自由に意見が言える価値 | 臨床美容師のつぶやき(豊後大野市共育塾)

臨床美容師のつぶやき(豊後大野市共育塾)

いくら良い言葉を並べても、お金がからむと真実が見えない。こころを商品化する社会にも同じ不安を感じる。そんなこころの悩みを和ダンボがつぶやきます。豊後大野市共育塾(場所ココミオ)では、そんな問題をみんなで語り合っています。お問い合わせは美容室WAKOまで。

親はよく「絶対に怒らんから素直に言いなさい」と言ったりします。しかしその内容によっては怒ったりします。完全なルール違反です(笑) そこで子どもは悪いのは自分だからとじっとこらえ、二度とほんとのことは言わないと誓います(笑)


これは大人同士でもよくある話です。ほんとに正直に話して欲しければ絶対に怒らないことです。しっかりと聞いたあとで冷静に注意するのは良いでしょうが、まずは単純に反応しないことですね。これは立派な方でも起きるケースです。


何が立派かという話にもなりますが、立派なゆえに思い通りにいかないと腹が立つようです。それは忖度しろということにも似ています。しかしそんな忖度はムダとわたしは思いますが、したい人はすればよいと思います。


そこも自由にしないと辻褄が合いません。ただ感情的な判断だけはまずい気がします。それこそ戦争を始めるときなどは、感情的な部分が大きいと思います。でなければあれほど人が死ぬ行為を、正しいなどとは思えないからです。


戦争は「善と善との戦い」ともいわれます。どちらも自分たちが正しいと思って戦争をするのすが、何が正しいのでしょうか。騙すほうと騙されるほうでは、騙されるほうが悪いと最近は思っています。しかし戦争はそうではないですね。


戦争を仕掛けるほうがやはり悪いです。戦争は抵抗しなければやられるだけです。騙されるのは無視すれば騙されませんが、戦争はそうはいきません。経済も経済戦争と呼ばれることもあります。お客さんの取り合いをしているからです。


領土の取り合いと似ています。ただ経済戦争で人が死ぬことはほとんどありません。ゼロではありませんが、それは自己責任での範疇になります。自由に意見が言えなくなると、戦争の前兆のような気もします。統制社会の前ぶれです。


戦争は極端にしても、日常でも似たようなことは起きています。すべては感情のコントロールができるかどうかです。理屈ではわかっていても、最後は感情で決まります。「理屈と感情」は「理性と本能」のようなもので、両方あるのが人間です。


そして感情は本能のようなものですから、そこのコントロールはやはり難しいです。ロボットではないのですから、欠けてはいても人間が好きです。完璧でないからこそ好きなのかもしれません。そこに弱者の戦略が通用します。ではまた明日。