「多様性」という言葉が

すっかり浸透してきたよね。

 

昔は当たり前のように使われてた言葉や、

普通に行われていた行動が、

 

今になって

偏った考えだったり差別的だったりと、

光が当たって見直されるようになってきた。

 

人種がどうこう、男だから、女だから、

そんな表現が前より減ってきて、

いろんな個性の人がいてもいいと、

多くの人が思える時代になってきたのは

すごく喜ばしいこと。

 

 

 

でも、一方で思うのは、

 

元々みんな唯一無二の存在なんだよね。

もうすでに。

 

誰一人同じ人なんていない。

 

そんなの、

人がこの世界に存在し始めた時から

そうだったはず。

 

なのに、今の時代になってやっと、

いろんな人種や性別や生き方を

認める動きになってるのはなぜ?

 

ちょっと遅すぎないか?って思うくらいだよね。

 

 

 

「差別をやめよう」「違いを認め合おう」

と社会的にムーブメントが起こることは

素晴らしいことだよ。

 

でも、社会の流れがそうだからという理由で、

促されるような流れはすごく表面的な感じで、

 

ポリコレなどの弊害が起こっているのを見ると

違和感を覚えたりする。

 

 

多様性を理解して、

実際にアクションを起こしていく、

その前に。

 

ホントの意味で多様化していくために

絶対不可欠なのは、

 

それぞれが

自分自身を認めていくこと。

 

 

自分の良さを理解し、

どんな才能があって何ができるか

認識することはもちろん大事。

 

でも、

それと同じくらい大切なのは、

自分の中のネガティブさ

認めてあげることだよ。

 

ずる賢さ、腹黒さ、惨めさ、嫉妬、

怒り、憎しみ、悔しさ、恥ずかしさ、

もう自分は消えてしまいたいという思い…

 

 

こんなの感じるの自分だけだ…と

一人で抱え、抑え込んできた感情、

 

ホントは、自分だけじゃないんだよ。

 

どんなにネガティブと言われる感情でも、

誰の中にも必ずあるものだよ。

 

ちゃんと認識してないだけで。

 

怖いかもしれないけど、

自分自身の内面とちゃんと向き合ってみよう。

 

 

その感情に任せて相手にぶつけたり、

無理やりその感情を消そうとするのではなく、

 

あー、こんな思いがあったんだなと

客観的に見ること、

 

出てきてもいいんだよ、

存在してもいいんだよと

その感情をちゃんと認めてあげること。

 

 


そんなことを積み重ねていくうちに、

どんな自分でもいいのだと、

 

この不完全さこそが完璧なのだと

思えてくる。

 

 

そして、多様性を認めようなんて

大げさに意識して行動することなく、

 

そのうち勝手に、

いろんな人の違いがあってもいいと思えたり、

自然と人に優しくできるようになったりする。

 

 

たとえ、そう分かっていても、

人に優しくできない、したくなんかない

って時があったとしても、

 

それすらOKだと、

そんな時があってもいいと認めてあげればいい。