12月10日。
無事(?)到着したルイ・アームストロングニューオリンズ空港。
到着ロビーでは、荷物を待つ間のウエルカムJAZZの生バンドが、
ニューオリンズに来た感を盛り上げてくれる。
昔、タヒチに到着した空港でのウエルカムタヒチアンダンスを思い出した。
荷物出口から、あ、出てきた、と目で追っていたら、
他の人が取り上げた。エッ!?
慌てて駆け寄る。
タグを見ながら不思議そうだったその男性は、盗む気ではないことは一目瞭然だったけど、
「It's mine」「sorry!」
盗まれるのも困るけど、間違って持っていかれるのも困るので、ちゃんと荷物から目を離さないで良かった。
正規のタクシー乗り場からタクシーに乗って、ホテルへ。
ニューヨークでもそうだったけど、「タクシー?」と声をかけてくるのは白タクなので、乗ってはいけない。
ホテルは旧市街のフレンチクオーター内のクラシックなホテル。
ガイドブックにも載っている3つ星ホテル。
もらったルームキーが開かない。(^^ゞ
近くの部屋で掃除中だったスタッフに頼んで開けてもらい、
部屋の電話で鍵が開かないとフロントとに伝えて、交換してもらった。
いろんなことがあるなあ。
部屋はクラシックムードできれい。
ところが!!
ショックなのは窓がない部屋だった!
英語の先生に「古いホテルには窓のない部屋も多い」とは聞いていたけど、
実際見て、そのことをようやく思い出した。
Agodaで予約する時には全くそのことを失念していた。
価格の違う部屋もいろいろあったけど、
窓があるとかないとかの説明は全くなかったので、
スタンダードタイプでいいと思っただけなのに、まさか、窓がないとは!
4泊もするんだから、部屋を変えてもらうことも考えたけど、もう荷物広げてしまって、
飛行機に乗る前のドタバタで精神的に疲れてしまい、面倒くさいが先に立って、まあいいや。
朝起きた時に天気がわからないのはちょっと不便だった。(-_-;)
ガッカリその2は、ホテルが朝食の提供をしていないこと。
おかげで毎日、食事に苦労する日々になった。
ガイドブックによると、朝食も食べられるカフェは朝の6時からやっているそうで、
つまり、フレンチクウォター内の多くのホテルは食事をやっていないらしい。
この日は空港で買ったサンドイッチの半分が昼飯で残り半分が夕飯。
痩せるかな?
12月11日。
朝、おなかがすいて朝食を求めてホテル周りをふらふら。
見つけたカフェで、サンドイッチとコーヒーを注文。
注文の仕方を覚えたこの店にこの後滞在中4回も通うことになった。
ニューオリンズでの1番の有名どころといえば、Cafe Du Monde。
24時間営業で、夜は知らないけど、昼間3度来た時にはいつも混んでいた。
ドリンクの種類は多いのに、食べ物は四角いドーナッツのベニエだけ!
こちらではこれが朝食として食べる人が多いそうで、日本で食べたものより3倍くらい大きかった。
コロナ前には池袋に店舗があって、大好きなドーナッツだったんだけど、
コロナ過で撤退してしまい、今度の旅行で、久しぶりにベニエを食べることを楽しみにしてた。
でも、本場のものより日本で食べたほうがおいしかった。
ジャクソン広場前では、観光馬車にも乗れるし、
ストリートミュージシャンは、素人の域を超えてどの人も上手!
夕方の4:30にホテルロビーで、ネットでお願いしていたガイドAさんとお会いする。
元気で明るいキュロット姿の女性だった。若く見えるけど40代。
まず観光名所のセントルイス大聖堂。
そしてジャズ発祥の店といっても過言でないPreservation Hallへ。
地元の人や観光客などで、すでに行列ができていたけど、
ネットで予約しておいたのですんなり入れた。
まるで廃校になった田舎の小学校の音楽室みたいな10畳ほどの小さな部屋で、
観客は堅い木の長椅子に座って、スィングジャズを手拍子したりして聞く。
この日の演奏は6人編成のバンド。
時折地元の人の掛け声がかかる。Aさんも声をかける。
ラストは「聖者の行進」で、お客は入れ代わり立ち代わり、チップを入れに前に出てくる。
そのあと、夕食。
彼女の好きなところへ連れて行って!と頼んで海鮮のお店に連れて行ってもらう。
美味しかったのは何といっても今回のナンバー1の焼きカキ!何個でも食べられそう!
池袋西武の8階にカキの専門店があったので、今度行こうと決心した。
他には、カニコロッケみたいな料理。カニがぎっしり。
A子さんは注文の仕方とか、料理の説明もしてくれたんだけど、
う~ん、よくわからない。
支払いは料理の金額にチップ20%を自分で計算して書き込んで、それを足し算して合計金額を書き、カードを渡して支払うというもの。お酒飲んでたら計算間違えそう。面倒くさ!
