私は快調に飛ばせるはずの道路で、自転車をただただ押して歩いていた。
ハンドルから面倒な重さが消えることはないし、いつもに比べれば遅々として切り替わらぬ風景が続いていた。
それも酒のせいだ。
でも、そんなことは大して気にならなかった。
そんなことよりも大切なことが、この夜はあったから…。
最早私は、追いつくことのない遠く後ろからでも、ただただその背を見られたから…。
ホルストの「吹奏楽のための組曲第1番」。
通称『1組』と呼ばれ、吹奏楽に本気で傾倒したことがあれば知らぬ者はいないという名曲だ。
対位法と変奏で、1楽章冒頭に流れる美しいシャコンヌ主題をこれでもか、と利用し倒して、吹奏楽という分野ではベートーヴェンの交響曲のような、圧倒的な古典としての金字塔を打ち立てた曲である。
そして、この演奏はジョージ・セルという20世紀を代表する指揮者が、アメリカで厳しいアンサンブルに育て上げた、クリーヴランド管弦楽団の管楽セクションと、当時の中でも上質なステレオの立体的な音質で録られ、更に、作曲家に直接手紙を送り、本格的な作品を作曲家と共に作る所から始め、吹奏楽という分野の発展に尽くした名匠フレデリック・フェネルの野心的な若さと相俟った見事な演奏である。
実は、この偉大な作品が何故作られたのか、詳しい経緯は不明だという。
そんな出自の小さな問題は、現実に羽ばたこうとする偉大な意志の前では、ただただ邪魔なだけのものに過ぎない。
焼肉IWAで鈴木紫帆里さんが働き始めた、と聞いて2週間ほど。
どうしても一度は行きたくて、会いたくて、都合を合わせてみた。
店に入って予約した名前を告げると、厨房側、奥で待機している彼女の姿が少し遠くに見えた。
少し高揚した気分のまま、奥のボックス席に通されると、注文を取りに来るのを待った。
飲み物の注文を取りに来た店員は幸か不幸か、彼女だった。
相変わらず記憶力は抜群のようで、私の顔を見るなり、「おぉ」と懐かしみ、「髪、伸びた?」と聞いてくれた。
相変わらず、彼女はキレイだった。
そして、忙しなさは見せず、丁寧に働き、何度となく呼ばれる度に、何だか往時よりも幼く軟らかく見えるくらいの笑顔で、『看板娘』を務めていた。
その姿は、本人のいう「人と接することが好き」と「夢」への切符を掴み、次のステージを待望する若者の成長そのものだった。
その日の客は、私の知っている人間が多かった。
今は地下アイドルに完全に流出してしまったけど、往時は彼女の握手会にも通っていた札幌の女性、あん誰常連で彼女をずっと1推しにしていた男性、彼女の生誕等で中心を務めていた男性。
皆が一様に彼女がいる空間を楽しんでいた。
ここでちょっと違う話をしよう。
先日、飯野雅生誕では、脚立に立って説明していたのは、鈴木紫帆里生誕委員でも主要な位置を務めた男性だった。
そして、彼が連番していた同じく生誕委員のヲタも鈴木紫帆里生誕委員の方。
更に、上手の最前で沸いていた人も鈴木紫帆里生誕委員だった。
そして、彼ら生誕委員の内、数名とは、先日の握手会では西潟茉莉奈さんのレーンでも見かけた。
一見すると、ただの気が多くて、移り気なドルヲタにしか見えない。
しかし、この2人の所でこうした動きが見えた理由は、ある種の義理堅さそのものだろう。
飯野雅は、鈴木紫帆里卒業公演を客席でも見に来ていて、写メ会で最後の挨拶までいられないことをファンにも詫びながら残念そうに帰っていくほど彼女を慕い、そして最後に出演したあん誰でも直接名前をあげられて期待されていたメンバーだ。
西潟茉莉奈は、ドラフト会議後、鈴木紫帆里本人が明かした、同じ大学の同学年だ。
その2人の所に彼女を推していた人達が集まる、というのは、自分の卒業と共にファンをやめてしまう人がいるかもしれないけど、と前置きした上で「できれば残ったメンバーを応援してあげて欲しい」と言い残した彼女の言葉を忘れてはいない何よりの証だろう。
世界の片隅の焼肉屋で、今後掘り返されることのないであろう小さな絆と未来を見た。
そんな夜を私も素直に喜びたい。
取り合えず、散髪に行こう…(笑)。