感じるままにを体験すること | ダンスアーティスト加藤範子 オフィシャルブログ  

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加藤範子とダンス、からだから見える世界をお届けします。















タイミングが合うとちょいちょい出会うキジさん
ちなみに足速いですw

今日もちょっと長そうですので、そんな気分じゃないなーなときはスルーでお願いしますおねがい


さて今朝起きたらBBCニュースのライブ速報で
イギリスのEU離脱をやっていましたね。

某ウィルスにしてもそうですが、
世界ではというか地球規模でいろんなことが起きています。

そんな中で、踊るとか意味わかんない、とか
踊ってる暇というか、踊ってる場合じゃないとか、人によってはあるかもしれません。


それでもやっぱり私は踊ることをしたいし、踊るというかからだの体験をとおして共有したいな、と思うことがあるのかなぁと思うんです。

それはどういうことかというと、
感じるままにだったり、湧き上がるものだったりを表現というか、自分の内側から外にだしていく行為を共有したり、そこから自然に生まれてくる調和の体験を共有したりすることなのかな、と。



それは、自分の心が感じるものに対して行動していくことだったり


心が感じるものをそのままに受けて選択したり行動したり


という行為そのもので

外からどう見えるか(他者の目や他の価値観)を、一切介することなく純粋に発していくという作業だと思うのです。


それと同時にお互いに目の前にいる人のそばで、ジャッジするのではなく、自分に湧いてくるものが何であるのかを感知し、その過程を見守り目撃し互いに進化するのです。

そういう全ての行為が具現化の過程でもあると思うのです。

具現化とは、まだかたちやことばになっていないものもそのままに外に出していくことから、それが徐々にかたちになったり、ことばになっていったりする過程だと思うのです。

もしかしたらことばさえ見つからないほどの何かになることだってあるかもしれません。

時に、人は具現化されて理解できないものを目の前にするとき、恐怖を感じたり不安に感じたりする傾向がどこかあるかもしれません。

それはわけがわからないという現象が引き起こす、内側のザワザワからくるものだと思います。


そのザワザワは、起こりうるであろう想定したものや思考、もっというと自分や自分が想定いしてたこうなるであろうという未来の予測を逸脱したり、脅かすように感知したりするからかもしれません。


しかし、こういった踊りやからだの体験や表現してみるという行為から

具現化の過程にある

ニュートラルでいること
一人ではないこと
繋がりと愛
自分も相手も関係なくある存在の尊さ

をさまざまな角度からする体験を共有していく中で、知らず知らずのうちに調和していくのだと思います。

肉体の波動も意識の波動に合わせていくとか、
からだを目醒めるというのが
どれほど実はシンプルで別に凄いことでもなく
そもそもの自分に戻ることだったり、ズレていたり、制限をかけていたものだったりを微調整するようなものなんじゃないかと。

自分にある骨格を矯正することなく、
その自然な状態で、大地に立つ
その骨格がしっかり支えてくれるから
安心して力を抜いても大丈夫


もしその骨を硬く重く感じるなら
少しずつ動かして、そのしなやかさを思いだしてください
柳のように軽くしなやかで折れることのないあの感じを

生きる羅針盤は一人ひとりしっかりと
すでに持っていたことを思いだしても
大丈夫


最後までお付き合いありがとうございます😊



次のワークショップは(2月15日)東京であります。


プライベートセッションもしておりますので、

もしご興味がある方はメッセージもしくはLINEにてご連絡くださいおねがい