そもそも、ニューオリンズの店員さんの英語が、これ、英語?っていうくらい聞き取れない。
そういうわけで、次の日から、レストランに入ることはなかった。
食事の後は、バーボン通りを軒並み並んでいるジャズの店をのぞいたり、入ったり、適当に踊ったりして、好みのバンドを探して、
音楽が気に入ったら、ドリンク頼んで、その店で時間を過ごす、という自由なシステム。
Aさんは時々、この辺のお店でバンドと共に舞台で踊っているので、知り合いがいっぱい。
Tシャツ屋のおばさんが、あなたこの前あそこで踊ってた人でしょ、とか声がかかる。
12月12日。
この日のメインは大河ミシシッピを運行する蒸気船ナッチェスに乗船して、食事とJAZZを聞きながら、ニューオリンズを川から観光するクルーズ。
船がでかい!
食事付きクルーズで良かった。(^^)v
観光客が多いから、ニューオリンズの名物料理の盛り合わせプレート。
レッドビーンズ、炊き込みご飯のジャンバラヤ、白身魚のフライ、デザートのブレッドディング。
どれも、いまいち私の口に合わなくて残念。写真左端のポテトサラダだけ完食。
ミシシッピ川はでかい!まるで海!でも、全然揺れない。
12月13日。
この日は水族館へ。中南米の魚を展示している。
約5年前にキューバでの海で出会った固有種に再会できると期待したけど、
海水魚は少なくて、ほとんどが淡水魚で残念。
約5年前に行ったキューバも、「街にJAZZが流れている」と言われていたけど、
ニューオリンズのほうが圧倒的に「街中に常にJAZZが流れている」街だった。
と言っても、私が歩いていたのは旧市街のフレンチクオーターだけなので、
正確ではないかもしれないけど、
とにかく、昼も夜もストリートミュージシャンがあちこち、
1人でカラオケで歌っていたり、楽器吹いていたり、グループでバンド演奏していたり、
道路の真ん中に、チップ箱おいて、通る車はその箱をよけて通行してゆく。
そして特筆すべきは、ここ、アメリカ南部にはその昔、Voodoo教という魔術的な怪しげなカルト教団が存在して、今はもちろんいない(はず?)なんだけど、その不気味な文化だけが残っていて、
街のTシャツ屋さんには、必ず!!骸骨をデザインしたTシャツが売られている。
そもそも、英語の先生が、ニューオリンズの話を持ち出したのも、
私の好きなJazzグループがBig Bad Voodoo Daddyで、Voodooの意味を聞いたからだった。
つまりVoodooは気味が悪い、怪しげ、魔術趣味の、という意味らしい。
Tシャツ屋の店内。
BBVDはニューオリンズ出身ではないけど、多分、ニューオリンズが好きなんだろうな。
もう一つの特筆Ⅱは、アメリカでは現金はほぼいらないということ。
レストラン、ショップ、はもちろん、タクシー、食料品店、地下鉄のカードも、
バーのドリンク1杯づつも支払いはクレディットカードが当たり前。
水ボトル1本もカード払い。
タクシーは、後部座席にカードの挿入口があり、チップも20%、30%、40%と選ぶボタンがあって、パスワード入力のテンキーがる。
おかげで両替して持って行ったドル紙幣をほとんど使わずに帰ってきた。
現金使うと、お釣りのコインが重くなって困る。コインの使う場所がない。
カフェで現金で支払った時、お釣り$0.78(約117円)のコインがないのでチップ代わりに寄付してくれと言われた。
インフレのアメリカでは、1ドル以下はもうお金のうちに入らないらしい。
現金の使える場所はホテルの枕銭(枕銭を置くのは日本人だけらしい)と、
ストリートミュージシャンのチップ箱くらい(コインは音がして失礼なので紙幣のみ)?
12月14日。
帰国日。
いろんなことがあって、最後の心配は早朝に頼んだタクシーが時間通り来てくれるか?
Aさんのアドバイスは、「もし来てくれなかったら、フロントの人に頼めば絶対何とかしてくれる」。
気になって眠れなかったけど、ちゃんと来てくれていた。
良く考えたら、ここは基本的に24時間眠らない街なのだった。
なにしろ、カフェが24時間営業だし、バーボン通りも朝までにぎわっているそうだし、
朝の4時なんて、営業真っ最中の時間といっても差し支えない。
そして空港につけば、すでにたくさんの人。
一瞬、ラガーディア空港の保安検査が頭をよぎったけど、何とか30分くらいで終わった。
約2時間のフライトで、ダラスの空港に到着して国際線に乗り換え。
出国審査もなく、降りたら、そのまま次の搭乗口へ行けばいいだけで、簡単!
ということだったけど、到着がターミナルC。出発がターミナルD。
矢印に従って歩くけど、遠い!
どこかのカウンターの人に聞くと、Skylinkに乗れという。
「Skylinkって何?」「train」train?!
聞いてないよー!
最後まで楽させてくれないなあ・・・・
昔、成田空港にあったシャトルのようなもので、
でもここではAからEまでのターミナルを回って、しかも搭乗口番号によって駅も15くらいある
めちゃ広大な空港だった。
ずっと時差ボケが治らないまま続いていた私は、帰りの飛行機でもほとんど眠れず映画を5本も見た。
そして無事に日本に帰って早く退屈な日常に戻りたいものだと考えていた。
The End.