「ポイ エ ( Poi E )の日本語歌詞案
                  「ポイ エ ( Poi E )」

 

【はじめに】

 

新年の 1月 15日より始まった グランド ステージ「Emau~100年へ、つなぐ笑顔~」の、最初のカヒコを一曲目とすれば、十曲目の「ポイ エ  ( Poi E ) 」です。これは ンゴイ  ペファイランギ (Ngoi Pewhairangi) による歌詞と マウイ  ダルヴァニウス  プライム (Maui Dalvanius Prime)  による曲からできている、ポイを回しながら歌う曲です。歌詞自体は容易に見つけることができ、そこから、ハワイアンズで歌われている歌詞も特定できます。ですから、残る課題は日本語歌詞の案出であると思っていました。ところが、今まで軽く読み飛ばしていたブログページから、この歌の深い背景が分かってきたのです。そして、この歌には、マオリの若い世代へのメッセージが込められていて、そこを通して、「マオリであるということはどういう事だったのか」が見えてきます。

 

この様なことから、以下では、最初に、 YT チャンネルに上げられていた 歌詞 [2]を紹介し、そこから、ハワイアンズで歌われている歌詞を特定します。その後で、「ポイ エ」に捧げられた ブログ ページ [5]を、日本語に翻訳しながら、紹介していきたいと思います。

 

( 7/11  歌詞の解析と日本語歌詞の案出については「ポイ エ ( Poi E )の日本語歌詞案」をご覧ください。)

 

 

 

 

【「ポイ エ」の歌詞】

 

「ポイ エ」の歌詞が提供されている YT 動画には、歌詞 [1]歌詞 [2]歌詞 [3]  の三つが簡単に見つかります。その中から、歌詞が標準的な マオリ語で表されている、歌詞 [2] にあるものを抜き出します。歌詞中の節番号は便宜上付けました。

 

 

    Poi E

      performed by  Pātea Māori Club

      lyrics            by   Ngoi Pewhairangi
      music           by   Dalvanius Prime
                          1982

 1
 Te poi patua
 Taku poi patua
 Kia rite pāpara patua
 Taku poi e

 2
 E rere rā e taku poi porotiti
 Tītahataha rā whakararuraru e
 Porotaka taka rā poro hurihuri mai
 Rite tonu ki te tīwaiwaka e

 3
 Ka parepare rā pīoioi a
 Whakahekeheke e ki a korikori e
 Piki whakarunga rā mā muinga mai a
 Taku poi porotiti taku poie

 4
 (Poi e) Whakatata mai 

 (Poi e) Kaua he rerekē
 (Poi e) Kia piri mai ki au 

 (Poi e) Awhi mai rā
 (Poi e) Tāpeka tia mai 

 (Poi e) Ō tāua aroha
 (Poi e) Paiheretia rā, 

 4'

 Poi taku poi e

 5
 Rere atu taku poi
 Tītahataha rā
 Whakarunga whakararo
 Taku poi e!

 

 

この音源では、1 2 3 4 5 2 3 4 4 4' 4' と歌っています。ちなみに、4'は 4節の最後の一行「 Poi taku poi e 」です。この歌詞は標準的な マオリ語で書かれているので、歌詞の解析を行う場合の原歌詞に予定しています。これ以外の歌詞では、歌う調子に合わせた表記がされている場合があります。これについては、後ほど、ブログページ [5] を紹介する時に触れます。

 

ハワイアンズで使われている歌詞は 1 2 3 4 5 4 4' 4' 5 となります。

 

さて、本項では歌詞の解析は行いませんが、以下に引用する記述では、歌詞の英語による解説、もしくは、解釈が出てきますので、歌詞の中で、1節についてかんたんに触れておきましょう。この節は、最初に女性リーダーが歌い始める、どちらかと言えば詠唱に近い節です。

 

 1
 Te poi patua
 Taku poi patua
 Kia rite pāpara patua
 Taku poi e

 

