ダイエーVS松下電器の過去の戦い | 臨床美容師のつぶやき(豊後大野市共育塾)

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もうほとんどの人が知らない、もしくは忘れているような戦いです。低料金対適正価格の戦いでもありました。ダイエーはスーパーから始まりましたが、百貨店型スーパーと呼ばれるまでに規模を拡大しました。


また松下電器は家電業界のトップを走っていました。ダイエーの中内功さんと松下電器の松下幸之助の争いでもありました。中内さんはすべての家電メーカーに、ダイエーで売るときは一番安くすることにしました。


しかし松下さんは社員が真剣に作ったものを、簡単に値引きされるのは好みませんでした。結果としてダイエーには松下電器の商品は置かれませんでした。当時のダイエーの影響力は大きく、松下電器としても痛手は大きかった思います。


松下さんは日本初の系列電気店ネットワークをつくっていました。その個人店を守るためにも、大型店の値引き戦略は許せなかったのです。この考え方はわたしも大いに賛同します。しかしそのダイエーもつぶれてイオンに吸収されました。


ところが調べてみると、2023年6月時点で、ダイエーは法人格を存続しており、206店舗を運営しています。また、2023年10月18日時点では、全国に94店舗の「ダイエー」を冠する店舗があり、ブランドとしても存続していたのでした。


中内功氏は「昭和のカリスマ」とも言われ、松下幸之助氏は「経営の神様」と呼ばれていました。カリスマ対神様の戦いですから、当時はすごいもの見せてもらったのです。結果として松下電器は生き残りました。


そんな松下さんですが、パソコンにだけは判断ミスをしました。導入に待ったをかけ、遅れを取ったのは有名な話です。そして神様のあとを継いだ経営者も大変だったとは思います。同じ低価格路線でも、あのダイソーは成功しています。


ダイエーと名前は似ていましたね。ダイソーは独自の商品で安くし、ダイエーの戦略とはやはり違いました。それと100均という新戦略も開発しました。それはそれですごいと思います。ダイソーの社長もかなりの苦労をされた経営者でした。


ダイエーも一時期は圧倒的な指示を得て、小さな店からの成功ストーリーをつくりました。しかし今はデパートや百貨店がダメになったように、総合的な業態は厳しいです。そしてユニクロなどのように、作って売るスタイルも増えました。


これからはますます販売スタイルも変わるでしょう。情報の選別が命とりになるかも…過去から学ぶことも多いです。ではまた明日。