかし、強さだとは思いません。あの方の踊りへの愛なのでしょう。