「Poi」は「ポイ」のことですが、「patua」は「patu (叩く) 」の受け身形で「叩かれる」です。そうすると、一行目は「ポイは叩かれる」つまり「ポイを叩く」という意味になります。「Taku」は「私の」ですから、二行目は「私のポイを叩く」となります。「Kia rite」は「〜の様に」で、「pāpara」は「父さん」ですから、三行目と四行目とで、「父さんのように叩こう、私のポイを」ということになろうかと思います。そうすると、以下のような日本語歌詞になるかと思います。ただし、「私のポイ」という言葉は少し長いので「このポイ」とします。

 

 1

 ポイを叩こう

 このポイを叩こう

 父さんのように叩こう

 このポイを ね

 

ここから想像がつくように、「ポイ エ」は、ポイを叩いたり、回したりするときの様子を現す言葉からなっていて、多くのポイダンスの歌のようにわかりやすい内容かと想像してしまうのですが、実は、深い意味を含んだ歌として作られたものなのです。ただし、この 1節の書き方には、以下の形もあります。意味としては、大きくは変わりません。動詞と主語の順序関係から言うと、こちらの方が標準マオリ語かも知れません。

 

 Te poi !           ポイよ!

 Patua taku poi      このポイを叩こう

 Patua kia rite pāpara    父さんのように叩こう

 Patua taku poi e      このポイを叩こう よ

 

 

 

 

【一つの、飛んでいる解釈】

 

Facebook [4] に、「ポイ エ」の 2節、 3節に対する解釈が掲載されていましたので、「ポイ エ」がどの様な見方をされるのかを知るのによいかと思い、引用します。参考のために、グーグル日本語訳で日本語にしたものも付けます。

 

 2

 E rere rā  e,   taku poi porotiti

    take flight,   My sweet, young fledgling

    飛び立とう、私の愛しい若い雛

 

 tītahataha rā,  whakararuraru e

    to distant shores,   which will challenge you

    遠くの海岸へ、それは貴方への挑戦

 

 porotakataka rā,  poro hurihuri mai

    and should you ever doubt yourself,   look deep inside

    自分を疑うなら、心の奥底を見つめよう

 

 rite tonu ki te tīwaiwaka e

    and dance with the joy of a fantail, 

    そして、扇鳥の喜びで踊ろう

 

 3

 ka parepare rā,   pīoioi rā

    bobbing an weaving,   shaking and swaying

    揺れて、揺れて、揺れて


 whakahekeheke e,   kia korikori e
    spinning and twirling,   moving and grooving

    回って回って、動いてきめる


 piki whakarunga rā,   māminga mai rā
    moonwalking to the heavens,   fanning out your tail to the world

    ムーンウォークで天へ、尾を世界へ広げながら


 taku poi porotiti,   taku poi e
    my one and only,   sweet, precious child

    たった一人の、愛しい、大切な子よ


 

「 Taku poi porotiti 」の意味は「くるくる回る私のポイ」ですが、それが「My sweet, young fledgling (私の可愛い、若い雛) 」となっている時点で、「ポイ」に対する解釈が、かなり踏み込んだものになっていることが分かります。なので、この解釈は、本来の「ポイ エ」から、かなり逸脱しているように見えます。が、実は、そうでもないのです。

 

 

 

 

「以下、文献 [5] のブログページ から引用して、その和訳をご紹介します。ただし、本項の目的には必要のないと思われる詳細な記述には、省略したところもありますし、わかりやすく書き直したところもあります。詳しくは、文献 [5] をご覧ください。節立ては、この文献に従います。」

 

 

 

【 Poi E 】

             Folksong.org.nz: John Archer’s repository of NZ folk

 

     Poi-E
       lyrics by Ngoi Pewhairangi
       music by Dalvanius Prime
       1982

 

2002年10月3日、私達全ては、ダルヴァニウス氏のご逝去を深く悲しみました。氏はパテア コミュニティ、マオリ文化、そして私たちの国民意識に多大な貢献をされました。「ポイ エ」は、混乱に陥った都会の若いマオリたちに勇気と光明を与える、彼の手段でした。
 

(導入 - 主席の女性リーダーによる詠唱)

(リーダー 3 ハカ、もしくは歌の頭出し)

 

 TE POI  !
 PATUA TAKU POI
 PATUA KIA RITE PA-PARA
 PATUA TAKU POI E !

