いやぁ…10人しか募集してなかった被災地ボランティアに受かっちゃった。
来週から仙台です。
教会に泊まって自活ですと…。
本当に出来るかな?どうしよう…じゃねぇな!
こういうながれなのね
いやぁ…10人しか募集してなかった被災地ボランティアに受かっちゃった。
来週から仙台です。
教会に泊まって自活ですと…。
本当に出来るかな?どうしよう…じゃねぇな!
こういうながれなのね
都庁で義援物資の仕分けの手伝いして きたよ。
心のこもった荷物がいっぱい集まってた![]()
愛を持って祈ることも大事だけど、即効性があるのはお金・物・労働力。
偽善でも自己満足でもいいから少し何か行動を起こす事が大きな力になり、早く被災地を救うことできる思った。
一人の力は小さくても集まるとすごいパワーになるね
3月11日の「東北地方太平洋沖地震」におきまして
今も増え続けている亡くなられた方々と、遺族の方々に
深くお悔やみを申し上げます。
そして被害にあわれた皆様が一日も早く元の生活に戻れて、
笑顔でいられる日が来ますように心よりお祈りいたします。
ルアンナムターからバスで2時間のところにあるムアンシンに着きました
ラオスの北部ムアンシンは中国との国境近くの小さな町で
近くには少数民族が多数暮らしている
ムアンシンから少し行った少数民族の村に宿があると知り、そこへ向かおうとしたが
手持ちのお金がまったくなくATMに行くも、ラオス銀行のカードしか使えなく、両替も出来ない
まさかの事態に、翌日朝一でルアンナムターに行きお金を下ろして
午後またムアンシンに戻り、やっと村に向かうことになった
自転車で田園風景の中を約10キロ程走ると、かやぶきのバンガローが6つ程並んでいる宿がぽつんとあった
すぐ先にはアカ族の村があり、民族衣装を着た老人が行き来している
部屋からはラオスの自然が見渡せて景色がとてもよい
夜になるとスマイルムーンとオリオンとたくさんの星が輝き
流れ星が流れ、UFOと見間違うようにチカチカと蛍が舞う
草のざわめきと虫の音と、蛙の合唱のBGMが広がる
最後にやっとラオスで静かで心安らぐ場所に着いた
翌日は自転車で少数民族の村めぐり
大昔のような高床式の家が建ち
1つの村に30家族ほどが生活している
まず近くのアカ族の村から訪ねる
このアカ族の村は何でもカネ、カネ
物を売りに来ては「マニー!マニー!」
写真を撮ろうとすると「フォトマニー!」
バナナを買ったりして写真を撮らせてもらう
次にヤオ族の村4つ
この村の人たちは穏やかでやさしい
他にもロロ族という民族はアオザイにカラフルな刺繍がたくさん入っていたり
民族によって全然来ているものが違う
しかしどこの村の人も写真が嫌いなのであまり撮らなかった
川を渡り、きび畑を抜け結局15位の村を巡りながらムアンシンまで戻ってきた
疲れて食堂に入ると店の人が「ジャパン!ジャパン!」といってTVを指差す
見ると、車が流されている
最初はまさか日本だとは思わなかったが
それは2時間ほど前に日本で起きた大地震による津波のニュースだった
相当な被害が出ているようだけど詳しくわからず
気が気でないので翌日ルアンナムターに戻り、家族に電話
実家は被害が少なくて一安心
だが今度は中国から断続的に続いていた下痢が一気に悪化
風邪も併発して、しびれと寒さ、出るもの出尽くし、体液しかでない最悪の事態
ネット屋とトイレとベッドの往復
ルアンナムターはいいところだが、着くたび体調が悪くなる
バナナを食べて、薬飲んでどうにか旅の終わりに向けて移動
ルアンナムターから国境フエサイ、チェンコン、チェンライと下り
チェンライで自転車世界一周中の友人ちゃんすくんと2度目の再会
パソコンで地震の映像を見せてもらうがあまりの酷さに涙がこみ上げてくる
そして更に原発が爆発して予断を許さない状況・・・
全然楽しめないし、早くバンコクへ行きたくて
チェンマイからその日の夜のバスで一気にバンコクにやってきました
バンコクではシャケバイで一緒だった山本さんと会って
彼の泊まっている中国人街やインド人街を見て回る
体調も良くなり、ご飯を食べたり、いっぱい話した
いよいよ1ヵ月半の旅も終わります
いまだに地震が頻発していて
死者が増え続けているし
経済も
旅に出る前と変わってしまった日本
正直まだ危険だし、帰るのは怖いけど
今夜の飛行機で東京に戻ります
実際どうなっているか東京の状況はわかりませんが
帰ったら地震に負けず、普通にみんなで笑えるといいな
被災地の方々の悲しい気持ちが救われて
早くみんなが幸せになりますように