どういう理由かは

それぞれ違うかもしれないけど、

動きたくても動けない時もあるよね。


 

 

私も、身体的にも精神的にも、

動けないをさんざん経験してきたよ。

 

無意識だとしても、

つい動けないこと、

物事が思い通りに運ばないこと、

普通の生活がままならないことを

 

悪いことだとジャッジしてしまったりして。

 

辛くて、苦しくて、

まるで蟻地獄のように、

もがけばもがくほどさらに動けなくなってた。




でも、そんな状況でもずっとやってきたことは、

自分自身とじっくり向き合うことだった。

 

スピリチュアルなどの気づきから、

 

私は私、って

けっこう思えるようになっていって、

 

 

全て完璧だという気づきや

自分を愛することの大事さなども

 

こうして発信し始めた。

 

 

 

でも、ついこの前、ある方に言われたの。

 

一見不足のある環境や出来事が、

私自身や発信のアイデアにとって必要で、

全て完璧だったんだと。

 

ものすごく腑に落ちてリラックスできたんだ。

 

 

やっぱりまだ、

周りの人よりすごく劣ってるという観念や、

人に迷惑かけたりすることへの深い罪悪感、

自分を許せない自分が

けっこういたのだと気づいたよ。


 

ホントに、まるで玉ねぎの皮を剥くように、

何層にも重なった思い込みを

一つずつ剥がしていく、地道な作業だね。

気づきとは。

 

 

 

 

今思うのは、

 

 

身動きが取れない人にしか

見えない景色があるし、

 

身動きが取れないことでしか

学べないことや気づきがあるってこと。

 

 

 

時間が止まってしまったような状態で、

何も経験できていないような気持ちや

周りから置いてけぼりにされたような気持ちに

なってしまったりする。

 

でも、その経験すらすごく大事なことで、

たとえ、目に見える形で行動できなくても、

何かを生み出すことができない時期だとしても、

 

 

実は、ちゃんと経験を積んでいるということ。

 

 

それって、何もかも順調に物事が進んでる人には

決して分からないことだったりする。


 

だから例えば、誰かの言葉や、人との比較に

苦しんでしまうことがあったとしても、

 

大切な体験をちゃんと積み重ねてるんだから、

傷つく必要なんてない。

 

自分自身がホントはどう感じるかが一番大事。

 

 

 

動けないなら、動けないままでいい

一旦、そう捉えてみる。

 

起きていることは、全て完璧。

 

だから実は、誰一人として

決して道を間違いようがない。

 


 

そのままでいいじゃん。

そのままで完璧だよ。

何も変わらなくていい。

 

そう思えたところで、改めて、

何がしたいのか、

どうしていきたいのか、

ビジョンを描いてみたらいい。

 

 


これが不思議なもので、

変わらなくていいって思えたら、

途端に変わり始めたりする。


動きたいっていう思いが自ずと湧いてきたり、

さあ動こうって踏み出す足も勝手に出たり、

 

そんな力がまだ自分にあったのかと、

驚いたりすることもあるかもしれない。

 

 

それは、

 

 

自分への信頼

宇宙への信頼

 

 

が生まれたってことなんだよね。

 

私自身も最近、

信頼することが足りてなかったと

改めて気づかされたんだけどね。

 

 

この2つの信頼の意味は、

 

 

強く自分を信じるという気持ちと、

 

完璧な流れの中に身を委ねられる気楽さ

 

 

なんだと思う。

 

 

 

 

今の私が何一つ制約のない状態かというと、

全然そうではないよ。

むしろ、けっこういろいろある。

 

 

でも、今の私でしか

伝えられないことがあるんだなって、

ようやく思えるようになった。

 

 

たとえ、制約があろうと、

外側の現実で何が起きていようと関係なく

 

 

たった今この瞬間に、

自由や幸せや豊かさを

感じることは可能なんだよ。

 

 

それを、必要な人に

届けていけたらなと思ってる。

 

 

 

 

今を遊ぶ、今と踊る♪

Play with "Now",  Dance with "Now" ♪