 E rere ra e taku poi poro-titi
 Ti -taha-taha ra whaka-raru-raru e
 Poro-taka taka ra poro hurihuri mai
 Rite tonu ki te ti-wai-waka e

 Ka pare pare ra pī-o-o-i-o-i (pioioi) a
 Whaka-heke-heke e ki a kori kori e
 Piki whaka-runga ra ma mui-nga mai a
 Taku poi poro-titi taku poi e

 Poi E  whaka-tata mai
 Poi E  kaua he rerekē
 Poi E  kia piri mai ki au
 Poi E- E awhi mai ra
 Poi E  tāpeka tia mai
 Poi E  o taua aroha
 Poi E  pai here tia ra
 POI...   TAKU POI E!

 

(無伴奏独唱の繰り返し:主席の女性リーダーによる詠唱)

 

 PATUA TAKU POI
 PATUA KIA RITE PA-PARA

 PATUA TAKU POI E !
 

(コーラスを再び、同じ順番.

 

 楽器は停止、通常はポイの打音.

 

 次にキーを変える:変えたキーでコーラス再び.

 

 歌の最後に:)

 POI...   TAKU POI E !   4回繰り返し
 

(ついで、歌の終わりに全員で詠唱:)


 RERE ATU TAKU POI TI TA' TAHA (titahataha) RA
 WHAKARUNGA WHAKARARO TAKU POI E!

 

 

3節の「pī-o-o-i-o-i 」は、マオリ語で書けば「pioioi」ですが、歌の中での発声に合わせて書いてあります。最後の節の「TI TA' TAHA RA」 も、マオリ語では「titahataha ra」ですが、歌の中での発声に合わせて書いてあります。

 

 

 

【女性の情愛であり護身の象徴でもあるポイ】

 

くるくる回るポイは、若い女性の情愛の象徴としてよく使われます。ポイは難しいですが、精力的に訓練すれば、危険から女性を守るものにもなります。英語での解釈は以下のようになります。(本項著者:参考のためにグーグル日本語翻訳も付けます。)

 

 

E rere ra e taku poi porotiti       Swing out rhythmically, my feelings

                    リズミカルに揺れる、私の気持ち

Tītahataha ra, whakararuraru e     lean out beside me, so deceptively.

                    怪しげに傍にに身を乗り出す

Porotakataka rā, poro hurihuri mai    Swing round and down, spin towards me

                    回って降りて、私の方に回ってくる

Rite tonu ki te tiwaiwaka e        just like a fantail.

                    まるで扇鳥のように


Ka parepare ra, pīoioi a           Swing to the side: swing to and fro

                    横に振って、前後に振って

Whakahekeheke, e kia korikori e      zoom down, wriggle,

                    ズームダウンして、くねくねして

Piki whakarunga ra, ma muinga mai a  climb up above, swarm around me

                    上に登って、周りに群がる

Taku poi porotiti, taku poi e!       my whirling emotions, my poi, Yeah!

                    渦巻く気持ち、私のポイ、Yeah!


Poi E, whakatata mai            Oh my feelings, draw near,

                    ああ、私の気持ち、近づいて

Poi E, kaua he rerekē            Oh my poi, don't go astray

                    ああ、私のポイ、迷わないで

Poi E, kia piri mai ki au            Oh my affections, stick to me

                    ああ、私の愛、寄り添って

Poi E, e awhi mai ra            Oh my instincts, take care of me

                    ああ、私のかみよ、私を守って

Poi E, tāpekatia mai.          Oh my emotions, be entwined around me.

                    ああ、私の気持ち、絡みついて


Poi E, ō tāua aroha             Oh poi, our love...

                    ああ、ポイ、私たちの愛


Poi E - paiheretia ra.           Oh poi ...binds.

                    ああ、ポイ…結ばれる

POI... TAKU POI, E!           Poi.... my poi, yeah!

                    ポイ……私のポイ、そう!

