電話と玄関のチャイムに出られない | ママのうつ病、家族の奮闘記~かーちゃん、うつ病と闘う

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第2子出産半年後にうつ病の診断を受けてからはや15年。病と共存しながら健康体を取り戻すべく、試行錯誤で暮らしてきました。
今では通院も服薬もありません。
そんな私の経験が少しでも参考になれば……。

うつ病と診断されて、穴グマになったり、死のうとしたり、外に出だしてダンスができるようになったり、はたまた再び死のうと試みたり、一進一退の病状のかーちゃん。



たとえダンスのアシスタントができても!!




電話と玄関のチャイムには出られない日々が続いた。





実はコレ、フルタイムで働きだした今でも苦手なのだ。



電話に出る


玄関のチャイムに応答する



が苦手で、よく社員が務まっているなあ、と思うが、今現在は「苦手」なだけで、たぶん普通の人より、緊張度が高い、というぐらいのことだろう。

今でも、家の電話と玄関のチャイムは、極力出ないで逃げている。


「とーちゃん、電話」


「娘1号、出て」


と家族に指令を下す。


「ハイハイ♪」と気軽に応対する奴等がうらやましい・・・マイメロキラキラキラキラ





誰しも、知っている人であれ知らない人であれ、電話に出たり、玄関で応対するときには、大なり小なり、何がしかの緊張感を持つはずだ。




うつ病患者のこの緊張感は、ハンパないことこの上ない∑ヾ( ̄0 ̄;ノ





対人関係の許容量の入れ物、容量オーバー、というところである。




かーちゃんは、オートロック式マンションに住んでいて、このあたり助かったところが大きい。

モニターで来訪者の顔はわかるし、表通りから死角になる部屋に住んでいたので、居留守も使いやすかった。

「明らかに部屋にいるのに、居留守を使う」、ということにはならなかったから、対外的には問題なく過ごせた。


電話も、自宅の固定電話はナンバーディスプレイにしていたし、携帯のメール以外は、ほぼ外部とコミュニケーションはとらなかった。



唯一、無理強いして電話に出ていたのは、娘1号の学校からの電話だけだ。

「今朝、お友達にこんなことしました」

「連絡帳にこんなこと書いていますが、お母さんの字ですか?」

  ・・・えとせとら。


・・・まあいろいろやってくれたのだ、娘1号は(T▽T;)


「これだけは母親が逃げてはならぬ!!」と、わずかなエネルギーを燃焼して、かーちゃん必死の思いで電話に出て応対していた。



娘1号め・・・・にひひ







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