前回の続き。

 

 

 

 

 

元々誰一人として違う、

唯一無二の存在なのに、

 

どうしてこれまで

多様化があまり進まなかったのか

って考えてたんだけどね。

 

 

簡単に述べると、

 

みんな、その方がラクだったんだよね。

 

いろんな意味で。

 

 

どういうことかというと、

 

人種、性別、年齢、様々な好み、

お金を持ってる人持ってない人、

知識がある人ない人、

健康な人とそうでない人、etc…

 

いろんな方法で人を分け、そして、

それらでひとまとめにすることによって、

 

簡単に支配ができた。

 

 

どちらがいいか悪いか、

優れているか劣っているかで分けて、

 

どれだけ自分が優れているか

証明するツールとして使ってきたということ。


 

 

逆に、支配される側としては、

苦痛は伴うことは多かったかもしれない。

 

でも同時に、

誰かに従っておけば物事が勝手に動く、

または誰かの責任にできるということは

 

ラクだったという側面もあるんじゃないかな。

 

私自身もそうだったなって思うよ。

 

 

支配する方もされる方も、

意識的にやってきたというより、

大半は無意識的なのかなって思う。

 

けど、無意識的にしろ、

そりゃ、両方にメリットがあったら、

多様化なんかしたくないよね。

 

 

 

でも、今、流れが変わりつつある。

 

ホントの意味で多様化し始めている。

 

 

ホントの意味での多様性とは、

 

それぞれが

様々な支配関係から抜けて

自由になるということ

 

だと思うんだよ。

 

 

 

 

これから、

その多様化が進むとどうなるかというと、

 

人を思い通りに動かそうとしたり、

誰かの責任にしておこうとする流れが

うまく行かなくなってくるってことだよ。

 

 

ということは、

 

1人1人が

自分自身の考えや行動に、

より責任を持つ必要がある。

 

誤魔化しが効かなくなる。

 

 

今、どんどん雪崩のように

この流れが起きていると感じるよ。

 

準備はいい?

 

 

ホントの意味で自由になり、

自分がありのままで存在する

と覚悟することは、

 

時に喜びの感情だけでは

いられないかもしれない。

 

 

それでも、

前回の記事でも書いた通り、

 

地道に、どんな自分でもよいと認めて

愛していくという作業がが大事だよ。

 

 

 

どの人も優劣なく、

それぞれすばらしい個性を持ち、

すでに輝きを放っている。

 

欠点もあっていいんだよ。

 

それを認めてあげよう。

 

 

 

自分自身と向き合って認めていくなんて、

 

多様性という

大きな枠組みのアクションとしては

一見すごく地味に見えるかもしれない。

 

でも、それが何よりもパワフルで

大きな一歩になるということが

 

そのうちきっと明らかになる。