 

 

作詞の ンゴイ (ngoi) は、森の中を飛び回る「扇ビタキ (fantail) 」の様なポイを、パケハ (Pakeha) のコンクリートジャングルで、自分の道を探し回るマオリの若者に例えたと言います。木々や葉の間を飛び回らなければならない扇ビタキのように、マオリの若者はコンクリートと文化の両方が混在する高層ビルの間を飛び回りながら、アイデンティティを探し求めなければならないのですと。

 

【A display of the tail that gives the family its name, the fantail. This file is licensed under the Creative Commons Attribution 2.0 Generic license.】

 

 

 

 

【「Poi E」はどの様に書かれたか】


「ポイ エ」のコンセプトは、1982年に言語学家の ンゴイ ペファイランギ (Ngoi Pewhairangi) が、音楽家である マウイ ダルヴァニウス プライム (Maui Dalvanius Prime) に、若い世代が マオリ (Maori) であり、ニュージーランド人 (Kiwi) であることに誇りを持つにはどうするかと尋ねたところ、彼が、彼らが慣れ親しんだ媒体を通せば、彼らのものである言語と文化を伝えることができると答えたところから、生まれました。

ダルヴァニウスは、ウェリントン (Wellington) 工科大学で マオリ語を学ぶ合間、近くの ルアトリア (Ruatoria) で演奏をしていました。「ンゴイを訪ねて、意気投合したんだ」と彼は言った。「彼女は、『マオリ語を学ぶ唯一の方法は、寛大で優しい心をもって私と一緒に進むことだ』と言っていたよ。」

ンゴイの夫ベンは回想する。「1982年、マウイ ダルバニウス プライムが トコマル (Tokomaru) 湾の我が家にやって来ました。その日、私たちの人生は二度と同じではなくなると悟りました。妻ンゴイを見守っていました。彼女は教師であり、生徒は目を大きく開いて マオリ文化を学ぶことに情熱をもっていました。私は、昼も夜も、先生と生徒が、他を忘れ、仕事に没頭していたことを思い出します。」

ダルヴァニウスは週末滞在の予定でした。「ンゴイは数曲書きたいと言っていたけど、私は1日しか時間がないと言ったんだ。」ところが 4週間後に、彼は、ペファイランギと共同で書いたオペラの12曲を持って出発しました。プライムは ウクレレ(「曲は全部ウクレレで書くんだよ。」)とピアノを鳴らし、アレンジメントを練り上げました。「彼女は古くてガタガタのピアノを持っていたので、それでいくつか弾いてみたんだ。ところが、メロディーラインを歌うのと同じ速さで、彼女は歌詞を書くんだよ。ンゴイ ペファイランギとの仕事は祝福でした」

独学で、耳で音楽を学んだ ダルヴァニウスは、棒図表を使って曲を記譜ししました。「音符で記譜するのは面倒なんだ。そういうのは音楽家に頼むよ」

 

 注:「棒図表 (bar chart) 」の「 棒 (bar) 」とは、楽譜の小節を分ける縦棒のこと

   で、「棒図表」とは、音楽を小節の構成で表した図表のこと。

初日に彼らは「Poi E」、「Aku Raukura」、「Hei Konei Ra」を書き上げた。ダルヴァニウスは昔の(自分のグループの) Fascinations の曲をアレンジし、ペファイランギは歌詞を担当した。「私が曲をハミングすると、彼女は曲と全く同じ調子のマオリ語のフレーズを書いた。私がピアノで音符を鳴らすと、彼女はそれに合わせて短い単語や長い単語を書いたんだ。」

レコード会社は、パテア マオリ クラブ (Pātea Māori Club) による「Poi E」の演奏のレコード化を断った。「みんな、冗談だろう、こんなもの誰も聞かないと言ったんだ。」他方、ンゴイも、ディスコシンセの泡立つようなバックで録音された「Pot E」のデモを当初は拒否しました。

 

そこで、ダルヴァニウスは自身のレコード制作会社、 マウイ レコードを設立しました。パテア マオリ クラブが歌う「ポイ エ」を鮮やかにプロデュースしたこのレコードは大ヒットとなり、1984年にはニュージーランドのヒットチャートに22週間ランクインし、4週間1位を獲得しました。この曲は海外でも大ヒットとなり、ダルヴァニウスは パテア マオリ クラブを率いてロンドン パラディアム 、エディンバラ フェスティバル、ロイヤル コマンド パフォーマンスを含むツアーを行ないました。(劇場等は付録 1 参照)

