最近、世の中をどうしたらいいかとか、
そんな発信をよくみかける。
たとえば、節約術だったり、片付けや掃除、体力作りなど、
実生活に役立つ情報なら理解できる。
いつも違和感を感じるのは、
物質文明がよくないから精神文明に移行しよう。みたいな発信をしている人もいますが、
じゃあ、この現代において、一般的に仕事をして人によっては家族を養ったり、食べるために働いている人が、現実的に何も持たずに生きていけるんでしょうか?
タイムマシンで古代に行き、スマホもパソコンも電気もガスも無い時代で生活するならわかる。
たしかにそんな生活のほうが幸せなのかもしれない。
けど、そういうこと言ってる人って大抵は養う家族がいないとか明日食べていけるかどうかの生活を経験していない人だと思う。
先日、100円ショップで久々に楽しい買い物をしたので別のSNSに投稿した。
私の家からは100円ショップが近くにないので、
出先で近くにあれば立ち寄ることにしている。
近所の店で買うより数倍安いからです。
文具一つにしても、機能性や見た目も100円とは思えないクオリティの高さ!
だから立ち寄ったときには予備で必要な文具や事務用品を買っておくし、
かわいい物や推しグッズを買ったり、好きな音楽を聴くためにCDやアーティストの本を買ったりするのはちょっとした贅沢というか、楽しみになっています。
きっと皆さんもそんな楽しみってあると思う。
歴史好きな人が歴史本を買ったり、
神社仏閣好きの人が御朱印を集めたりもしますよね。
映画を観たり、美術館に行ったり、ライブに行ったらパンフレットやグッズを記念に買うこともあるでしょう。
旅行に行ったら自分以外に誰かにお土産を買ったりもする。
これって行き過ぎてますか?
少しでも楽しくしようと過ごしてるだけだし、
自分に関して言えば、
最近は自分だけのために使える時間やお金は考えて過ごしているなかで、
たまの自由時間ぐらい好きに過ごしたい。
文具を余分に買うのは、急に必要なときにコンビニで買ったら高いし、
何人かで必要な場合は、貸してほしいと言われたら余分に買っていたボールペンなどは差し上げることもある。
自分のためというか、人が必要ならかまわない。
推し活を批判する人って、
好きなアーティストや画家、小説家、漫画家、歴史学者、デザイナーとか居ないんですかね??
好きなデザイナーがいればそのブランドの服買ったり、好きな料理人がいればその店の料理食べますよね。
私の場合、一番好きなアーティストが、いま現在では残念ながら実際にお会いすることができないので、アーティストのCDや本を買うことが生きがいになっています。
ゴッホのファンがゴッホに会いたくてもどうすることもできないので、美術展に行って作品を見たりするのと同じです。
私も妄想にふける日もあるし、
現実から逃げたくて歌いに行ったり踊る日もある。
一日中祈っているわけでもないし、
家に帰ったら手を洗い、食事をし、片付け、掃除、音楽を聴き、寝て起きて現実を生きている。
神職や歴史学者はそういうお役目があるから
祈りや歴史を学んだりする。
これも現実です。必要であれば学ぶ本も書い、お守りやお札を持つでしょう。
これは物質ではないのですか?
少なくとも誰かの役に立ってますよね。
ただ批判したいがために重箱の角をつつくような発信はやめたほうがいい。
みっともないし、器が小さいと思われるだけですよ。