 

 

 

【マオリ文化の市場を探る】

ダルヴァニウスは、「Poi E」はマオリ語の市場開拓を目的としていると考えた。次のように語った。

「私は ンゴイに、パテアで育った自分の個人的な経験を話したんだ。そこには、マオリやニュージーランド先住民の英雄がいなかった。」

「ンゴイに好きな歌手は誰かと尋ねると、 ペリー・コモとフランク・シナトラと答えたんだけど、私はモータウン、ビートルズ、ローリング・ストーンズの熱狂的なファンで、エルヴィスの音楽とジェームズ ディーンのポスターが溢れる家庭で育ったのだと告白したんです。そして、これらの歌手やスターたちに共通するものは何だと思うと尋ねたんです。私にとって、彼らのペルソナ全体 ― 事実もフィクションも ― は、完璧に練られたマーケティング戦略だったのです。」

「私たちは、そのマーケティング戦略を使って「Poi E」をデザインしました。都会の消費者をターゲットにした、計算された広報キャンペーンに加え、「Poi E」の強みは、私達の社会のルーツ、マオリ語とニュージーランド文化を推進することだったのです。彼女と私がこの世を去った後も、言語は、私たちの歌を通して、世代から世代へと生き続ける。」

「ンゴイが私に、自分の作品をどのように表現するか尋ねてきたことがありました。私は、地域のルーツと都会の影響の融合だと答えたんです。このサウンドは、地域の仕事が失われた時に人々が都市へと流れ込んだ結果生まれたのです。彼女も同意してくれました。」

 

 

 


【ミュージカル「Poi E」】

ダルヴァニウスの小さな町のマオリ社会が工場閉鎖によってどのような影響を受けたかを描いた歌は、ミュージカルへと発展しました。

ダルヴァニウスは再びこう語ります。「ミュージカルを書いた時、パテアを去った人々に何が起こるのか、都市部に出て生計を立てようとした時に、人々に何が起こるのかを描きたかったんだ。歌詞と翻訳を見ると、アイデンティティとマオリが自らの伝統を求める様子が全て描かれていたんです。」

ダルヴァニウスは、ワンガヌイ (Wanganui)とニュープリマス (New Plymouth) の間にある西海岸の小さな村、パテア (Patea)で生まれ育った。パテアは、巨大な冷凍工場に雇用を依存していました。(この工場「ザ ワークス」は1883年に開設され、輸出用の肉の缶詰を製造していた。肉の冷凍加工は1904年に開始された。)1982年に「ザ・ワークス」が閉鎖されると、社会は大きな混乱に陥り、若いマオリの人々は緊密で寛大な社会を離れ、仕事を求めて都市へと向かわざるを得なくなりました。

共同体の支えを失ったことに耐えられず、売春や麻薬に溺れて破滅に追い込まれた人々もいました。ミュージカル「ポイ エ」は、この物語と、パテア共同体がいかにしてこの問題に対処したかを描いています。

 

 

 

【マウイ  カーライル  ダルヴァニウス  プライム (Maui Carlyle Dalvanius Prime) 】

マウイ・カラワイ・パリマ(マウイ・カーライル・プライム)はパテアで生まれ育ち、7人の兄弟と4人の姉妹がいます。父親のエフライム (Ephraim) は冷凍作業員で、様々な楽器を演奏し、母親のジョセフィン (Josephine) は才能ある歌手でした。

幼少期はマオリ文化に対する無関心で、学校ではマオリ語を話すことが許されていませんでした。モルモン教徒として育った彼は、ハミルトン(Hamilton) の末日聖徒イエス キリスト カレッジ (the Latter Day Saints College) に通ったが、そこでの伝統音楽の授業にうんざりし、学校の教会のオルガンでロックンロールを演奏したために停学処分を受けました。

ペリー コモ (Perry Como)、インクスポッツ )Inkspots)、エルヴィス (Elvis)、そして後にビートルズ (the Beatles)、ローリング ストーンズ (Rolling Stones)、モータウン (Motown) といった音楽に溢れた家庭で育った若きマウイは、タラナキ (Taranaki) のダンスホール等で ビートルズ風のグループの歌手兼ミュージシャンとして、音楽のキャリアをスタートさせました。

1969年、彼は兄のエディ (Eddie) とティモシー (Timothy) 、そして妹のバルレッタ (Barletta) と共に「ザ ファシネーションズ (The Fascinations)」を結成し、ウェリントン (Wellington) のラジオ局 2ZB のタレント発掘コンテストで優勝しました。一時、ポリルア (Porirua) 出身のモルモン教徒の女性3人組「ザ・シェベルズ (Shevelles)」に参加しましたが、「ザ・ファシネーションズ」を再結成し、「ダルヴァニウス アンド ザ ファシネーションズ (Dalvanius and the Fascinations)」としてオーストラリア各地をツアーで回りました。

彼はオーストラリアで ソウル ミュージック風の曲を作曲していたところ、ニュージーランドに戻って、自身の文化的背景に基づいた作品を作るよう勧められたのです。こうして、彼はトゥイ テカ (Tui Teka) の「E Ipo」に対する新しいバージョンを制作するに至った。ところが、彼は「E Ipo」の素晴らしい歌詞に惹かれ、トゥイ テカに作者を訪ねて、それが、ンゴイ・ペファイランギ (Ngoi Pewhairangi) だと知ったのです。
 

 注:トゥマナコ  トゥイ  テカ (Tumanako Tui Teka) は、芸名のトゥイ ラトゥイまた

   はプリンス トゥイ テカで知られるマオリの歌手兼俳優。


そこで1982年、ルアトリア (Ruatoria) での公演中に、彼は近くのトコマル (Tokomaru) 湾に住む ンゴイ (Ngoi) を訪ね、二人は意気投合し、文化的に疎外された環境で育つ若い マオリたちに、先住民族としての マオリの英雄や象徴を伝える曲を書こうと考えました。

彼らの曲「Poi E」は1984年に大ヒットとなりました。ついで、ンゴイと ダルヴァニウスは、冷凍工場の閉鎖がパテアの人々にもたらした閉塞感、そして、ンゴイの歌が如何に彼らに インスピレーションを与えたかを描いた ミュージカルの制作に着手し、パテア マオリ クラブ (The Patea Maori Club) は1986年にこの ミュージカルを世界ツアーで披露しました。

1980年代後半まで、ダルヴァニウスは映画のサウンドトラックの作曲プロデュースを行い、マオリのラジオ放送局「アオテアロア ラジオ (Aotearoa Radio)」の設立にも協力しました。

ダルヴァニウスは、疎外された若いマオリを救うには、マオリ語と文化を広める必要があると考え、「ポイ エ」に関連した物語、アニメ映画、アクションドール、子供向けゲーム、衣類などを作成しました。

彼は、裁判や家庭内暴力に巻き込まれた若者のガイドとなり、彼らの職業訓練を支援し、更に、若い マオリに音楽業界のあらゆる側面を教える講座を主催したのでした。

1990年、東ベルリンの博物館で保存されたマオリの頭部(モコ モカイ、moko mokai)を見て以来、彼は海外からこれらの モコ モカイの返還運動の精力的な推進者となりました。

 注:モコモカイ (mokomokai) は、ニュージーランドの先住民であるマオリ族の頭部

   を保存したもので、顔にはタ モコ (tā moko) の入れ墨が施されている。19世紀

   初頭のマスケット銃戦争では、貴重な交易品となった。多くの モコ モカイは

   戦利品として家族や故郷から持ち去られた。

2001 年 9 月に私 (John H. Archer) が Dalvanius 氏に連絡を取り、Poi E の Web ページを作成する許可を求めたところ、次のような返信を受け取りました。

 

親愛なる ジョンさん、もちろん許可しますよ。ええ、ガンの恐怖など、本当に最悪な一年でしたが、今は最悪な時期を乗り越えて仕事に戻っています。私は、ンゴイと、そして彼女を通して、彼女の大叔母 トゥイニ ンガワイの、神から授かった並外れた才能に触れた多くの人々の一人です。プロジェクト、面白そうですね。おめでとうございます。

後に彼はメールで、2002年2月まで生きられないだろうと伝えてきました。でも、その時は死ぬにはあまりにも多くのことがあったのです。肺がんを患っていたにもかかわらず、彼は仕事に戻り、ンゴイ ペファイランギの歌集の制作を手伝い、モコ モカイ返還を目指して活動を続けました。2002年8月、彼はクリエイティブ ニュージーランドの マオリ部門であるテ ワカ トイから、「マオリ芸術へのリーダーシップと卓越した貢献」を称えられ、特別賞を受賞しました。

彼は2002年10月3日、ハウェラ (Hawera) でわずか54歳で亡くなりました。パテアのコミュニティ、マオリ文化遺産、そして私たちの国民的アイデンティティに多大な貢献を果たしたのです。

彼は他の家族と共に、パテアから南に数キロのヌクマル (Nukumaru)にある トゥタヒ (Tutahi)教会の墓地に埋葬されています。

 

 

 

【ンゴイ ペファイランギ ( Ngoi Pewhairangi ) 】

 

トコマル湾で ンゴインゴイ   ンガワイ (Ngoingoi Ngawai) として生まれ、親戚のもとでリンガトゥ (Ringatu) 信仰のもとで育てられました。

初等教育は トコマル湾先住民学校で受けました。母語はマオリ語でしたが、すぐに英語を習得しました。その後、1938年から1941年まで、ネーピア (Napier) のフカレレ マオリ女子学校 (Hukarere Mäori Girls School) に通いました。

卒業後はトコマル湾に戻り、叔母 トゥイニ  ンガワイ (Tuini Ngawai) の毛刈り作業員として働きました。また、この間、北島各地で数多くのホッケー/カパハカ (hockey/kapa haka) の大会に出場しました。

叔母 トゥイニ  ンガワイが1939年に戦時資金を集めるために設立した「テ  ホコウィトゥ  ア  トゥ (Te Hokowhitu-a-Tu ) 」コンサート  パーティーのメンバーでした。ンゴイはトゥイニから演奏、作曲、そしてリーダーシップの訓練を受け、後に多くの機会にグループの指導やリーダーを務めました。

1945年、彼女は トコマル湾の農場労働者 ベン  ペファイランギ (Ben Pewhairangi) と結婚しました。

1970年代、ンゴイは ギズボーン女子高校 (Gisborne Girls High School) でマオリ語とマオリ文化を教え、後にワイカト (Waikato) 大学の マオリ研究資格取得のための指導を始めました。人種、年齢、性別、職業に関わらず人々を動機づける彼女の才能はすぐに認められ、1977年にはトゥ  タンガタ (Tu Tangata) プログラムへの参加を依頼され、都市部で疎外された マオリの若者たちを救済しました。

1975年には、キュイゼネール  ロッド (Cuiseinaire rods) を用いてマオリ語を教える「テ  アタアランギ (Te Ataarangi)  テレビ」方式の開発に貢献しました。 1983年、彼女は熟練したマオリ族と太平洋諸島の織り手たちをトコマル湾に1週間集め、「アオテアロア  モアナ  ヌイ  ア  キワ  ウィーバーズ (the Aotearoa Moana Nui a Kiwa Weavers) 」を結成しました。

ンゴイはカパ  ハカ (kapa haka) コンテストの審査員として名を馳せ、しばしば審査員を任されました。「キア  カハ  ンガ  イウィ (Kia Kaha Nga Iwi) 」、「カ  ノホ  アウ (Ka Noho Au) 」、「ワカロンゴ (Whakarongo) 」など、多くの曲を作曲しました。彼女は、ダルヴァニウス  プライムのために書いた「ポイ  エ」など、多くの人々のために即興で作曲したことでも有名でした。

プリンス トゥイ テカ (Prince Tui Teka) が ルアトリア方面に住むミッシー (Missy) に求愛した際、ミッシーへの溢れる愛を歌えるよう、王子 (Prince) のために「エ  イポ (E Ipo) 」を作曲しました。

1985年、トコマル湾で ンゴイが亡くなったとき、彼女はマオリ語とマオリ文化の惜しみない発展と、パケハ (Pakeha) がマオリ語の存続を確かなものにする二文化国家という理想を掲げていたことから、尊敬を集めました。

ニュージーランド人名辞典に掲載されているタニア  カアイ (Taania Ka'ai) の記事を要約したものです。

 

 

文献 [5] のブログページ からの引用はここまでです。」

 

 

 

【おわりに】

 

ハワイアンズで上演された「ポイ ダンス」の曲は幾つか見てきましたが、この「ポイ エ」ほどに緊張感があり、調子の良いものは無かったように思います。気にはなっていたのですが、マオリの歌というのは、とても解析が難しい気がして遠慮していました。しかし、演目として面白いのであれば、歌詞について考えて見ざるを得ませんので、ようやっと、歌詞の確定作業から初めましたところ、以前から気になっていたサイト「folksong.org.nz」の記事に惹きつけられてしまいました。そして、このサイトの Webmaster である John H. Archer 氏の功績にも頭を垂れるところがあります。

 

自分自身では、恐れもなく、「日本の ポリネシアン」を目指すために、ポリネシアの歌の歌詞の解析を行っていくと主張しました。この事自体は間違っていません。日本の科学技術が発展してきたのは、皆さんはお気づきになって居られないかも知れませんが、全ての教科書を日本語化してきた先人たちの努力の結果なのです。自国語だけで、科学技術の議論ができる国は、世界でも数えるほどです。その中でも、独自の科学技術を発展させてきた国は、また、少ないのです。何故できたのでしょうか。それは、日本人が縄文の世から始まって、長い歴史の中を、互いに争わずに、切磋琢磨して、協力してきた民族だからです。このため、誰にでも読める教科書があれば、みんなが知恵を出し合って科学技術の発展を目指すことができたのです。同じことは ポリネシアの歌曲でも言えるでしょう。誰にでも日本語で歌えるようになっていれば、更に多くの人々が ポリネシア文化に興味を持つようになり、それが戦前には果たし得なかった、太平洋を覆う文化圏の構築に役立つのではないかと思うのです。でも、私は、そこまで行かなくともよいです。私自身は、日本人の愛の心で、かの方の美しい舞を拝見できればよろしいのです。その様な美しい夢を見ていた折、お一人で作られたこのサイトをしみじみと拝見して、感銘を受けざるを得ませんでした。愛は限りありません。

 

 

 

 

 

【付録 1:劇場など】

 

ロンドン パラディアム (the London Palladium)は、ロンドン、ソーホー (Soho) のアーガイル ストリート (Argyll Street) に位置するグレードII*の ウエストエンド (West End theatre) 劇場。フランク マッチャム (Frank Matcham) によって設計され、1910年に開館した。観客席は2,286席。これまでに数百人のスターが出演し、その多くがテレビ放映された。アーガイル ストリートの ウエストエンドは、ニューヨークの ブロードウェイに相当する エンターテイメントの地区。

エディンバラ国際フェスティバル(Edinburgh International Festival)は、スコットランドの エディンバラ (Edinburgh) で開かれる公演藝術の祭典であり、8月から9月にかけて3週間にわたって開催され、主催者によって招待された、オペラ、演劇、音楽(特にクラシック音楽)、ダンスなどの分野の世界一流の芸術家が公演を行うもの。


ロイヤル コマンド パフォーマンス  (Royal Command Performance) とは、英国王の要請により行われる俳優や音楽家によるパフォーマンスのこと。

 

 

[1] Poi E - Patea Maori Club with lyrics ,  「King Country Kiwi」 channel.

 

[2] Pātea Māori Club - Poi E Lyrics + Chords ,  「Nerehana Whanau」 channel.

 

[3] Poi E with lyrics ,  「UntamedKaimanua」 channel.

 

[4] Poi E lyrics & new translation by Reikura and Tearepa Kahi esp... ,  Facebook, 

 Poi E Movie.

 

[5] Poi-E, lyrics by Ngoi Pewhairangi, music by Dalvanius Prime, 1982 , NZ Folk-

 song website.